第九話 精霊術
「ステフお嬢様? 顔色がすぐれないご様子ですがどうされました?」
侍女のエマは心配した様子でステファニーの長い髪をすいていた。
「ちょっと嫌な夢を見ちゃって……」
「そうですか。ですが、悪い夢は吉兆を表しているとも言われてます。元気出して下さい。」
「エマ……ありがと。それにしても昨日はあんなに飲んでいたのにあなたは元気なのね、ミアはあそこで死んでるけど」
だらしなく足を開いて椅子に座り、口を半開きにして上を向いている。
「あぁあぁぁ、気持ち悪い。もぅダメ」
「ミア、あなたはお酒弱いのにあんなに飲むから。まったく、家政婦長にサボってるのがバレたら殺されるわよ」
「うぅ、気持ち悪すぎて動けないんだもん」
「私が部屋を出るまで休んでていいわよ」
「ステフお嬢様~」
「もうステフお嬢様はお優しすぎですよ」
エマは少し不満げな表情でステファニーの髪をまとめようとしていた。
「あ、今日は激しく動くから、髪の毛が邪魔にならないようにしてほしいな」
「そうですか、それならポニーテールがいいですね。ステフお嬢様がとても可愛く見えますし」
「可愛いかどうかは別にして、ポニーテールいいかも。でも前髪が邪魔になるかな」
「では、前髪を編み込みしましょう! 前髪を全部後ろに持っていくより断然可愛いので!」
エマは鼻息を荒げながら前髪を右側に編み込んでいき、途中から三つ編みにして耳の後ろでピンで留めた。
「これであれば激しく動いても髪が邪魔になることはないですよ」
「ありがとう! これなら全然髪の毛が乱れなさそうね」
「あとは洋服ですが、練習着より今の髪型が似合う可愛いドレスの方が良いかと……」
エマの目線には使い古された亜麻のシャツとズボンがあった。少し汚れているが丈夫で動きやすい服であるためステファニーは気に入っていた。
「ふふ、ドレスじゃ訓練出来ないよ。エマったら変なこと言うのね」
「実用性があるのは分かりますが、あまり可愛くない服なので……」
「エマ! あなたは分かってない!」
さっきまで二日酔いで動けなかったミアが急に立ち上がり大きな声で叫んだ。
「ステフお嬢様みたいな可憐な少女が薄汚れた服を着て激しい運動をする姿! そしてキラリと光る汗の何とも言えぬ美しさをあなたは理解していないのよ!」
ミアの力説は誰の心にも響かなかった。ステファニーとエマはまるで汚物でも見るかのような目をミアに向けた。
「さぁ、ステフお嬢様。朝食を食べに行きましょうか。」
「そうね、行きましょう」
その場に残されたミアは蔑んだ目で見られるのも良いかもしれないと一人悦に入っていた。
朝食を食べ終えたステファニーはソフィアと一緒に訓練所に向かった。
訓練所には簡易な木造の建物と馬小屋があり、建物の中は武器庫、医務室、食堂、風呂場、休憩室、室内訓練場がある。
基本的には外で訓練を行っていて、今日は七歳から十五歳の男女が体力作りのために甲冑を身につけて走り込みをしている。
女性は三名で男性は十六名おり、全員が貴族出身だ。貴族は一般的に七歳から九歳までの間は実力のある騎士から指導を受け、十歳から十五歳までは国が貴族教育のために作った宮廷学校に通う。
騎士を志す者は宮廷学校に通わずに騎士の下で経験を積み、十五歳から二十歳ぐらいの間に騎士叙任式を経て騎士になる。
精霊騎士のライリーとソフィアから指導を受けたという箔を子供に付けたい貴族の親からの依頼が最初は多かった。
しかし、指導を受けた子供たちが宮廷学校に進まず、騎士になりたいと願う者が続出して問題になった時期もあった。
今いる騎士見習いの中でステファニーが目を付けている人物が三人いる。ライリーとソフィアに内緒で騎士見習いたちと練習試合をしているが、その三人には一度も勝てたことがない。
そのため、三人に勝つことを当面の目標としていた。
ステファニーは騎士見習いと一緒に体力作りの走り込みをすると思い、自分の甲冑がないか見渡すが何処にも用意されていなかった。
「お母様、私の甲冑はどこにあるの?」
「今日は甲冑を着ないわよ。皆と一緒に訓練するのは来週からにしたの。一週間は私がステフに精霊術の訓練をするわ」
「えっ! うそ! やったー」
ステファニーは喜びのあまりに嬉しさを全身で表現していた。
「黒い精霊の件があったから精霊術はしばらく学べないと思ってたの! お母様大好き」
「ああ、ステフったら、私も大好きよ」
ソフィアはとろけるような笑顔を浮かべてステファニーを抱きしめた。
「あのね、訓練の件はライリーと話し合って決めたのよ。黒い精霊が何であれ、精霊に慣れることが必要だってことになったの。だから、あとでライリーにもお礼を言ってあげて」
「はい、お父様にいっぱいありがとうって言うね」
「ええ、きっとライリーも喜ぶわ。さぁ、精霊術の訓練を始めましょうか」
「うん!」
「では訓練中、私のことをお母様ではなく師匠と呼びなさい」
「はい、師匠」
師匠と呼ばれたソフィアは胸を張って満足げに頷いた。
「よろしい。ステフはきっと光の精霊術から学びたいと思っているかもしれないけど、光の精霊術は特殊だから基本の四属性で慣れてから教えるわね。まずはイメージしやすい火の精霊術から始めましょう」
ソフィアが手のひらを上に向けると、赤々と燃えている拳ほどの大きさの炎が現れた。周りには赤く光輝く球体が漂っている。
「師匠である私がしているみたいに火を出したいって心の中で精霊に話しかけてみて。最初はこの大きさは厳しいから……このぐらいがいいかしら」
炎の大きさが小さくなっていき、小指の先ほどの大きさになった。
「いい、一番重要なのは本当に火を出したいって想うことよ。その想いに精霊が答えてくれるから。もし心の中で精霊に伝えるのが難しいと思ったら、口に出してもいいわよ。さぁ、やってみなさい」
ステファニーは右手を胸の高さまで上げ、手のひらを上に向けて心の中で精霊に想いを伝えた。
(火の精霊よ、お母様みたいに火を出したいの。お願い、火よ燃えろ!)
手のひらの上に巨大な炎が一瞬噴きあがり、その勢いに驚いてステファニーは尻もちをついた。
炎は消えてしまったが顔や体に感じた熱はほのかに残っており、ステファニーは精霊術を使えた実感を得て自然と笑みがこぼれた。
「ああ、大丈夫? ケガしてない?」
ソフィアは腰をかがめて手を差し伸べた。
「ふふ、ふふふ、あははははは! 使えた、精霊術が使えたわ! お母様、見てた? 私、精霊術使えたよ!」
「ええ、見てたわよ。大きな火だったわ。練習し始めは精霊術が使えない子が多いのに。ステフ、あなた天才よ」
ソフィアに褒められて、ステファニーは子供らしい愛くるしい笑顔を見せた。
「さぁ、立ち上がりましょう。訓練は始まったばっかりよ、あと私のことは師匠と呼びなさいっていったわよね」
「あぅ、はい。師匠」
ステファニーはソフィアの腕を手に取り立ち上がって砂埃をとるためにおしりをはたいた。
「今日一日かけて精霊術が使えるようになれば御の字と思っていたけど、まさか一回目からできるようになるなんて。よっぽど精霊術が使いたかったのね」
「うん! す~っごく使いたかったの! でも、何で一瞬で消えちゃったのかな? 師匠みたいにずっと火を出してることが出来ないの」
ステファニーはさっきまで明るい表情をしていたのに、急に暗い顔になった。
「ふふ、コロコロ表情が変わって忙しい子ね。本当はもっと後で教える予定だったけど、精霊術を維持する方法を教えちゃうわ」
「わぁ~い、さすが師匠」
ソフィアは腰に手を当て胸を張って教え始めた。
「すぐ消えてしまった理由は二つあるの。一つ目の理由は火をどうしたいかイメージしていなかったからよ。これは簡単に出来るようになるわ。二つ目は集中力の欠如よ」
「集中力?」
何を言っているか理解が出来ず、ステファニーは首を傾げて聞き直した。
「そう、精霊術を自由自在に操るには集中力が必要なの。さっき火に驚いちゃったでしょ」
ステファニーは恥ずかしさで頬を染めて目をそらしながら頷いた。
「そのときに精霊との繋がりが切れて火が消えたのよ。だから、どんなことがあっても集中力が乱れないようにしないといけないの。集中力を高めるには訓練あるのみよ。理解できた?」
「はい、師匠。イメージと集中力……。もう一回試していい?」
「ええ、いいわよ」
ステファニーは眼を閉じて大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。全身の力を抜いて精霊術を使うことだけに集中した。
両手を胸の前に持ち上げ、何かを包み込むかのように手を近づけた。両手の間に少し空間がある。
その空間に、球状の火の塊が浮いている様子をイメージする。そのイメージを精霊に心の中で伝えた。
ゆっくりと眼を開いていくと、両手の間に直径四センチほどの火の玉が現れた。
ステファニーは冷静に火の玉を見つめ、消えないように集中した。
「凄いじゃない! もうコツを掴んだのね!」
ステファニーは返事をしたら火の玉が消えてしまう気がして、目線をゆっくりとソフィアに向けて頷いた。
「ステフ、あなた才能あるわよ。本当に凄いわ……。教え甲斐があるわね」
ソフィアの顔が急に真面目になり、今まで見たことがない表情にステファニーは動揺した。
その動揺が精霊に伝わり、火の玉が揺れて少し小さくなった。
「集中しなさい!」
ソフィアが厳しい声で注意した。その声には母親としての感情は一切含まれていない。
ステファニーは視線を火の玉に戻して心を落ち着かせた。
「ステフ、その火の玉を維持するだけではなく、もう少しだけ大きくしなさい」
ステファニーは眼を閉じて精霊に想いを伝える。
(精霊よ、火の玉を大きくしたいの。力を貸して)
赤く光輝く球体が増えて、火の玉が赤々と燃えあがり大きくなる。
「もっと大きく!」
ソフィアの指示に従って、ステファニーは精霊にもっと大きくするよう願った。
火の玉がますます燃え上がり顔と同じぐらいの大きさになった。
「その大きさで止めなさい! 大きさはそのまま維持!」
火の玉を大きくするのを止めて、大きさを維持し続けた。
ステファニーの額から脂汗が流れ、地面に落ちる。動悸が激しくなり息が苦しく、立ってるのが辛くなってきた。
「まだよ、まだ維持しなさい!」
全身から汗が噴き出し、呼吸が乱れる。意識が朦朧としたが、必死で精霊術を維持し続けた。
顔を歪め、息も絶え絶えになって全身が震える。火の玉が球体を維持できなくなってきている。
風前の灯のように大きく炎が燃え上がって火の玉が消えた。同時に、ステファニーは糸が切れた操り人形のように倒れこみ、意識を失った。
ステファニーが意識を取り戻すと、自分がソフィアに膝枕してもらってることに気がついた。
「あっ、お、お母様。私は……」
「いいのよ、動かないで。あなたは気を失ってたのよ」
「私はどのくらい気絶して……」
「十分ぐらいかしら。どうだった? 限界まで精霊術を使った感想は?」
ソフィアはいたずらな微笑を浮かべて聞いてきた。
「凄く疲れて気持ち悪かった……」
「そうよね、ごめんなさい。あなたに自分の限界を知ってほしくてわざとさせたの。精霊術は便利だけど扱うのはとても難しいわ。集中力が切れると術が発動しなかったり、使いすぎるとさっきみたいに気絶しちゃうし、体調を崩してしまうこともあるの」
「うぅ、気絶しちゃうなんて恥ずかしい……」
ステファニーは気絶したことが恥ずかしくて顔を手で隠した。
「恥ずかしがらなくていいのに。むしろ誇りに思いなさい。初日にここまで精霊術を使いこなせたんだから」
ソフィアが優しい笑顔を向けているのをステファニーは指の間から見つめていた。
「……ありがとう」
小さな声でつぶやき、顔が赤くなった。ステファニーは赤くなった顔を見られないように仰向けから横向きに体勢を変えた。
ソフィアは何も言わず膝枕したままステファニーの頭をなで続けた。
しばらくするとステファニーは立ち上がり、深呼吸した。
「うん。もう大丈夫。お母様、訓練再開しましょう」
ソフィアは一瞬目を見開いて、微笑を浮かべた。
「ええ、そうね……。今日はあと五回ほど同じ事をしてもらおうかしら」
ステファニーは冗談だと思って聞いていたが、本当に気絶するまで精霊術を使わされた。三回ほど気絶した時は、訓練再開しようと言った自分を恨んだ。
しかも五回目の気絶で終わらず、まだあなたなら出来るとソフィアに言われて計八回気絶して一日目の訓練が終了した。
翌日から火ではなく水、土、風の順番で同じことを繰り返し、数え切れないほど気絶した。気絶から覚めると前より強くなった気がして、途中からステファニーは自ら進んで限界を越えて精霊術を使っていた。
「ん~、ステフ、あなたわざと気絶してない? 確かに使えば使うほど精霊術は強くなるけど……良くない傾向ね」
ソフィアは腕を組んで考え込んでいた。ステファニーは想像以上に精霊術を扱えているし、何度も限界を越えて使っているため精霊術が強化されている。
しかし、限界を越え過ぎてしまうと体に悪影響を及ぼし、下手をすると死に至る危険性がある。
今はソフィアが適切に指導しているから平気だが、ステファニーが隠れて一人で訓練したら由々しき事態を招く可能性があった。
「ステフ、精霊術を使いすぎると体調を崩してしまって、最悪の場合は死んでしまうこともあるの。だから、今後は気絶するまで精霊術を使うことは禁じます。気絶直前までならいいけどね」
「はい……」
ステファニーの表情はいかにも納得していない様子だったので、ソフィアは心をくすぐる言葉を口にした。
「その代わりに、精霊術の応用編と光の精霊術を教えるわ」
ステファニーの眼が輝いて表情が晴れた。嬉しさのあまり、ソフィアに抱き付こうとしたが疲れきった身体は言うこと聞かず、その場に倒れ込んでしまった。
「ぐぬぬぬぅぅ、今すぐ教えてほしいのに……」
「今日はゆっくり休みましょう、明日ちゃんと教えるから」
「絶対の絶対だよ、約束だからね」
「ええ、約束よ。さぁ、屋敷に戻りましょうね」
ステファニーはソフィアに優しく抱きかかえられ、屋敷に戻った。
明日は二回目更新します。
文字数が一万二千を超えていたので、二つに分けます。