第三十九話 始動
ステファニーがジーナに鞭で叩かれていた頃、遠く離れたとある場所で白衣を着た紫色の髪の女性が興奮した様子で培養槽を眺めていた。その培養槽から液体が抜かれていく。
「やっと、やっと……目覚めるのね、レガリエル」
液体の抜けた培養槽が開き、身体を固定していた器具が外れて全身金色の鎧を纏った何かが倒れ込むように出てきた。三メートル五十センチほどの巨体を白衣を着た女性が受け止める。
「レガリエル……」
白衣の女性がレガリエルと呼んだ男は芸術品のような美しい紋様が刻まれた黄金の鎧を纏っているが、姿形は五種族の鎧とは似ても似つかない。何故なら、レガリエルは外装と呼ばれる鎧のような金属の皮膚を持つ金属生命体だからだ。
ステファニー達がフェルサ帝国で死闘を繰り広げた魔族プロノアも同じ金属生命体だが、先天性障害により外装の皮膚が無かった。もしプロノアにレガリエルのような外装があればステファニー達は生きて戻ることができなかったであろう。
白衣を着た女性が金色の外装を何度も叩き、様子を見ながらレガリエルに話しかける。
「ねぇ、私の声が聞こえる? レガリエル、意識はある?」
「あぁ、うっ、ここは…」
「レガリエル、大丈夫? 私がわかる?」
レガリエルと呼ばれた魔族は朦朧とした意識の中で声がする方を見る。ゆっくりと焦点が合わさると、心配そうに見つめる白衣の女性がいた。奇妙な格好をした奴がいるとレガリエルは思ったが、どこか懐かしい気配を感じ取った。
「お前は……チエルか?」
「ええ、そうよ」
返事をしたチエルに対してレガリエルは違和感を覚えた。ただ、それ以上に自分がどこにいるか理解が出来ず、チエルに問いかけた。
「チエル、ここはどこだ? オレは……戦場にいたはず……」
先ほどまで血や汚物や焦げた肉の匂いが充満した戦場で精霊及び五種族と戦っていた。精霊騎士と呼ばれていた人族の頭を握りつぶし、縮み上がった五種族をなぎ倒していき、首領の精霊王の目前まで迫っていた。それなのに今は薄暗い研究室のような空間にいて、目の前には戦場にいるはずのないチエルがいる。自分が置かれた状況を把握できず、レガリエルは意識が飛びそうになって左手で頭を押さえた。
「うう、う……何が起きたんだ?」
「レガリエル、落ち着きなさい。ほら、一息入れて」
深々と、そしてゆっくり呼吸を繰り返し、レガリエルは少しずつ落ち着きを取り戻した。その様子を見て、チエルは語り掛ける。
「何があったか教えるわ。あなたは……正確に言えば精霊と戦ってた私たちのほとんどが、精霊王によって封印されたのよ」
「封印?」
「最前線で戦っていたあなたには一瞬のことで覚えていないのかもしれないけど、精霊王が放った光が……」
「そうだ! 目がくらむほど強烈な光を浴びたんだ。そして目を開けると……オレはここに……なぁ、チエル、戦いはどうなった? オレの家族は無事なのか!? 創造主は……」
「きゃっ、ちょっと落ち着いて、順序立てて説明するから落ち着いて!」
巨大なレガリエルが覆い被さるかのように華奢なチエルの身体を掴み、揺さぶる。
「痛いっ、落ち着いて……痛いって言ってるでしょ!」
「あ、す、すまん。だが何が何だか分からなくて……」
「まぁ、そうよね。混乱しているでしょう。だからこそ、落ち着いて私の話を聞いて。私たちに何が起きたか。そして、この状況を理解してほしいの」
チエルは子供を諭すかのように優しく落ち着いた声色で話しかける。レガリエルは動揺しているとはいえ大人げない態度をとってしまったと思いながらチエルから手を離した。
「ああ、取り乱してしまって申し訳ない。もう……大丈夫だ。話してくれ、一体何があったのか」
「ええ。戦場の最前線であなたが精霊王の目前まで近づいていた事は覚えているようね。あの時、精霊王はあなたに殺されると確信したんでしょう。だから自分だけでなく全ての精霊の身体を代償にして強力な封印の精霊術を使ったのよ。精霊王を中心に光がどんどん広がり、最後にはこの星全体を覆ったわ。その光を浴びた者は石になって封印された……あれは恐ろしかったわ。中心地から離れれば離れるほど、ゆっくりと身体が石になっていくのよ。もがき苦しみながら石になった者、光から逃れようとする者、家族を……仲間を守ろうとして庇った者、互いに抱きしめ合っている者もいたわね。本当に……本当に酷い有様だったわ」
「そうか……」
レガリエルが力強く拳を握り、金属が擦れる音が虚しく響き渡る。チエルがその金属の拳をそっと触れると金属音が止まり、静寂に包まれた二人は見つめ合う。
「オレがさっさと精霊王を殺しておけば……」
「自分を責めないで……あなたのせいじゃないし、たらればの話をしても何も変わらないわ。そう、あの戦いからもう六千八百二十四年も経ってるのよ」
「は? 六千……? オレが封印されてそんなに経っているのか!」
「ええ、そうよ……だから、そのせいで……」
チエルが眉間にしわを寄せ、怒りを込めた口調に変わっていく。
「封印された仲間たちのほとんどが死んでいったのよ!」
「そんな……封印されている間に壊されたのか」
「いいえ、違うわ。そうじゃないの。封印の精霊術は……奴らと同じで陰湿で狡猾で凶悪なひどい、悪魔の所業のような術だったのよ! あの術で封印されている間、少しずつ、ほんの少しずつだけど身体から魔力が抜けていくようになってたの! 私たちの命の源と言える魔力が……」
「まさか……」
「ええ、そのまさかよ! 皆……身体を維持できるほどの魔力が残っていなかったの! 精霊術を解読して封印を解けるようになったのが今から三百七十八年前……遅すぎた、遅すぎたのよ! 封印を解いたとき……私の目の前で……仲間の、家族の身体が朽ち果て、消えていったわ……私は何もできずに呆然と見つめることしか出来なくてっ!」
怒りで魔力が身体から漏れ出て、瞳孔が縦長に変化する。
「レガリエル、この地に蔓延る悪鬼羅刹の如き極悪な精霊と五種族を滅ぼすために力を貸して! 三強の一角であるあなたがいれば、私の計画が数百年以上は早まるわ」
憎悪にとらわれたチエルを見て、レガリエルは思わず呟いた。
「変わったな」
「何?」
レガリエルは睨みつけてくるチエルを悲しそうに見つめ返した。
かつてのチエルは、創造主が最初に生み出した十二体の生物の中で、知的で笑顔が似合う明るい女性だった。そして、暴力を嫌う穏健派だった。そんなチエルが今や復讐に身を焦がし、精霊を滅ぼそうとする強硬派になっている。六千年という年月が彼女をここまで変えてしまったという事を考えると、レガリエルは胸が締め付けられるほど悲しくなった。
「いや、何でもないさ……」
「で、返事は?」
「ああ、協力するに決まっているだろ。全ての連中を殺し尽くしてやるさ」
チエルの変わり様に胸を痛めながら、重々しい声で返答する。このような事態になった責任は全て自分にあるとレガリエルは考えていた。
何故なら、創造主に精霊と戦うよう進言したのはレガリエルだった。精霊と対立した出来事は別だが、戦争のきっかけはレガリエルの進言であり、その戦争にけりをつける事が自分の責務であり贖罪だと考え、何があってもひたすら戦い続けていた。
封印が解かれた今、自分がすべき事はこの星に存在する全ての生物を殺し尽くす事だと決心した。
「さぁ、狩りにいくとしようか」
レガリエルの発言を聞いて、チエルは口が避けるほどの笑みを浮かべる。
「流石はレガリエルね……でも今はまだダメよ」
「は?」
「だって、あなた目覚めたばかりなのよ。自分の魔力残量分かってるの? 生命活動ができるギリギリなのよ」
「そんなに魔力が……ないのか?」
レガリエルは自分の両手を見つめ魔力を使おうとした瞬間、チエルが腕を掴んだ。
「ダメ、魔力は使わないで! 下手したら死ぬわ?」
「お、おぅ」
「本当に使ったらダメよ、いいわね。まずは魔力を回復して行きましょう。まぁ、今の設備ではほんの少しだけしか回復出来ないけれど……」
「そうか、魔力を回復出来るのか……チエル、お前は天才だよ」
「ええ、そうでしょそうでしょ。なんて言ったって私は稀代のマッドサイエンティストだからな」
チエルは羽織っている白衣を掴んで勢いよく広げた。白衣をなびかせながらチエルは変なポーズを取り、少しズレ落ちた眼鏡を中指で持ち上げて決め顔をレガリエルに向ける。
レガリエルはチエルの奇行に呆気にとられ、何も言えずにいた。
「ん、どうしたの? 見惚れてしまって言葉も出なくなった? ふっ、やっぱりマッドサイエンティストはこの格好よね」
「すまん、言っていることが一ミリも理解できないんだが……」
「あっ、まさかマッドサイエンティストは禿げかけた白髪の老人じゃないとダメって言いたいの!? 私は……」
「あー、分かった分かった。はぁ、お前は天才でマッドサイエンティストでその格好はお似合いだよ」
「でしょ!」
先程の修羅の如き表情とは打って変わって無邪気な笑顔を浮かべるチエルを見て、レガリエルは意欲を失ってため息をついた。
「はぁ……ったく、五種族の文化にかぶれ過ぎじゃないか」
「そうかしら? どのへんがそう思うの?」
「その姿や格好のことだよ。あとなチエル、お前の口の動きがオレの耳に聞こえてくる言葉と違うんだよ……お前が使っている言葉は……」
「あ、そういえばレガリエルは五種族の言葉使えなかったわね。だから違和感を感じるのよ。精霊の加護を受けているからレガリ……」
精霊の加護という言葉に反応したレガリエルは、チエルの話が途中から頭に入らなくなった。
かつて魔族と五種族は異なった言語を使用していたせいで互いに意思疎通が出来ず、無意味な争いが起きていた。それを不憫に思った精霊王が強力な秘術を使った。その秘術は精霊の加護と呼ばれている。
精霊の加護によって魔族には五種族の言葉が魔族の言葉として聞こえるようになり、五種族も同様に魔族の言葉が五種族の言葉として聞こえるようになった。言葉が通じ合うようになり、互いに歩み寄って共存するかと思えたが、結果は多くの尊い命が失われる戦争に発展した。
そのような経緯があり、レガリエルは精霊の呪いだろうと言おうとしたが、言ったところで無意味な口論になって言い負かされるだけだと考えて言葉を飲み込んだ。
「ねぇ、ちゃんと聞いてるの? 五種族の言葉を覚えるのに私も苦労したのよ。五種族の中に入り込むために覚えたくもない言語や文化を学んで……でも、そのおかげで私の子飼いの愚かで醜い五種族たちが各国の主中枢に入っているわ。もう五千年以上になるかしら……五種族の文明が発展しないように暗躍し始めたのは」
チエルは今まで数え切れないほどの五種族の孤児を養護し、優秀な人材がいれば洗脳して様々な国に送り込んでいた。国を内部から腐らせ、戦争を仕組み、資金を搾取して強国が台頭しないようにしていた。いまでは妖精の国以外の全て国家に間者を送り込んでいて、チエルが世界を裏から操っていると言っても過言では無い。
「へぇ、そんな面倒くさそうな事やってたのか」
「ええ、レガリエルじゃ絶対に無理な事をやっていたのよ。あなたは力任せに暴れてることしか出来ないでしょ」
「おい、確かに暴れまわって破壊するのは得意だが言い方ってのがあるだろ」
「あっ、破壊で思い出したわ。魔力が回復したら……」
レガリエルの言うことを無視して一方的に話しをするチエルは口が避けるほどの笑みを浮かべて言い放った。
「クラークル共和国とエイジス大帝国を滅ぼして」
レガリエルの見た目は細身のスーパーロボットをイメージしています。




