ここは魔術の国
「じゃあ、授業を始めるわよ」
最初にシルキーと戦った大広間。
攻撃の余波で、壊れたはずのテーブルも椅子も全て修復されている。
あるいは、同じ規格のものを用意したのか。
椅子に座っているのは、ピーターとリタのみ。
シルキーはカバのぬいぐるみの上に座り……テーブルから少し離れた場所にいた。
黒板が置かれており、それで教鞭をとるつもりらしい。
冒険者ギルドにもそういった形での講習があったな、とピーターは思い出した。
シルキーの格好も昨日とは違う。
細い棒を持ち、なぜか眼鏡をかけた状態であった。
なぜそんな恰好を、と思ったが、ピーターは聞かないことにした。
「はーい、ししょう!」
「何かしら、リタ」
「どうして、めがねをかけているんですか?めわるいの?」
ちなみにリタは聞くことにした。
ピーターだけではなく、リタもシルキーを師匠と呼ぶことにしたらしい。
それはともかく、改めてどうして眼鏡をかけているのだろうかとピーターは考える。
ひょっとして、彼女は目が悪いのかもしれない。
「ただの趣味よ」
「しゅみ?かっこいい!」
「……なるほど?」
よくわからないが、ピーターはとりあえず納得することにした。
リタは得心したらしく、うなずいている。
人によって趣味は様々だから、そう言われてしまえば納得し理解する外ない。
彼自身も、他人にはまるで理解されない特殊な趣味を持っているのでなおさらである。
彼は、それなりに知り合いや友人などに恵まれてはいるものの、
さすがに、好きな女性の踏んだ土を回収して舐めたり、スカートの中をのぞき込んだり、食べ残しを処理して恍惚としたり、足をつけた水で調理をしてそれを食べる、といった行為が少しおかしいとは思っているのだ。
実際は、少し、ではないが。
先日も、その異常な性癖が原因で、警吏に問い詰められたばかりである。
あまり自分の異常性を理解していないのが、「少しおかしい」程度にしか思っていないのが、ピーターの欠点である。
閑話休題。
シルキーは、一つ咳払いをして話を始めた。
「今日の食事、何だったかしら」
「じゃむです!」
「そうね、ジャムでもあるわね。ピーターはどう思う?」
「トーストとハムエッグでした。おいしかったです」
「あらありがとう。ちなみに、どうやって作られて運ばれたかわかる?」
「……いいえ」
全く分からない。
「なんでもいいわ、とりあえず予想してみて」
「魔法ですか?」
「違うわね」
「精霊に任せてる、とか?」
「それも違うわ。あれは私が運んでるのよ。魔術でね」
「魔術?魔法ではなくてですか?」
似たような呼称に思えるが、一体何の違いがあるというのだろうか。
呆れたような顔をして、シルキーは説明をする。
ほとんどピーターを前にした時の彼女は、そんな感じだ。
「魔術と魔法は全く違うものよ」
「そうなんですか?」
「?」
ピーターもリタもさっぱりわからなかった。
いずれも魔力を使って何かを起こすスキルであり、特に違うとは思えないが。
「端的に言えば、あんたが使っているのが魔法で、私が昨日使ったのは魔術よ」
「…………?」
ピーターにはそれでもよくわからない。
「ちょっと見せてあげるわ」
「これが魔法よ。【ライトニング・ボール】」
紫電の球体が飛翔。
蛇行しながら進み、壁に命中する。
わずかながらに壁が焦げ付くが、すぐに修復する。
「で、これが魔術よ。【ライトニング・ボール】」
先ほどと同じ、電球。
それが、形を変える。
丸から円錐に。
体積そのものも減じている。
まるで、魔法を圧縮でもしたかのように。
わずかに焦がすようなものではなく、壁に穴が開いていた。
すぐにふさがったが、その威力の差は歴然だ。
「今ので違いが分かった?」
「形が変わったってことですか?」
「少し違う、単に形状を変えるだけじゃなくて、形状、威力、射程、範囲などといった性質を変えるの」
形状を鋭くして、範囲を狭め、威力を増したのが先ほどの魔術だ、とシルキーは補足する。
そして、それを自在に行えるのが魔術であると。
「魔法は、特定のジョブに就くことで獲得できるスキル。魔術は、自分の意志で魔力を操作する技術よ」
「つまり?」
「魔力のエネルギーの変換、制御を全部自分の意志で行うってこと」
「……え?」
魔法のアレンジなら、聞いたことがある。
以前ピーターが相対し破壊した、『百面の鎧』なども広義的に見ればアレンジの一種である。
だがしかし、魔力を完全に制御してスキルを一から作るなど、どうなるのか想像がつかない。
「魔力の操作を体系的に理解して、使いこなす。それが魔術よ」
「…………」
「これからその基礎を話すわ。心して聴きなさい」
そういって、シルキーは授業を始めた。
◇
「――と、まあざっくりこんなところかしらね」
「ぜんぜんわかりません」
「すぴー」
「まあ、いきなり理解できるとは思ってないわ。そもそも私も全部理解できてるわけではないし。とりあえず休憩ね、そこで食べておきなさい」
食事だけおいて、シルキーはどこかへと消えた。
「本当に、知らなかったんだなあ」
「それは、魔法についてですか。しかしながら、無理もないのでは?」
「そうだね。否定しないよ。ただ、そうじゃない。それだけじゃない」
「どういう意味でしょうか?」
「まったく知らなかったんだ。自分が知らないってことを」
「…………」
それは、仕方のないことかもしれない。
今の今まで知る必要を感じてこなかったし、知ろうとも思わなかった。
そもそもこの国に来たのだって、何も魔法を、魔術を学ぶためではない。
ただ単にレベル上げの場を求めただけだ。
「知らなかったってことは、今までそれを見逃してたってことで……それを知らなかったら危機に陥ってたかもしれない状況があったってことだ。そう思ったら、すごく怖くなってしまってね」
「なるほど……」
「ですが、悔いることができるのは、あなたが生きているからです」
「私たちアンデッドは能力的にはともかく、精神的には成長しません。できません。あの日、死んだ時から精神の成長は止まっているのです」
「そうだね」
アンデッドは成長しない。
リタが最も顕著であり、もう二十年近く生きているのにいまだに言動は幼児の域を出ない。
ハルにしてもそうだ。
死んでアンデッドになって以降、精神の根底が変化することはなく、常に子供のことを気にかけている。
なので、ピーターは月に一度はアウファに手紙を出している。
これは、レベルについても同じだ。
人がレベルを上げるのと、モンスターのあげ方は異なる。
例えば、獣系のモンスターは、普通に生活するだけで成長し、レベルとステータスが上がる。
アンデッドもそれに近いが、少し違う。
周囲の怨念を取り込んで肥大化することで飲み、レベルが上がる。
それ以外でステータスとして成長することは出来ない。
変わらず成長せずただあり続けるか、怨念に飲まれて狂気に落ちるか。
アンデッドの末路は二つに一つだ。
「ですが、主様はまだ変われます。変わり続けて、強くなれます」
「そうだね、ありがとう」
「ぴーたーはがんばれる!」
「ありがとう、リタ、愛してるよ」
「うん、りたもだいすき!」
彼女がいる限り、ピーターは折れないし、止まらない。
変わらぬ愛を受けながら、ピーターは歩み続ける。
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