第十七話 死の淵
薄暗い森の中を早い速度で駆け抜けるステファニーは誘拐犯が発する音を集中して聴いていた。
「ん、止まった!? よし、一気に近づける」
ステファニーは全力で走り抜けて、誘拐犯のいる場所から約百メートルまで近づく。この距離なら相手に気付かれず会話内容を聴けると思い、身を隠すようにしゃがんだ。
「さっさと鎧を脱げ!」
「へいへい、けどもったいなくねぇか? この鎧売っぱらったら良い金になんのによぉ」
「依頼主の指示で置いていけって言われてるんだ」
「けどよぉ」
「鎧なんて報酬と比べたらはした金だぞ、しかも売って足がついたらどうすんだ」
会話の内容から、誘拐犯がサンルトの衛兵ではないことがわかる。また、誘拐犯の数名がひと仕事終えた気分になって油断しているように感じられ、ステファニーはもっと近くに行けるのではないかと思った。
夏の時期で藪が生い茂ており、ステファニーの小さな体を藪に隠すことができる。ステファニーは見つからないようにゆっくりと歩を進め、誘拐犯たちを目視できる距離まで近づいた。
誘拐犯は十六名おり、鎧を脱ぎ捨て普通の服に着替えている。全員が腕に覚えがありそうな屈強な体つきをしている。
近くには金髪の男の子がいた。手を後ろで縛られ、叫ばないように猿ぐつわをはめられており、ロープで体を木にくくりつけられている。その男の子は身動きひとつせずに涙を流している。
金髪の男の子が王位継承順位四位のブレインだとステファニーは気付き、生きていることに胸を撫で下ろした。
「おいピート。ちゃんとガキを見張っとけよ! 一応これでも三つの精霊に愛されたっていうガキなんだ。油断してると痛い目に遭うぞ」
「わかってるよ。ったく、さっさと受け取りに来てほしいぜ。まだ来ないのか?」
「あぁ、あと少しで約束の時間だ。何度もいうがちゃんと見張っとけよ」
それを聴いたステファニーは時間があまりないと考え、ブレインの後ろ側に回り込もうと移動し始めた。まだソフィアの元にキアラはたどり着いていないだろうし、最悪の場合は一人で助け出すつもりだ。
ブレインが縛られている木の近くの藪に潜み隙をうかがう。しかし、ピートと呼ばれた男は右手だけにはめている異様にでかいガントレットをブレインにずっと向けている。そのため、ステファニーは動けずにいた。そうしている間に時間が経過していく。
「やぁ、待たせたね。目的のブツは入手出来たかい?」
「おぅっと、びっくりさせんじゃねぇよ。どこから来たんだ? まぁいいか、待ってたぜ。ほれ、あそこにいるだろ」
「うんうん、素晴らしいね」
ステファニーは驚愕した。リーダーらしき誘拐犯と話している優しそうな顔をした三十代半ばくらいの男は何の音もたてずに急に現れた。
そこは開けた場所でも獣道でもなく木や藪が生い茂っている場所で、エルフの耳で聴こえないほど静かに移動することは不可能だ。
ぞっとするものがステファニーの全身に走った。この異様な男にブレインが渡ってしまうと二度と追えなくなると確信した。ステファニーはソフィアから受け取ったダガーナイフを握りしめる。
「それじゃあ、ブツを頂こうか」
「ピート、ガキをこっちにつれてこい」
「おう」
ピートはしゃがんでロープをほどこうとしたがガントレットが邪魔でほどけなかった。利き腕ではない左手にナイフを握ってロープを切っていく。ロープが全て切れた瞬間、藪からステファニーが飛び出してピートの首を深く斬りつけた。
「うぇ」
ピートの情けない声と共に鮮血が飛び散る。
ステファニーは返り血も気にせずブレインの腕をつかんで逃げ出した。
「な、ピート!?」
「クソッ! 何だあのガキは?」
「おやおや、逃げられてますよ。取引は失敗ですか?」
「いや、ちょっと待ってくれ! すぐ取り返してくる。おい、おまえら! あのエルフのガキをぶっ殺すぞ」
奇襲を仕掛けたおかげで誘拐犯たちと二十メートルは離れている。ステファニーは走りながらブレインの手を縛っているロープを切る。手が自由になったブレインは猿ぐつわを自分で外した。
「ぷはぁ、助かった。君は……」
「まだ助かっていない。口を動かす暇があるならもっと早く走って」
余裕がないステファニーは冷たく言う。二十メートル離れていても大人が本気で追いかけてきたらすぐ捕まってしまう。
ステファニーの苦肉の策は、土の精霊術で地面に穴を開けて転ばせることだけだった。
「うぉ」
「何やってんだ、おま……っうわ」
「罠があるぞ! 気を付けろ!」
何人かが引っ掛かった音が聴こえ、ステファニーがほくそ笑んでいると風を切る音が聴こえてきた。音のする方に顔を向けると風の精霊術で宙に浮いて猛スピードで飛んでくる。
「えっ、嘘でしょ!? はやっ!」
飛んできた男がステファニー目掛けて蹴りを仕掛ける。ステファニーは咄嗟に振り返って左腕で防御するが蹴り飛ばされて木に激しくぶつかる。
「がはっ……ぐっ……うぅ……」
「大丈夫か!?」
「ブ……ブレイン、逃げて」
「だが女性をおいて……」
ブレインがステファニーの元に向かおうとすると、追い付いた男がブレインの髪を鷲掴みにして持ち上げた。
「うわぁぁ、離せ!」
「おっと、痛い目に遭いたくなきゃあ大人しくしてろ」
ステファニーは立ち上がろうと地面に手をつくと激痛が走り、左手が折れていることに気がついた。苦痛に耐えながら立ち上がったときには十五人の誘拐犯たちに囲まれていた。
「手間かけさせやがって、クソガキが!」
「なぁ、殺すのもったいなくねぇか? めちゃくちゃ可愛いぞ」
「お前、悪趣味だな」
「くだらないこと言ってないでさっさと始末しろ、依頼主が待ってんだ」
囲まれたこの状況を冷静に判断し、ステファニーは自身の運命を受け入れた。
北欧神話では神々ですら運命で定められた死を逃れることは出来ない。そのため、ステファニーにとって死は恐れるものではなかった。戦場での勇敢な死こそ名誉であるという信念があるため、ステファニーはダガーナイフを強く握りしめて誘拐犯たちに立ち向かう。
「手間かけさせやがって! 死ね!」
男が斧を振りかぶり、ステファニーの脳天めがけて振り下ろした。ステファニーは前進して避けながら男の右足の膝裏を斬りつける。男が体制を崩した隙に、頚椎をダガーナイフで力強く突き刺した。
(よし、これで二体目! 火の精霊よ、力を貸して)
間髪いれずに攻撃を仕掛けるために火の精霊術を発動させた。四つの炎を男たちに浴びせようとした瞬間、炎が消えて周りにいた精霊たちもいなくなってしまった。
「え、何で精霊術が消え……」
精霊術が消えたことに驚いたステファニーが空気を引き裂く音を耳にした瞬間、右胸に衝撃を感じた。
「うぉ……あぁ……」
投げられた槍が右胸を貫通していた。激痛が走り、ステファニーは痛みに耐えきれず涙を流し始めた。
「うぅぅ……げほっ……うぅ……」
血反吐を吐き、膝をつく。ダガーナイフが空しく地に落ちる。焦点が合わない目を男たちに向ける。
男たちは侮蔑的な言葉を発しているがステファニーには聞こえていない。
(痛い、痛い、痛い、痛い……何でこんなに痛いの? 昔は痛みなんて平気だったのに……。あれ? 何で私泣いてるの? 昔は泣いたことなんて無かったのに……。うそ、違う! 子供の頃は痛いのが嫌だったし泣き虫だった。そう、戦うのも嫌いだった……。何がきっかけで変わったんだろう? あれ? 子供の頃っていつだろう? 私は今も子供で……違う、違う、違う、違う! そうだ、あれはオレがガキだったとき……)
前世と現世の記憶が入り乱れ、朦朧とした意識の中で前世の記憶が色濃く甦ってきた。




