第十六話 誘拐
「キアラ! そっちに行ったよ」
少し小さめではあるが九十キロを超えるイノシシがキアラに突進していく。
キアラはウォーハンマーを持った腕を振り上げた。ウォーハンマーの周りに火と風の精霊が漂っている。
「え~い!」
キアラがイノシシの左側頭部をウォーハンマーで殴った瞬間、爆発が起きた。爆風でイノシシは吹き飛び、血しぶきを撒き散らしながら木にぶつかる。
「うわぁ~」
火と風の精霊が織り成す精霊術の威力にステファニーは感嘆の声をあげる。
「やったぁ~! ステフちゃん、やったよ」
「うん! 凄いよキアラ!」
二人は手を取り合い喜びあった。
「今日はキアラが初めて獲物を狩った記念日だね、イノシシの肉で豪勢な料理作ってもらおうよ」
「えへへ、うん! 狩りって面白いね」
「でしょ~、何かこう血がたぎるっていうか気持ちが高ぶるっていうか」
「うんうん、その気持ちわかる。まだ時間って大丈夫だよね? その……出来ればもう一体ぐらい狩りたくて」
「うん、やろうやろう! まだ抜け出したのバレてないでしょ。でも、その前にイノシシを川に持って行って冷やさないと」
ステファニーは顔半分が吹き飛んでいるイノシシを見て、精霊術込みでキアラと戦ったら負ける可能性があると考えた。
「それにしてもキアラの精霊術って凄いよね」
「全然そんなことないよ。今日来るブレイン様なんて三つの精霊に愛されたっていうし」
話ながらキアラはイノシシの方に手を向けると淡い薄緑色の球体がイノシシの周りに現れた。風が舞いイノシシが宙に浮く。
「あぁ、ルシクス王の四人目の子どもだっけ? 確かにそいつも強そうだよね。ってか、キアラ本当に精霊術の扱い上手すぎだよ! あんな重いイノシシ私は浮かべること出来ないわ」
「えへへ、そう言ってもらえて嬉しいな。お父さんたちは精霊術なんて必要ないって怒るだけでほめてくれないから……」
「本当にキアラのご両親ってバカだよね、私が一発ぶっ飛ばしてあげようか?」
「いいのいいの、ステフちゃんにほめてもらえれば十分だよ。ありがとう」
「キアラ~」
キアラの笑顔にステファニーは心を奪われた。精霊学校に通う五年間は楽しくなるだろうと思いながら川に向かった。
ロープで足を縛ったイノシシを川に沈め、次の獲物を求めてうっそうとした森の中を歩く。しばらくするとステファニーの耳に何か聴こえてきた。
「キアラ、なにか聞こえない?」
「ううん、なにも聞こえないよ。ステフちゃんはハーフエルフだから耳がいいんだね、どこから聞こえるの?」
「うん、向こうから……でも何か嫌な感じが……」
「う~ん、とりあえず行ってみない?」
「あ~、うん。近づいてみよっか」
二人は音のする方に歩を進める。進めば進むほどステファニーの表情が険しくなり、ゆっくりと慎重に歩くようになる。キアラが問いかけてもステファニーはなにも言わずに指を口に当て黙るよう合図するだけだった。
ステファニーの耳にはっきりと聴こえていた。鈍い金属音と怒号とも悲鳴ともつかない叫び声やうめき声が……それは明らかに争っている音だった。
キアラをこのまま連れていって良いものかどうか悩んでいる内に争う音が聴こえなくなった。
「走るよ」
「あ、待ってステフちゃん」
争いが終わっているなら連れていっても問題ないと考え、ステファニーは駆け足で向かった。
数分後、森を抜ける街道に出た。ここで争いがあったと一目見れば分かるほどの惨状だった。
「きゃあぁぁぁ! ステフちゃん、こ、これって……」
「キアラ、落ち着いて。ね、大丈夫だから」
ステファニーはキアラを抱き締めて頭を撫でた。ステファニーの腕の中でキアラは恐怖のあまり震えている。キアラを落ち着かせていると、柔らかな風が血の臭いを運んできた。ステファニーは目をつぶり大きく息を吸う。前世でよく嗅いでいた匂いであり、懐かしさを感じて思わず微笑を浮かべた。
目を開き、ステファニーは周りを見渡す。荒らされていない豪華な馬車と荷物用の馬車があり、周りには十一体の死体がある。死体を見ればどのようなことが起きたかある程度想像出来た。
御者の二人は御者台に乗ったまま槍で心臓を突かれており、護衛の七人の兵士は抵抗空しく殺されている。その内の三名は兜を被っておらず、おそらく不意を突かれて襲われたのだろう。残りの二名は侍女だ。一人は背中を斬られていて、もう一人は剣で腹を刺されていた。
ステファニーは耳を澄ますとこの場所から遠ざかっていく音が聴こえる。ここはしばらく安全だと考えていると、微かに複数の呼吸音が聴こえた。
「キアラ! まだ生きてる人がいるよ、助けなきゃ!」
「うぅ、うん」
キアラは震える手をぎゅっと握りしめ勇気を奮い立てた。恐る恐る一体ずつ顔を近づけて呼吸しているか確認していく。
心臓を突かれた御者達と首を切り落とされた兵士は確実に死んでおり、比較的きれいな死体をキアラに調べさせている。
ステファニーは凄惨な死体……内蔵が飛散して悪臭を漂わせている兵士を調べている。
「ステフちゃん! この人息してるよ!」
「わかった、そっちに行くわ」
キアラの側には腹を刺された侍女がいた。ステファニーも確認すると微かに息をしている。
「こういう時って傷口を押さえるんだっけ? どうすれば……」
「落ち着いて。キアラはこのまま生きてる人探して」
「えっ、でも……」
「この人は……光の精霊術で治してみせるわ」
三十を超える煌々と輝く光の球体が現れ、温かな光がステファニーの身体を包み込む。キアラの目にはまるでステファニー自身が輝いているかのように映った。
(光の精霊よ、私に力を貸して)
最初に精霊の力だけを傷口に流し込み、怪我の状態を把握する。これは医者としての知識がないステファニーが独自で考え付いた方法だ。
侍女は胃、大腸、すい臓、腎臓に傷を負っていて出血が激しい。訓練不足で血液を増やすことはまだ出来ないが、侍女が負った傷なら治すことは出来るとステファニーは確信した。
(さぁ、この人を助けよう。光の精霊たちよ!)
光の精霊たちと意識を一体化させ、侍女の傷ついた細胞の再生能力を活性化させていく。
「うわあああぁぁ! ぐぅがあぁ、ぎゃああああああ!」
「えっ、ステフちゃん! 苦しんでるよ!」
「これでいいの。治っている証拠」
「ああああああああ、う゛う゛ぅぎゃああああああ」
侍女は断末魔の悲鳴をあげながら仰け反り痙攣を起こしている。想像を絶する痛みが侍女に襲い掛かっているのだろう。
「あと少しだから頑張って」
内臓が全て治って傷口の両側から塞がっていく途中、ドバッと体内にたまった血や胃液や腸の内容物等が流れ出す。全て流れ出ると傷口が完全に塞がる。
「うあああああ……あぁ……あ……」
侍女は傷口が塞がると気を失った。ステファニーは汗を手で拭って、ふうっと息を吐く。
「な、治ったの?」
左の前腕を斬り落とされ剣が胸に刺さってる兵士の側にいるキアラが大きな声で聞いてきた。
「うん、治ったよ、あとはこの人次第かな」
「ステフちゃん、この人も息してるから治してあげて」
ステファニーはキアラのもとに走って行く。兵士は全身傷だらけで死んでいるように見えるが微かに息がある。
「キアラ、胸に刺さってる剣を抜いてもらっていい? 私は斬り落とされた腕を持つから」
「ええっ……うぅ、うん。が、頑張ってみる」
キアラは強化の精霊術を使って剣を軽くする。剣を握りしめステファニーの方を向き合図を待った。ステファニーは兵士の手を拾って傷口にくっつけて、精霊の力を兵士の全身に流し込む。
「すぅ~はぁ……。キアラ、抜いて」
「えいっ」
キアラが剣を引き抜くとステファニーは光の精霊術で傷口を治し始めた。欠損した箇所を治すには数ヶ月かかるが、今回は斬り落とされた腕があるため再接着させることが可能だ。
「うがぁぁ……ぐううぅああ、う゛う゛う゛ぅ」
痛みで目を覚ました兵士は身動きせずに歯を食いしばって痛みに耐えている。その行為はステファニーにとって好都合だった。再接着する前に暴れられると、繋がりかけていた細胞が千切れてしまい、再び一から治さないといけないからだ。
おそらくこの兵士は光の精霊術による再接着の経験をしたことがあるのだろう。
兵士は激痛に耐えながら腕が繋がり、胸の傷も塞がっていく。
「うぅぅぅ……はぁはぁはぁ……はぁはぁ……」
兵士は治療が完了した後でも気絶せずに意識を保ち続けていた。
「お、お嬢ちゃんたちは……はぁはぁ……」
「大丈夫ですか!? 何があったんですか?」
キアラが尋ねると兵士は息も絶え絶えになりながら答えた。
「サ、サン……ルトの……衛兵に……襲われ……ブレ……ブレイン様が……誘拐されたんだ……た、助けを呼んでくれ」
「えええ、ど、ど、どうしよう。ねぇ、ステフちゃん」
ステファニーは目をつぶって集中した。集団の移動している音が僅かに聴こえる。
「キアラは私のお母様に助けを求めに行って……私はブレインの後を追うわ」
「ダメだよ! 危ないしどうやって相手の場所が分かるの!?」
「私にはエルフの耳があるでしょ、今も相手の逃げる音が聞こえてるわ」
ステファニーは自分の耳を指差した。
「ダメ! 殺されちゃうよ!」
「大丈夫、お母様に分かるように木に目印をつけて行くだけ、戦闘にはならないわ」
「でも……」
「こう話してる間にどんどん離れていっちゃうわ」
「うぅぅ……、ステフちゃん」
キアラはステファニーに抱きついた。
「ふえっ!?」
「絶対に無理しないでね、約束だよ」
「あ、う、うん」
涙を浮かべながらキアラはそう言うと、ソフィアがいる屋敷に向かった。
ステファニーはダガーナイフを持ち、木に傷をつけながら森の中を走っていく。




