第二十話 代償
「ん゛ん゛ん゛ん゛……ふぅふぅふぅ……ん゛ん゛」
ステファニーは布を口に咥え、額に大粒の汗が噴き出ている。右手を力強く握り締め、痛みに顔を歪めている。
ステファニーの周りには多くの光の精霊が漂っていた。光の精霊を呼び出したのはソフィアで、ステファニーの左腕を治療している。
欠損した肉体は光の精霊術でもすぐに治すことはできない。切断面に光の精霊術をかけると骨や肉や神経が五ミリほど伸びる。それはまるで土の中から日を求めて草の芽が這い出るかのようにゆっくりと伸びていく。通常は二ミリ程度伸びるが、ステファニー自身が光の精霊に愛されているため二倍以上も伸びる。
光の精霊術をかけられている間は激痛が走るため、口に巻いている布を噛んで痛みに耐えている。その様子をキアラが泣き出しそうな表情を浮かべて見ていた。
「ステフちゃん……うぅぅ」
ステファニーはキアラを安心させようと目元だけで笑いかける。その表情があまりにも痛々しく、キアラは涙を浮かべながらステファニーの右手を握り締めた。
「ステフちゃん、ごめんね……」
「ん゛ん」
ステファニーは首を横に降った。二人のやり取りを見守っていたソフィアが光の精霊を消した。
「ふぅ……、これでよし。今日一回目の治療はこれで終了。ミア、ガーゼを」
「はい……失礼致します。ステフお嬢様」
ミアは軟膏を大量に塗ったガーゼを左腕の切断面に押し付けた。ビクッとステファニーの身体全体の筋肉がひきつけを起こす。
「ん゛んっ……ふぅふぅふぅ……」
ステファニーが痛みに耐えながら小刻みに震えているため、ミアは素早く包帯を巻いていく。光の精霊術で腕を再生するためには傷口を塞ぐわけにはいかない。もし塞がってしまったら、そこを切り落として傷口を剥き出しにする必要がある。この痛みに耐えきれず、治療を断念する者が多い。
「ステフお嬢様、布をお外し致します」
「ん……ぷはぁ……はぁはぁ……ふぅ」
布を口から外されたステファニーは呼吸を整えていく。近くで待機していたエマが水とタオルを持って近づいてきた。
「ステフお嬢様、お水をどうぞ」
「ありがとう」
ステファニーはコップに入った冷たい水を喉を鳴らしながら一気に飲んだ。空になったコップをエマが受け取ると、代わりにタオルを渡してきた。
「これで汗を拭いて下さい」
「私が拭きます!」
キアラがタオルをエマから奪い取るように受け取り、ステファニーの顔を拭こうとした。
「キ、キアラ!? 大丈夫、自分で拭けるよ」
「お願い、拭かせて。それぐらいしか出来ないから……」
「キアラ、何度も言うけどこの怪我はキアラのせいじゃないんだよ」
「でも私がもっと狩りしたいなんて言わなければ……助けを呼ぶためにステフちゃんを残していかなければ……ステフちゃんはこんな酷いことになってなかったんだよ! 全部わたし……」
「それ以上は言っちゃダメよ。キアラちゃんはいい子ね、ステフの友達になってくれてありがとう」
「あ、あぅ……ソフィア様」
ソフィアは後ろから優しくキアラを抱き締め頭を撫でている。
「そもそもキアラちゃんを誘ったのはうちのお転婆娘なのよ」
ソフィアは手を伸ばしステファニーの額を指ではじいた。でこぴんとは思えないほどのけたたましい音が鳴り、ステファニーは頭を矢で射抜かれたように後ろへ倒れ込んだ。
「ステフちゃん!」
「心配しなくていいわよ、この娘が悪いんだから。あっ、キアラちゃんはうちの娘と長い付き合いになるから弱点を教えておくわね。ステフの弱点は音よ」
「音?」
「そう、エルフ族は耳がいいから大きな音に弱いの。特にステフは音に敏感だから、ステフが言うこと聞かなかったりステフを懲らしめたいって思ったら耳元で叫んだりしてね」
「お母様!」
額を押さえながらステファニーは目に涙を浮かべ、恨めしそうにソフィアを睨んだ。
「ステフ、あなたはもっと反省しなさい。あなたの勝手な行動でキアラちゃんを危険な目に遭わせる可能性があったのよ。自分の身も守れないのに無茶なことをするのは止めなさい」
いつも柔らかい表情をしているソフィアが真顔で苦言を呈した。口調は冷たく、ステファニーが萎縮する。
「でもね、ステフ、キアラちゃん。あなたたちのお陰で助かった命もあるの。それは立派な行いとも言えるわ。だからねキアラちゃん、自分を責めるのは止めなさい。今回の件、あなたはとても立派だったわ」
「ソフィア様」
キアラは眼を潤ませながらソフィアを見つめた。
「あれぇ~? お母様、私は?」
「ステフ、これでも温情をかけてるのよ。手の治療なんて普通の人は絶対出来ないわ。一日に三回も光の精霊術で治療するし、出血したままだから血の量を増やす光の精霊術も使う。光の精霊術を使える人は少ないから、雇うのにお金がかかって、しかも腕が元通りになるまで数ヶ月も続くのよ。貴族ですら首が回らなくなるほどの莫大な費用がかかるわ」
「う……、でも血の量を増やす光の精霊術は今は私がやってるような」
「それはあれよ、そう、ステフの修行も兼ねてるのよ。そうでしょ、この前まで血液量増幅の精霊術使えなかったでしょ」
「うぐ……それはそうだけど、何か言いくるめられてる感じが」
「そんなこと言うなら義手でもいいのよ。義手の方が精霊術の練習になるし」
手足を失った人のほとんどは義肢を付けている。精霊の力を使って義肢を動かすため、義肢を付けてる人は精霊術の扱いが上手くなる。ステファニーは義手を付けた自分の姿を想像して悩んだ。
「う~ん、義手に仕込みナイフとかいいかなぁって思ったけど、やっぱり手が治った方がいいな」
「ふふ、ステフらしい考えね。それなら尚更自分の行動を反省しなさい」
ソフィアはステファニーの頬を優しく右手で撫でながら、視線をステファニーの左側頭部に向けた。森での戦闘で焼け落ちた頭皮は光の精霊術で治っているが、髪の毛は産毛ぐらいしか生えていない。
「ごめんなさい、髪は女の命という言葉があるのにまだ治せてなくて。手の治療に専念したくて……」
ステファニーは左側頭部の産毛を笑いながら触った。
「気にしないで、お母様。右側から髪の毛持ってきて、禿げてるところを覆い隠せばいいのよ。あっ、そうだ! 右側を剃って真ん中の毛を編み込みにするって案もありね」
「ダメよ!」
「だめ~!」
「だめです!」
「だめです!」
ソフィア、キアラ、エマ、ミアの四人が叫んだ。鼓膜が破れるのではないかとステファニーが思うほどの大きな声だった。
大きな音が苦手なステファニーは周りがぐるぐる回るようなめまいを起こしている。その状況の最中、四人が矢継ぎ早に言い立ててきた。
「ほんっとに何考えてるの!?」
「そうだよステフちゃん! こんなさらさらのキレイな髪を剃るなんて」
「ステフお嬢様、治療が終わったら淑女が何たるかをみっちりと教えてあげますね」
「流石に私でもドン引きの発言ですよ、モヒカンは可愛くないです」
くらくらする頭でステファニーはモヒカン格好いいのにと思いながら四人の説教を小一時間聞いていた。まだまだ続きそうだったが、王都から派遣された調査団の団長がソフィアに報告しに来たため説教は中断となった。
ステファニーは少し不貞腐れた顔をしてるキアラをなだめながら、ソフィアと団長の会話を聞こうと耳に意識を集中した。
四つ先の部屋で二人の会話が聞こえてくる。調査した結果、アトルゥ伯爵が王位継承順位四位のブレインの誘拐に関与していないことがわかった。現場に残された衛兵の鎧は詰所からの盗品で、アトルゥ伯爵に罪を着せるために使われたらしい。
誘拐犯たちの正体は分からずじまいだった。理由はステファニーが原型を留めないほど誘拐犯たちの遺体を破壊していたからだ。その為、何故ブレインが誘拐された理由や目的は未だに分かっていない。引き続き調査を続けていくとのことだった。
ステファニーとブレイン及び生き残った護衛の証言にあった精霊術を使えなくさせるガントレットは粉々になっていて検証することはできなかった。むろん、粉々になった理由はステファニーのせいだった。
盗み聞きしていたステファニーは冷や汗をかき、やらかしたと心の中で叫んだ。あの時のことは何も覚えていなく、何とも言えない表情をしていたため、キアラが心配して見つめてきた。
「大丈夫? 左腕の包帯が血で染まってるよ。汗かいてるし、痛いの?」
「ああ、あ~うん、大丈夫だよ」
「本当? 本当に?」
「本当に大丈夫だって」
二人がしゃべっている間にソフィアと団長の会話は誘拐の依頼主らしき三十代の男の話になった。団長が言うにはソフィアの憶測に一致する証拠があるとのことだった。
母親の憶測が何か知りたいと思っているとソフィアが団長の話を遮り、音が外に漏れないように風の精霊術を使った。
(うわ! 盗み聞きしてたのお母様にバレてたのね。これ以上は聞いちゃダメってことか……。あの男は何者なんだろう)
団長との会話が終わったソフィアに男のことを聞いたが、いずれ話すことになるかもと言うだけで詳細は話してくれなかった。
手の治療をしている間、キアラは何度もステファニーの元に通ったが、ブレインは一度も来なかった。その代わりにブレインを除く王位継承者七名がそれぞれ見舞いに来た。侍女たちの間ではステファニーが精霊騎士の娘だから見舞いに来たとか、見舞いに行かないと王位継承争いでブレイン誘拐した首謀者と思われるから来たというような噂話が飛び交っていた。
ステファニーは、全員がブレインを救ったことに対して心の底から感謝してるように見えたため、この兄弟姉妹が骨肉の争いをするようには思えなかった。
ただ、どうしても気になることが一つあった。それはブレインが来なかったことだ。感謝しに来いとは言わないが、手紙一つぐらい寄越せばいいのにとステファニーは怒っていた。
精霊学校に通い始めるまでにブレインが何も行動を起こさなかったら、徹底的に礼儀を身体に教え込んでやろうと意気込んだ。




