「私のために争わないで!」「わかった!」
タイトルがすべて。
聖フェリシア学園の空気はかつてないほどに悪かった。
原因は、五人の男と一人の女である。
公爵家令息のマルタン・ロワイヤル。
侯爵家令息のトリスタン・ユーゴー。
辺境伯令息のイザーク・ベルティエール。
伯爵家令息のホフマン・アルクティル。
伯爵家令息のトーマ・ペスカルロ。
五人の高位貴族の令息が、一人の女を取り囲んでいるのである。
女の名はデイジー・フロランタン。子爵家の庶子である彼女は母親の死をきっかけに子爵家に引き取られ、貴族が通う学園への入学を果たした。
はっきりいって、デイジーの出来は良くない。
しかし五人にかかればマナーの悪さは『天真爛漫』となり、傍若無人のふるまいは『無邪気』とされ、コロコロ変わる表情は『素直』になった。なお分が悪くなると都合よく出てくる涙は『感受性の強さ』になる。とてもポジティブな変換機能だ。
貴族令嬢としてなっていないデイジーは、しかしその顔の良さと庇護欲をそそる態度で高位貴族の令息に擦り寄り、見事彼らと親密になった。なお彼ら五人にはお決まりのように婚約者がいて彼らを諌めてきたのだが、「デイジーとはそんな仲ではない」とこれまたお決まりのセリフを返されている。
五人の男を侍らせてまだ足りないのか、デイジーはついに一学年上の第一王子に魔の手を伸ばした。もちろん王子にも婚約者がいる。
女子生徒はいつ自分の婚約者が誘惑されるかと恐れ戦き、男子生徒は高位貴族五人のとばっちりが来るのではと神経をとがらせている。王子を含めた六人の婚約者はいわずもがな、今までの関係はなんだったのか、と怒り哀しみ嫉妬に燃え上がった。
これで空気が悪くならないはずがない。学園長をはじめとする教師陣は胃薬が手放せず、デイジーの担任教師は毎朝枕に散った頭髪を見て涙に暮れていた。
第一王子がデイジーに目もくれないのが唯一の救いか。しかし靡かなければそれはそれで燃えるのか、デイジーはとうとう王子に色仕掛けをはじめ、五人の男たちの苛立ちはピークに達した。デイジーはヘイト管理すらできない女だった。むしろもっとやれと唆してすらいた。
そしてある日の昼休み、五人の男がデイジーをめぐって乱闘をはじめてしまった。
「きゃああああ!!」
甲高い、愉悦の滲んだ悲鳴に生徒たちが何事だと集まってくる。その中には第一王子と、五人の婚約者もいた。
どうやら誰がデイジーの一番かで争っているらしい。もはやどうして喧嘩しているのか本人たちにもわからないようで、貴族令息とは思えぬ罵倒を飛ばし合っていた。
「テメェ、マルタン! いっつも澄ました顔してやがって、気に食わないんだよ!」
「君が顔に出過ぎるだけだろう、人のせいにするな! そうやって暴力ですべてを解決しようとするのはイザークの悪い癖だ」
「ホフマン、君には慎みというものがないのですか? 女性に対しいささかはしたない振る舞いはいかがなものかと思うが」
「うっせーよムッツリ! 手も握らず女性を褒めることもできない男に言われたくねーんですけどぉ?」
「うわぁ、みんなそんなこと思ってたんだぁ、こわーい」
「うるせえよこのちゃっかり!」
トーマの茶化しに全員のツッコミが入った。
実はこの五人、第一王子の側近として王宮に上がっている、幼馴染でもある。そして彼らの婚約者は、五人の姉や妹だった。王子を含めて全員幼馴染の間柄だ。
あんなに仲が良かったのに、どうしてこんなことに――。誰もがそう思った時だった。
「みんなっ、やめてっ! 私のために争わないで!」
それはアイドルへの歓声にも似た、喜びに満ちあふれた声だった。
デイジーである。
彼女の可憐な顔は恍惚に上気し、瞳は爛々と輝いていた。
そもそもお前のせいだろ、とは誰のセリフだったのか。彼女を振り返った男たちはデイジーの顔を見た瞬間すんっと真顔になった。
「わかった」
「ああ、そうだな」
「くだらないな」
「なーんか白けちゃった」
「だよねぇ」
ぱっと喧嘩を止めた五人に、デイジーが「えっ」と漏らす。
「なんとなく引っ込みがつかなくなっていたが、デイジーといても別に楽しくないしな。リラのような造詣の深さも、慎みもない」
「うちのリラとあんな女を同列に並べるな。まあ同意だがな。淑やかなラベンダーとは違う甘ったるいキンキン声は耳に痛い」
「話すことといえば菓子やドレス、宝石のことばかり。薄っぺらい褒め言葉で高価なものをねだるなど……マーガレットを少しは見習うべきだ」
「俺のミモザとは比べ物になんねーわ。てかホフマン、姉さんを見習わせていいのかよ」
「ネロリと違う感じが珍しかったのかなぁ。っていうか僕、子供の頃みたいにみんなと一緒にいるのが楽しかっただけだしぃ」
トーマの言葉に四人が「それだ!」となった。
「えっ?」
喧嘩が止まったと同時にデイジーを冷めた目で見る五人にデイジーが目を丸くする。
「殿下の側近として己を律せねばならぬのはわかっていたが、昔のように遊びたかったのだな」
「大人になることが重圧だったのか……なんたることだ」
「本を読むだけではわからぬこともあるのだな。私もまだまだ未熟だった」
「あーカッコわる……。俺らすっげえダサくね?」
「でもさ、みんなとライバルっていうの、青春っぽかったよねぇ」
五人は笑いあった。もうすっかり仲直り、というよりデイジーなどいなかったかのようである。
落としたと思っていた男たちの本音に、デイジーは顔を赤黒くしている。高位貴族の令息に取り合われ、婚約者の令嬢や女子生徒を見下し、第一王子の妃になりいずれ王妃になって贅沢の限りを尽くす未来を思い描いていたデイジーには、男たちの言葉は屈辱だった。王子の妃になれなくても玉の輿だと思っていたのが、たった今、覆されたのだ。
「な、なんで……っ。みんな、どうしたの……っ?」
それでもデイジーは大きな瞳を潤ませ、庇護欲をそそる姿を作った。全員の目がデイジーに向く。
「どう、とは?」
マルタンが代表して聞き返した。
「だ、だってみんな、私のことが好きだって……可愛いって言ってくれたのに……。ひどいよ、騙してたの……?」
男たちに弄ばれた被害者のようなデイジーに、五人は不思議そうに首をかしげた。
「……好きだなんて言ったか?」
「言っていないな。そんな、心にもないことは言えん」
「私にはマーガレットがいる。誤解される発言は慎みたまえ」
「あー、可愛いは俺言ったわ。宮廷道化師みたいじゃねえ?」
「馬鹿な子ほど可愛いって意味だよ。気づいてなかったの?」
次々に繰り出される五人の本音にデイジーはもはや顔面を取り繕うこともできなくなった。それを見ていた生徒たちが思わず引くほど歪んでいる。
「……そういえば、婚約者のエスコートはしていたし、公務もしっかり務ていたな」
第一王子が額を押さえながら言った。小声のはずのその言葉は、やたら大きく響いた。
たしかにそうだった、と婚約者たちがポンと手を打つ。学園ではデイジーばかりをかまっていたが、婚約者との交流は欠かさなかったし、花やドレスなどの贈り物は婚約者たちの好みに決めてきた。
それだけではない、二人きりの時は、堅物のトリスタンでさえしどろもどろになりつつも甘い言葉を囁いてきたのだ。
つまり彼らは本当に「デイジーとはそんな仲ではなかった」のである。むしろデイジーをダシに、五人で遊んでいたようなものだ。どうりで堂々としていたわけである。
「私の側近大丈夫か?」
第一王子の嘆きに五人の男と一人の女を除いた全員がうなずいた。
「……お前たち! 何を自分たちだけで遊んでいる、私も混ぜろ!」
そうじゃねーだろ、と思った者たちは賢明にも口には出さなかった。婚約者たちのことを思えば一人の女を囲うよりずっと健全だ。王子の気づかいにそっと目元を拭う生徒までいる。
「わあ、殿下と遊ぶのは久しぶりですねっ」
主人の登場に尾を振る犬のような男たちに、それぞれの婚約者は脱力した。それから顔を見合わせる。
うん、学生の間くらいは良いわよね? 暗黙の了解でうなずきあった六人の女たちは、笑顔で幼馴染の下に駆け寄った。
「まーぜーてー!」
「お兄様、リラも交ぜてくださいませ」
「わたくしもご一緒しますわトリスタン様」
「こら、ホフマン! どうしてお姉様を見習っちゃいけないのか説明してもらうわよ!」
「男の子ばっかり、ずるいですわー!」
「今日こそ決着を付けますわよ殿下」
こうして高位貴族の令息と令嬢の仲は元に戻り、学園に平和が戻ってきた。頭髪が憐れなことになったデイジーの担任教師以外はホッと一息だ。
「ねえちょっと、どういうことよ。私はどうなるのよ。私のために争いなさいよー!!」
玉の輿を諦められないデイジーだけが叫んでいたが、彼女の野望が叶えられることはついぞなかったという。
第一王子「私の名前は?」
担任教師「髪は死んだ!」
男たちがデイジーに引っかかったのは、婚約者と遊ぶ(健全)のは令嬢だから無理だよな……と思っていたから。これから馬で競争したり、家の敷地内で宝探ししたり、罰ゲーム付きのゲームやったりと昔みたいに遊びます。はじめて会った時と変わらない笑顔にときめいたりする。
婚約者たちはしばらくはちくちく嫌味言ったりしてたけど結局許しちゃう。男って馬鹿なのね……と呆れつつ手の平でコロコロすればいっか、となるでしょう。
五人とデイジーは十五歳、第一王子とその婚約者、マーガレットが十六歳です。