第十一話 精霊とは
「ステフお嬢様、ステフお嬢様。起きてください。」
「んん~、あ、エマ……。おはよう」
「ステフお嬢様、旦那様と奥様が来られる前に起き上がって着替えて下さい。できれば早急に」
「え、どうしたの?」
「あ、あの……え~と、その……」
エマが言葉を詰まらせていると、着替えを持ってきたミアがニヤついた顔で答えた。
「それはステフお嬢様がおねしょしたからでしょ」
「ちょっとミア! 言い方ってのがあるでしょ」
「え、ええ、えええ! ちょっと待って? え、うそ……濡れてる……」
布団が濡れているのを確かめたステファニーは動揺を隠せずに頬がみるみる紅潮していく。
「わ、私おねしょなんてしないもん! これはおねしょじゃなくて……あっ!」
ステファニーは思い出した。
昨晩、水の精霊の強化術をハンカチで練習していたことを……
力尽きて、水に包まれたハンカチがそのままベッドに落ちたことを……
「見て、見て! このハンカチ! これで精霊術の強化の練習してて、そのまま寝ちゃって、だから、だから濡れてるの! おねしょじゃないよ!」
「ステフお嬢様! 手が汚れてしまいます。そこに置いて下さい。綺麗にいたしますので」
「汚くないよ!」
「お小水をそんなに触らないで下さい」
「違うもん! お水なの、綺麗なの!」
「エマ! ステフお嬢様が正しいわ」
「ミア~、信じてくれるのね」
ステファニーはミアの言葉で涙が出そうになった。いつもふざけてばかりいるミアとは思えないほど真面目な表情をしており、ステファニーはミアの認識を改める必要があると心底思った。
「ええ、ステフお嬢様。綺麗なのは理解しております。だって、ソレはお嬢様が作り出したものですよね。お嬢様が作り出したものであれば、お小水であろうが何であろうが汚いわけないじゃない! むしろ綺麗すぎるわ! しかもソレを掃除できるなんてご褒……」
「エマ、私お風呂入ってくるわ」
「かしこまりました。その間に片付けておきます。旦那様と奥様が来る前に戻ってきて下さい」
真顔になったステファニーとエマは演説してるように喋っているミアを無視して話し始めた。
「何度も言うけど、お水だからね」
「はい、水で濡れた布団等を片付けておきます」
「あれ? 二人とも私の話聞いてる? ねぇねぇ」
ステファニーは無言で着替えを持って部屋を出ていく。エマは黙々と濡れた布団を片付けている。
「エマ、聞いてるの? 私が片付けるわ。それは私にとってのご褒……」
「これ以上くだらないこと言ったら幼馴染でも縁切るから……」
エマはひときわ低い声で言い放ち、蔑んだ目を向ける。睨まれたミアは身体が震えており、顔を下に向けてスカートを強く握りしめていた。
その姿を見たエマは少し罪悪感を覚え、謝罪しようとした。
「あ、あの……言いすぎたわ。ごめんな……」
「ぃぃ……」
「え? 今何て」
「親友に蔑まされるこの感覚! 凄くいいわ……クセに……なりそう……」
エマは死んだ魚のような目でミアを見つめ「本気で縁切ろう」とつぶやいた。
ステファニーは湯船に頭まで浸かり勢いよく顔を出した。
「ぷはぁぁ」
両手で濡れた前髪を後ろにかきあげ、顔についた水を拭った。
「ふぅ……もうミアのバカ! おねしょなんてするわけないのに!」
八つ当たりするかのように手で湯船の水面を何度も叩き、水飛沫が激しく舞い上がる。
「一瞬でもミアを信じた私がバカだった。あぁ、もうもう……あぅ……。しばらくミアのこと無視しよう……」
身体を沈めてじっくり湯に浸かり、心を落ち着けてから湯から上がった。ゆっくり湯に入っていたため、両親が来る前に部屋へ戻るには髪を乾かす時間すらなかった。
ステファニーは濡れた髪を拭きながら廊下を走った。角を曲がると両親が部屋の扉を開けようとしていた。
「あっ!」
ステファニーは思わず大きな声を出してしまった。
「ん?」
「あら、ステフ。部屋にいなかったのね」
両親はステファニーに気付き、近づいてきた。
「髪が濡れてるじゃないか、どうして朝から風呂に入ったんだい?」
「ぁ……あの……」
ライリーの質問に何も答えることが出来ないステファニーをソフィアは嬉しそうな笑顔で見つめていた。
「ダメよ、あなた。お風呂に入った理由聞くなんて。ステフは女の子なんだから」
「え、聞いたらダメなのか」
「ええ、デリカシーのない男は嫌われるわよ。女の子が朝にお風呂入る理由なんて言わなくてもわかるでしょ」
「ん~ん?」
「もう、そういうところは昔からダメね。ステフは夜に……」
「わぁぁぁ、違うの、してないの! じゃなくて、その……違うの!」
ステファニーは長く尖った耳まで真っ赤にしながら大声で否定した。ソフィアはさっきより大きな笑みを浮かべてステファニーを抱き上げ、首筋の匂いを嗅いだ。
「ん~、良い匂いがするわ、ステフ。大丈夫だからね」
「あ……ぁぁ……」
ステファニーは涙目になりながらソフィアを見つめた。
お母様は絶対に私がおねしょしたと思ってるに違いない、とステファニーは考えた。こんなことになるなら、夜中に精霊術の練習をするべきではなかったと後悔していた。
「え? どういうことなのか全くわからないんだが」
「まったくあなたは……、耳かして」
ソフィアはライリーの耳元に口を近づけ、ステファニーが聞こえないようにつぶやいた。
「夜に内緒で精霊術の練習して汗かいたのよ。だから、朝に汗くさいの気にしてお風呂に入ったの。女の子はそういうの気にするのよ」
エルフの聴力は五種族の中で一番優れており、ハーフエルフのステファニーはソフィアのつぶやき声を聞き漏らさなかった。
汗をかいて臭かったと思われるのはおねしょしたと勘違いされるよりはマシだと考え「お母様、言わないで」と嫌がるふりをして誤魔化した。
「ふふ、嬉しいわ。男勝りのステフが女の子らしくなって。でも、髪を乾かさないのはダメよ。綺麗な髪が痛んでしまうから乾かしましょうね」
そう言うとソフィアが手をステファニーの頭に近づける。淡い薄緑色と赤色の球体が現れ、熱風が髪を乾かしていく。精霊術は便利だなと思いながら、楽しそうに漂っている球体を眺めていた。
「さ、乾いたから食事を食べに行きましょう。今日は大変だからうんと食べなきゃね」
「うん、いっぱい食べる」
ステファニーは両親と食堂に向かい、いつも以上に食べた。ぷっくりと膨らんだお腹をさすっている姿をライリーは笑いながら見ていた。
「少し食べすぎじゃないか」
「いいの、精霊術はすっごく疲れるから」
「そうよ、しかも今日は光の精霊術の練習だからしっかり食べて体力つけないとね」
「そうか……」
ライリーは急にまじめな顔になり、まっすぐステファニーの顔を凝視して言った。
「ステフ、お前は精霊をどう思っている?」
凛とした眼差しで問いかける姿にステファニーは心を奪われていた。精霊に対する想いを全て話してしまうほどに。
「精霊は……考えられないほどの力を与えてくれる素晴らしい存在で、私にとって絶対に必要なものなの。どんなことがあってもその力を手に入れたい。私が……私が戦場を駆け抜ける勇敢な戦士になるために!」
ライリーはステファニーの目を見つめたまま話し続けた。
「そうか、お前にとって精霊は素晴らしい存在で必要なものか……」
「あっ……私が言ったこと間違ってるの?」
ライリーは少し困った顔をして否定した。
「違う、そんなことはないよ。精霊は確かに必要だし素晴らしい存在だと思うよ。……ただ、オレが思うに……いやオレに精霊術を教えてくれた師匠の考えの受け売りなんだけど、精霊は力を貸すことだけを生き甲斐にしている存在だと考えている。ただそれだけの存在なんだよ」
ステファニーはライリーの話がいまいち理解できず、首をかしげた。
「今まで世界中旅してきた。様々な国でバウンティーハンターとして魔獣や犯罪者を倒したりしていたんだが、時々考え込んでしまうことがあったんだ。何でこんな凶悪な犯罪者に精霊は力を貸すのかって……」
ライリーは悲しい表情を浮かべた。
「色々考えたよ。悪い連中が精霊の力を使えなくなれば、この世界はもっと平和になるんじゃないのかとかさ……。結局たどり着いた答えが精霊に善悪はないという師匠の教えだったんだ。精霊は力を貸すだけで、その力をどう扱うかはその人次第……」
「お父様、私は悪いことには使わないわ!」
話をさえぎったステファニーの目には力強い意志の光が宿っていることが見て取れた。ライリーは立ち上がってステファニーに近づき、柔らかい笑みを浮かべながら頭を撫でた。
「そうだなステフ、お前は悪いことに使わないよな。優しい子だ。だからなのかな……お前が光の精霊に選ばれたのは」
ライリーは頭を撫でていた手をどけて、ステファニーの肩に手を置いた。
「どの属性の精霊も人を傷つける力がある。だけど光の精霊だけは人を傷つける力がなくて、代わりに人を癒す優しい力があるんだ。だから……光の精霊に愛されたお前をオレは誇りに思ってる」
ライリーの言葉を聞き、ステファニーの目から涙が溢れ落ちた。
前世の子供の頃は泣き虫でよく父親から罵倒されて暴力を振るわれており、褒められたことすらなかった。そのためか、現世の父親に認められ、これ以上はないと言えるほどの歓喜に打ち震えていた。
「ステフ! どうした?」
「何でもないの、お父様……。ただただ嬉しい……それだけ」
ステファニーは泣きながら満面の笑みを向ける。
ライリーは何も言わずそっと抱き寄せ、ステファニーも抱き締め返した。
その様子を微笑ましく眺めていたソフィアは我慢できなくなり二人に覆い被さるように抱き締めた。
「二人の世界に入り過ぎててズルいわ、私も混ぜなさい! 私もステフのこと誇りに思ってるわよ」
そう言うとソフィアはステファニーの頬にキスをした。対抗心を抱いたライリーも反対側の頬にキスをした。
「お、お母様、お父様!?」
顔を真っ赤にしながら動揺した声を出すステファニーを見て、二人は何度もキスをした。
「いやぁ~、止めて! 皆も見てないで助けて。あっ、リアム笑ってないで助けてよ」
笑ってるというより軽く微笑んでいるリアムは手で口を隠し首を横にふった。使用人たちも何も言わずに表情を緩めて眺めていた。
助けてくれる人は誰もいなく、ステファニーはキスの嵐が過ぎ去るのをただじっと待つしかなかった。




