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試練を超えて

「とりあえず、今日はもう休んだ方がいいわね」



 シルキーは、アイテムボックスからひとつの瓶を取り出し、放ってよこす。



「高品質のポーションよ、使っておきなさい。ケガしてるでしょ」

「ありがとうございます、シルキーさん」

「待ちなさい」

「はい、何でしょうか」



 ポーションの類は、回復魔法が効かないピーターにも有効だ。



「私のことは師匠と呼びなさい」

「はい、わかりました師匠」

「…………」



 なぜか、シルキーが小さな可愛らしい口をぽかんと開けている。

 まるで驚いたかのような反応だが、ピーターには心当たりがない。



「もう一回呼びなさい」

「……はい?」

「だから師匠と呼びなさい、もう一回」

「はい、師匠」

「……もう一回」



 心なしか、嬉しそうに見える。



「師匠」

「……もう一回」

「師匠。あの、もうそろそろ」

「もう一回」

「あ、はい、師匠」



 こんなことをしている間に、いつの間にか夕方になっていた。



 ◇



「アンバー!この子たちを客室に案内してあげて」



 その言葉に、反応して一個のぬいぐるみが歩いてくる。

 先ほどまでシルキーに抱えられていた、白い虎のぬいぐるみだ。

 歩くぬいぐるみというのは初めて見た。

 ピーターは、違うと気づく。

 歩いているということは生物だ。

 そして、彼女は精霊を使う〈精霊姫〉。

 つまり。



「このぬいぐるみ、もしかして?」

「あらようやく気付いたのね。そうよ、擬態してるだけで立派な精霊よ」



 動いているさまを見てもなお、このぬいぐるみがモンスターだとは思えない。

 それほどまでに極まった擬態。

 いったいどれほど強力な精霊なのか。

 おそらくは、ハルやリタのような分隊級の一段階上の師団級モンスター、あるいはそのうえかもしれない。



「ええと……」

「夕食の時間になればまた呼ぶわ。それまで客室でくつろいでなさい」

「ありがとうございます。失礼します」



 一礼して、ピーター達は部屋を、巨大な部屋を出た。

 小さな、ともすれば猫のような大きさの精霊に案内されるのは妙な感覚だった。

戸惑いつつも、ピーターは客室に着いた。



「広いな……」

「うわーすごーい!べっどおっきい!」

「そうだね」



 三、四人は眠れそうなベッドが二つ置かれている。

 そしてそれが入ってなお狭いとは感じないほどに、部屋が巨大である。

 ほこりをかぶっている様子でもなく、綺麗な状態が保たれている。

 あるいは、何かしらのマジックアイテムによるものかもしれない。

 しいて奇妙な点を挙げれば、窓である。

 窓から見える景色は、一見本物のように見える。

 精巧な絵画のようなものだろうか、雲も宙に舞う葉も動かないのでおそらくは偽物だろう。



「やっぱり幻術なのかなこのツリーハウス」

「そうかもしれませんな。ただ、これは絵のようなものでしょう。幻術には程とおいかと」



 そんな会話を念話でしているピーター達をことを知ってか知らずか。



「夕食の時間になればお呼びします。それまでごゆるりとおくつろぎください」



 アンバーは、ぺこりと一礼して去っていった。



「ハル、あの精霊に勝てると思う?」

「無理ですね。主様のバフや、リタの援護込みでも難しいかと……。まるで底が見えません」

「やっぱりそうだよね。遠いねー」

「でもかわいいよね!」

「うん、そうだね」



 まあ敵対することもあるまいし、気にしなくてもいいだろう。

 ピーターも、ハルやリタも、これから強くなっていけばいいのだ。



「【ネクロ・ヒール】」



 シルキーからもらったHP回復ポーションとMP回復ポーションを飲みながら、ピーターはアンデッド専用の回復魔法をリタとハルにかけている。

 MPは先ほどまで空だったはずなのだが、飲んでからしばらくすると、ある程度回復してきた。

 MP回復ポーションは、HP回復ポーションと比べても即効性に乏しい。

 MPはHPよりも普段の回復速度が速いためか、あくまで一定時間その回復速度を高めるものが多い。その方が体への負担も少ないからだ。

 無理やり一時的に回復させるものもあるが、そういうものは体への負担も大きい。

 人が使うものではない、などという魔法職もいるくらいだ。

 ピーターも、知り合いの職人から飲まないようにくぎを刺されている。

 さすがは超級職にして、この国屈指の富裕層、十賢。MP回復ポーション一つとっても、ピーターが購入できるような市販品とは効力が違う。

 値段がいくらなんだろう、と考えかけて……怖くなったのでピーターは考えるのを止めた。


 その日は、今までにないほどピーターはよく眠れた。

 流石は最高級の寝具である。

 体が水中に入り込むように沈み込んでいくため、非常に気楽だ。


 

 ◇



 朝目覚めると、ピーターの隣には女神がいた。

 訂正。

 女神のごとき、幼女がいた。

 リタのことである。

 基本的に、リタは眠らない。

 アンデッドは肉体の疲労とは全くの無縁である。

 だが、リタの精神は人間の少女であり……肉体は眠らずとも精神が眠ることはある。

 戦闘を行った日に、休眠することが多い。

 今回は消耗も激しかったので無理もないだろう。

 ハルも、リタほどではないが休眠することがある。

 というか、今も霊安室の内部で休んでいる。

 昨日は三人とも疲弊していたのだから無理もない。

 だが、それはそれとして、世界で最も美しい光景が目の前にあることには変わりがない。

 さらさらと顔にかかる黒い髪が。

 普段は気づかなかった、長いまつげが。

 わずかに開かれて、すうすうと息を吐き続ける小さな唇が。

 横たわる体の手前で組まれた、小さな指先が。

 何もかもが、ピーターにとっては愛おしくて、触りたいと無意識に手を伸ばして、触れないことに気付いて、手を引っ込める。

 そのまま、ピーターの主観においては永遠に等しい時間が続いて。

 しかし、事態は動いた。



「ふわあああああ。ぴーたー、おはよう」

「…………」

「どうしたの?」

「――呼吸を忘れてたよ」

「?」

 非常に珍しい寝起きの顔を見て、ピーターは危うく昇天しかけた。

 好きな女性の寝起きの顔、自然体のどこか隙だらけの表情。

それも初めて見る景色なのだ。

呼吸を忘れて窒息死しかけてしまうのも、無理はないことではある。

 それにしても、息を荒くして、目を血走らせている今のピーターは客観的に見て、直視できるものではなかったが。

 あるいは、だからこそピーターは自身を客観視できないのも当然と言えるかもしれない。


 


「おはようございます。ピーター様」

「あ、おはようございます」



 小さな白い虎のぬいぐるみ。

 それが二足歩行で歩いているのは、シュールすぎる。

 先日も、夕食を運んできてくれた。



「朝食をお持ちしました」

「あ、ありがとうございます」



 自動的に、朝食の置かれたトレーが動いてくる。

 自動的に動くのが、遺体どういう原理でそんなことになっているのはまるで分らない。

 魔法で制御しているのかとも思ったが、ここまで自由に繊細にできる者だろうか。

 できないと思う。

朝食は、トーストとハムエッグ。

 ジャムの入った瓶とバターの置かれた皿もある。

 

 因みに、リタはジャムだけ味わうと、興味を無くして浮遊を始めた。

ピーターは、リタのスカートの中をのぞきながら食事をとることになった。



「ピーター様、ピーター様?」

「え、あ、何ですか?」



 文字通り、うわの空でリタのパンツを追いかけていると、に声を掛けられた。

 あわてて、意識が飛んでいたことに気付き、ボロボロあちこちにこぼしていたパンくずをぬぐいながらピーターは慌てて何事かと尋ねる。



「シルキー様がお呼びでございます」

「師匠が?」



 先日、ピーターの正式な師匠になった人物。マギウヌスにおける彼の後見人。

 そんな彼女に呼び出されることは、つまり。



「授業を始める、とのことです」

「わかりました、今すぐ行きます」



 ピーターは急いで身支度を済ませた。

 


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