2回目 批判者は、作者・読者とは別枠扱い
本題に入る前にこれだけは強調しておきたい。
批判者は読者ではない。
批判者は作者ではない。
批判者は、作者・読者とは別枠の扱いとする。
こうして区別しておかないと、批判者を作者・読者と混同するからだ。
批判者も、「読者の意見を~」などとぬかして、自分は読者であると擬態する。
読者が同調してるように見せかけようとする。
場合によっては作者を名乗る事もあるだろう。
しかし、違う。
批判者は作者・読者ではない。
批判者は批判者という枠組みに入れるべきものだ。
断じて、作者・読者と同じではない。
では批判者とはなんぞや?
そうなってしまうが。
ここでは、何か一つでも否定をしてくる者として扱う。
作品について、何でもいい。
何か一つでもケチを付けたもの。
否定をしたもの。
これを指す事にする。
もちろん、作品だけではない。
作者や他の読者、はては小説家になろうと、ここに関わるあらゆるもの。
これらを否定する者を指すこととする。
なんでそこまで厳しいの、と思われるだろう。
だが、これくらい厳しくしておかないと駄目なのだ。
もし少しでも見逃したらどうなるか?
批判者は「あ、やってもいいんだ」と考えて集まってくる。
一つでも受け入れたら、それを足がかりにやってくる。
だから、一つでも批判・否定・ケチをつける要素があれば排除する。
例え、その他全てが好意的・賞賛意見であってもだ。
極端な例を言おう。
最初の一回二回、その後もずっと好意的な意見を書き込んだとしよう。
しかし、何かの拍子に掌を返す。
そこからタダひたすらケチをつけてくる。
そんな事だってあるのだ。
この場合、相手の油断を誘うために。
懐に入るために好意的に接していたと判断した方がよい。
実際に批判を書いてる奴が何を考えてるのかは分からない。
分からないが、こう判断しておいたほうがいい。
他に判断のしようもないのだし。
逆に、好意的な態度そのものがつけ込む為の手段だったと考えた方が良い。
それくらい用意周到にやってくるもんだと思っておくべき。
実際、俺はそういう奴に何度かあった。
というわけで。
好意的な意見をいくら積み重ねていても、一つでもケチや文句や否定や批判をしたら批判者だ。
そう判断しておこう。
その場合、それまでの付き合いや意見など全て無視しろ。
大事なのは、「ケチや文句や否定や批判」があるかどうか。
この一点だ。
それは極端すぎる、と思うだろうか?
だとすれば、それは批判者が悪い。
なぜかって?
こうまで徹底して対処しなければならない原因を作ったからだ。
こちらはその対処をしてるだけだ。
対処する原因を作ったわけではない。
そんな批判者を、作者・読者と同列に扱ってはいけない。
独立した、批判者という枠組みの中に放り込んでおく事。
でないと、嫌な思いをする事になる。
筆を折るくらいの。
それでもかまわないというなら、ここで読むのをやめた方がいい。
これ以上この話に付き合うのは、時間の無駄だ。
そうではない。
少しでも問題や害を取り除きたい。
事前に減らしておきたい。
そう思うなら、この先に進んでもらいたい。
とはいえ、そう大した方法ではない。
以前ブログに掲載した方法を書き出すだけだ。
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