〈僵尸〉
「大丈夫ですか?」
地面に降り立った後、少女は、ピーターを地面におろして、ピーターに尋ねる。
「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
ピーターは戸惑いながらも、返事をする。
ようやく状況が呑み込めた。
どうやら、彼女は善意の第三者であるらしい。
たまたま、椅子から無様に落ちたピーターを見かけて、とっさに飛んで受け止めたのだろうと思われる。
どういうスキルないしは魔法を使ってきたのかはまるで分らないが、そこはさほど考えなくてもいいだろうと結論付けた。
さて、ピーターにとって、重要なことはそんなことではない。
「あの、よければお礼をさせていただけませんか?」
「お礼?」
「ええ、命を救っていただいたので」
あの高さから落ちていれば落下死は免れなかっただろう。
どういうスキルを用いたかは知らないが、恩人とみなすことに何の問題もないはずだ。
命を救われれば、それは恩である。
金銭か、物品か、何かしらの礼をするのは、少なくともピーターにとっては当たり前の話であった。
「いえ、お礼をいただくためにしたことではないので。私にはそんな資格はありませんから」
「ありますよ。助けられたら、恩を恩で返す。人と人同士のやり取りでは、当然のことです」
「――」
空気が変わったのを、なんとなくピーターは感じた。
「私は、人ですらありません!」
「え?」
いきなり少女はピーターの手を握ってきた。
「どうですか?」
「え、いやあの……」
「どうですか?私の手は」
「ええと、どうって言われても……冷たい?」
戸惑うピーターの両手をがっしりと上から包み込む、少女の小さい手。
その手は、ひどく冷たかった。
ピーターも決して体温は高い方ではない。
だというのに、氷に触れたように冷たい。
まるで、血が流れていないかのように、いや血が通っていないことの証明として。
「わかりますか!この体の冷たさが!生きることを止めてしまった、生物ですらないこの体が!」
「……君は、キョンシーですか」
キョンシーとは、アンデッドの一種。
東方でよくみられるアンデッドであり、人が作り、符で制御する魔力式アンデッドである。
コアの存在するゴーレムやリビングメイルに似て少し違う。
体に貼られた符が、コアであり司令塔になっている。
冒険者ギルドなどで調べていたこともあり、ピーターは、アンデッドについては人一倍詳しい。
だから、アルティオスではほとんど見ないキョンシーについても知っていた。
「ええそうです。……私は、キョンシーです。〈僵尸〉なんです。他人の人形です。生まれた時からずっと……」
「…………」
アンデッドについて詳しいピーターであるが、それでもアンデッドのすべてを理解できているわけではない。
それこそ、共に暮らしているリタやハルについてもそうだ。
彼女たちがアンデッドになるまでの過去についてはほとんど知らないし、知らないこともあった。
例えば、ハルの番や両親などの家族の情報など、生前のことはほとんど聞いていない。(そもそも、あまり覚えていないらしい)
リタにしても同じだ。
もっとも、これらは覚えていないというより、ピーターの方が聞くつもりがない。
リタに尽くすことが多いピーターだが、滅私奉公ではない。
愛されたいという思いもあるし、独占欲もある。
滅私ではなく徹頭徹尾私情の徹私奉公。
つまるところ、ピーターは、彼ら以外の家族の話をリタとしたくないということだ。
ましてや、目の前のキョンシー少女のことなどわかるはずもない。
それでも、自分の思うところを正直に言うことにした。
「手が冷たくても、触れられなくても、血まみれで傷だらけで醜くても」
「?」
「心が人の形をしていれば、それは人なのではないでしょうか」
リタは、ハルは、アンデッドに分類される。
それでも、ピーターはそうは思えなかった。
家族を案じ、子供と戯れるハルは、ドラゴンにしか見えない。
甘いものを楽しみ、読み聞かせた物語に感動し、ピーターが傷つけば心配もするし、怒りもするリタが、人間としか思えない。
無論そう思わない人もいるだろう。
排除すべき穢れた存在、駆除しなければならないあるいは道具として便利なモンスター、そんな風にしか思わない人もいるだろう。
それでも、ピーターはそう考えるのだ。
そしてそこには、自分を何の見返りを求めるでもなく助けてくれた少女も含まれる。
彼女が何を抱えているのかはわからない。
キョンシーの詳細を知識としてピーターは持っていない。
まして、彼女個人が抱える事情など、わかるはずもない。
「ごめんなさい。でも、あなたは人間だと思います」
できるのは、彼を救ってくれた相手に、礼を尽くすことだけだ。
「――に」
「え?」
手を振り払われた。
冷たい手で、握っていたピーターの手を弾いてきた。
『――』
ハルが反応するよりも速く、少女が叫んだ。
「知らない癖に。私のことなんて、知らないくせに!」
後ろを振り向くと、そのまま立ち去っていった。
少女は、図書館を走っていった。
飛行のスキルは使わなかった。
MP切れか、動転していたからか。
「どうしたんだろうねー」
『さっぱりわかりませんね。大丈夫ですか?主様』
「……そうだね。大丈夫だよ」
ピーターは、手を振り払われた理由がわからなかった。
ただわかっていたのは。
怒らせてしまったこと、もう一つ。
「どうして」
「?」
(どうして、あんな悲しそうな顔をしてるんだろう)
少女が、泣きそうな顔をしていることだけだった。
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