第二十九話 襲撃
「えっ、ここ何処」
「クソッ、真っ暗で何も見えないぞ」
近くには精霊が発する微かな淡い光以外の明かりはなく、暗闇だけがあたり一面を支配していた。
「クライヴ」
「ああ」
追いついたアメリアとクライヴが子どもたちを抱えてエイダンがいる方に走り始めた。暗闇の中、料理の際に使った薪の残り火が見えてくる。
「アメリア、子どもたちは無事か」
「ええ、無事よ。そっちは」
「こっちも大丈夫だ、全員いる」
アメリアは微かな火の明かりを頼りに全員が無事か確認している。クライヴとモーリスが兜を被り、武器を構えて兵士たちと一緒に子どもたちを守るよう陣取った。顔を覆い隠すベールがついたフードを被っているローラは短剣を地面に叩きつけ、音の反響でここが何処なのか調べている。
「何が起きたか分からないけど、ここはさっきいた部屋と全く同じ大きさよ。ただ違うのは奥にとてつもない大きな空間があるの。明らかに私たちはさっきとは別の場所にいるわ。信じ難いけど、強制的に空間転移させられたって感じね。微かに空気が流れる音が聴こえるから、空間把握が出来ない遠い場所、下手すると数キロ先に出口がある可能性があるわ」
「空間転移? そんな事が出来るなんて聞いたことないぞ。どうなってんだ」
「落ち着け、クライヴ。何でこうなったかなんて誰にも分からん。今分かってることは何が起きても子どもたちを守るってことだけだ」
「ああ、そうだな」
「皆、危険かもしれないけど状況把握のため火の精霊術で明かりを照ら……えっ、嘘、待って」
火の精霊術を使おうとしたアメリアが体を震わせて震えた声で言った。
「ここは……精霊がほとんどいないわ」
全員がアメリアの発言に驚愕した。特に精霊術に頼った戦い方をするインテグリダーは青ざめた表情をしている。
「ローラ、アメリアさんが言ってること本当か」
「ええ……、正確には子どもたちがさっき使った精霊だけしかいないわ」
「マジかよ」
「うむ、アダルとユナは松明を持て。ジャンスとチュオンはここを片付けろ。片付け終わったら荷物を持って探索を始めるぞ。アメリア、精霊の数に限りがあるならインテグリダーと相談して使う精霊を割り振りしろ。松明以外に二つは明かりが欲しい」
エイダンの指示で大人たちは慌ただしく動き始める。子どもたちは身を寄せ合って小声で話し始めた。
「このような状況になったのは私たちが精霊術を使ったせいですかね」
「知らねぇよ。モーリスのおっさんが言ってただろ。誰も分からねぇってよ」
「ステフちゃん、どうしよう」
「大丈夫だよ、心配ないって」
「うぅ、なんでそんなに落ち着いていられるの」
「だって、精霊術が使えなくても先生たちは強いし、インテグリダーや兵士も中々の手練だから、どんな魔獣が襲ってきても安全だよ。出口もありそうだしね。私たち子供が足を引っ張らなければ大丈夫」
「いや、それを君が言いますか? 一番最初に走り出して壁画に攻撃したのはステファニー、あなたでしょ」
「さっきと今は状況が違うからいいの」
「あはは。うん、そうだね。先生たち頼りになるもんね」
「そうそう、だから大丈夫だよ。それよりも……本当にここに財宝あるんじゃない?」
「だよなぁ、オレもそう思ってんだ。ここを誰も知らねぇってことは手付かずの財宝があるだろ」
「だよね。フィルス、先生たちにバレないように探そう」
「ああ、いいぜ。見つけた財宝は山分けだぞ」
「君たちは……」
「こら、ステファニーちゃんとフィルス君。ちゃんと聞こえてますよ」
暗闇の中からアメリアの怒った声が聞こえる。
「アダル、ユナ。問題児のステファニーちゃんとフィルス君をしっかり見張っといて」
「はい」
松明を持ったアダルとユナが二人に厄介事を起こすなと言わんばかりに睨みつけた。
「むぅ、ダメっぽいね」
「チッ」
「当たり前ですよ、何を考えているんですか。そもそも足を引っ張らないようにって言ったのはどこの誰ですか」
ブレインが二人を注意している内に大人たちの準備が終わった。エイダンの指示のもと、奥に進んでいく。遺跡内に響き渡る石畳を歩く音と鎧の金属音が異様な雰囲気を醸し出している。
遺跡の奥はローラが言ったように広大な空間があり、松明の明かりでは左右の壁すら確認できない。危険を承知でアメリアが火の精霊術を使って左右を照らしていく。
「広すぎだわ、横幅は六百メートル以上あるわね。ここの奥は、いったいどこまで続いてるの……」
「少し進んだ先に何かあるわ、気をつけて」
「お前たち、ローラが言うように気を抜くなよ。何が起きてもおかしくないからな、慎重に進むぞ」
ステファニーは前世の頃に遺跡探索などやったことはなく、エイダンたちが子どもたちを守りながら何処に注意して動いているか穴が開くほど見つめている。
ステファニーが鋭い目つきでエイダンたちを観察している事にブレインが気づく。その表情を見ていると誘拐された時に見た真紅の瞳のステファニーを思い出してしまい、一瞬ブレインの視界が歪んだ。ブレインは歯を食いしばり意識を保った。
「おい、大丈夫か。てめぇしっかりしろよ」
「ええ、大丈夫です。ちょっとふらついただけですよ」
「ふ〜ん、あっそ。ほらよ」
「なっ、何で急に手を握ってくるんですか」
「あぁ? 夜になると怯えて泣き出すスラム街のガキがいてよ、手を握ってやると泣き止むんだ。だからだよ」
「えっ、私は別に泣いてなんか……」
「今にも泣きそうな顔してんぞ」
「あ……、そ、そう……ですね。ありがとうございます」
ブレインはフィルスの手を強く握り返す。少しだけブレインの気持ちが安定した。
「ねぇ、皆これ見て。なんなのかしら」
兵士のユナが松明で二メートルを超える岩を照らした。辺りを警戒しつつ、アメリア達は岩を調べ始めた。
「かなり硬いわね、花崗岩かしら」
「これって作り途中の石像じゃないですか? ここって何だが手の形に見えなくも無いような」
「手だとしたら随分と太くて角張ってるな」
「だから作り途中なんだと思うんだけどな」
「これと同じような岩が大量にあるわよ。しかも八メートルほど間隔をおいて配置されてるわ」
「マジかよ、ローラ。そうならジャンスさんが言ったように作りかけの石像っぽいな」
「興味深いわね、古代の人がどんな石像を作ろうとしてたのか。大量にあるなら完成品もありそうね」
「おい、調査はここを脱出したあとにしろ。そろそろ行くぞ」
エイダンがそう言うとアメリアは渋々調査を中断した。しばらく歩くとローラの言うように一定の間隔で岩が置いてあることが分かる。手を広げているような岩や抱き合ってるように見える岩もあり、ステファニーには全てが作りかけの石像に見えてきた。
「行けども行けども石像だらけだな、薄気味悪いぜ」
「クライヴ、あなたの言うようにここは気持ち悪いわ。たぶんだけど石像が万単位であるわよ」
ローラは全神経を耳に集中して反響定位を使い石像の数の多さに気が付き、気持ち悪さを感じていた。
「マジかよ……」
「ええ、しかも大きい石像は二十メートルを超えそうよ。もう石像というよ……皆、止まって!」
「おい、どうした」
「静かにして」
ローラの言葉に従い、皆が立ち止まって静かにしている。呼吸以外の音はせず、辺りは静寂に包まれた。
エイダン達はローラが音を聴いている間、何が起きても対応できるように周囲を警戒している。
「何かがこっちに走ってきてるわ! かなりデカい……熊、いや、魔獣かしら。まだ一キロ以上先にいるわ」
「よし、少しは時間があるな。インテグリダーとユナは生徒達を連れて後方に下がれ。アメリア、ジャンス、アダル、チュオン、オレと一緒に敵を迎え撃つぞ」
「私も一緒に戦います」
ステファニーが満面の笑みでそう言うと、ユナが片手でステファニーを抱きかかえた。
「問題児はちょっと黙っておこうね」
「ユナ、ステファニーちゃんのことよろしくね」
「はい、かしこまりました」
「ちょっとぐらいいいじゃん、ケチ」
ユナはステファニーを睨みながらエイダン達から遠ざかっていく。インテグリダーもブレイン達を連れて後を追いかける。
ある程度離れた場所で子供たちを囲む様にインテグリダーとユナが陣取った。
「ステフちゃん、邪魔しちゃダメだよ」
「そうですよ。足を引っ張らないようにと言ったのはあなたではないですか」
「うぐっ、だってあんな大きな足音聴いたことがないんだもん。戦ってみたくなるでしょ」
「チッ、ならねぇよ。てめぇマジで戦闘狂だな」
「ねぇ、そんなに大きな何かが近づいてきてるの?」
「うん、ワクワクするよね」
「しないよ」
「静かにしなさい! 私でも音が聞こえるぐらい近づいてるわ」
強張った表情のユナが厳しい口調で注意した。ステファニーたちが黙ると、四足歩行の獣が大地を揺らしながら走っている音が聞こえてくる。
「近いぞ、気をつけろ。何か嫌な感じがする」
小声でエイダンが言う。アメリアたちは気功術で体を強化した。地響きのような足音がどんどん近づいてくる。足音が直ぐそこまで来たとき、大きな音がした。
「飛んだわ! 気をつけて」
ローラが前方にいるエイダンたちに聞こえるよう大声で叫んだ。声を聞いたエイダンは指示を出す。
「散開!」
陣形を組んでいたエイダンたちは散らばった。ただ、松明を持っているアダルはその場から動かずに気を練っていた。
「やめろ、アダル!」
「はああああぁぁ」
エイダンの指示を聞かずにアダルは上から襲ってきた巨大な生物を攻撃した。
巨大な生物を殴ったアダルの拳が砕け、三百キロを超える巨躯がアダルを地面に押し付けて覆い被さった。
「かひゅっ」
押さえつけられたアダルの肺が圧迫されて空気が抜けた。
地面に落ちた松明の明かりが巨大な生物を照らす。まるで全身の皮を剥いだ様な醜い外見で、口には上下に細く長く尖った牙が十本ずつ、左右の頬から五本ずつ短い牙が口に向けて生えている。二つの鋭く瞳がない目がアダルの顔を覗く。
「あ、ぁあ……ぁ……」
赤銅色の目に見つめられたアダルは恐怖のあまり叫ぼうとしたが、肺が圧迫された状況では声が出せなかった。アダルを助けようと一番近くにいたチュオンが全身赤銅色の巨大な生物を殴ったがビクともしない。
「アダルを離せ。このクソ魔獣が」
アダルを見つめている巨大な生物の頬が左右に開き、下顎を大きく開けた。アダルは絶望の眼差しで迫りくるおぞましい口を見つめる。鋭い牙が彼の頭と顔に突き刺さっていく。巨大な生物は顔を斜め上に振り上げてアダルの頭を喰いちぎった。
「ああああ! よくもアダルを」
チュオンは何度も殴るが巨大な生物は素知らぬ顔で喰いちぎった頭を口の中で噛み続けている。
殴る音と咀嚼音が後方にいるステファニーたちにも聞こえてきた。松明の明かりで四つん這いの巨大な生物の姿が薄っすらと見えるが、誰もがあれ程のおぞましい姿見たことはなかった。後方にいる皆が恐れおののく中、ステファニーだけは闘志を燃やしており、瞳のほんの一部が真紅に染まり始めた。
「チュオン、下がれ! オレがやる」
巨大な生物は突進してくるエイダンを警戒して、噛み砕いて粉々になったアダルの頭部をエイダンに吹きかけた。
エイダンの体に血肉と粉砕された骨が掛かり、エイダンは歩みを止めて怒りの感情を露わにした。
「きさまあああああぁぁぁ!」
巨大な生物はエイダンを見ながら立ち上がり、醜くおぞましい口を大きく開いた。
「グオおオおおオオおおおオおオ」




