第十話 精霊術の応用
五日目の朝、ステファニーは木製の盾を足元に置いて訓練場にいた。傍らにいるソフィアの足元には木製の盾だけではなく、短剣と巨大な剣が置いてある。
「昨日言ったように、今日は精霊術の応用よ。簡単に言えば強化の精霊術ってところかしら」
「強化? 強化って気功術じゃないの?」
「ええ、肉体的強化は気功術よ。でもね、実は、精霊術は肉体以外のいろんなものを強化することが出来るのよ。例えば、今着ている洋服を精霊術で強化すれば、名工が作った鎧よりも丈夫になったりするの。精霊術を極めた人は薄着でも重装歩兵以上の防御力を発揮できるわ」
精霊術を駆使して自分が身軽な格好で戦場を縦横無尽に駆け廻る姿を想像し、ステファニーは全身に鳥肌立った。
「そんなの絵本や本に書いてなかった! 師匠、早く教えて、教えて!」
ソフィアの服をつかみ、引っ張りながらぴょんぴょん飛び跳ねている。
「はいはい、ちゃんと教えるから引っ張らないで。普段は大人っぽいのに急に子供っぽくなることがあるわね」
ステファニーは顔を真っ赤にして手を離した。ソフィアはにこやかに笑っていたが、少し物悲しげな声で話し始めた。
「強化の精霊術はね、基本的に選定儀式で愛してくれた精霊の力を借りて使うの。もちろん他の属性でも可能だけど、使えるようになるまで時間がかかるし、強化の効果が弱いの。それでね……、あなたは光の精霊に愛されたわけだけど、光の精霊を扱うのは一番難しいと言われているわ。私も子供の頃はとても苦労して、完全に光の精霊を扱えるようになったのは十歳ぐらいだったわ。だから……、ステフ、あなたがちゃんとした強化の精霊術を扱えるようになるまでとても時間がかかるの」
ソフィアは申し訳なさそうな表情をしていたが、ステファニーは何故母親がそんな表情をしているか理解出来なかった。
「お母様、そんな顔しないで。どんなに難しくたって、どんなに時間がかかったとしても絶対使いこなしてみせるわ」
「ふふ、そうね。あなたなら思った以上に早く使えるようになるかもね。私が苦労したから、ステフも苦労するとは限らないわね」
ソフィアは曇りのない笑みを浮かべながら、ステファニーの頬を撫でた。
「よし、それじゃあまずは強化の精霊術がどれほどの効果か体験してもらおうかしら」
ソフィアは腰を屈めて木製の盾を手に取った。
「ステフ、そこにある短剣を持って、この丸盾を斬り付けてみて」
「はい、師匠」
ステファニーは短剣を拾い上げ、ソフィアが腰を屈めて突き出している木製の盾に斬り付ける。短剣の刃が食い込み、盾に傷をつけた。
「次は精霊術で強化した丸盾に斬りつけてもらうから、今斬りつけた感触を覚えておいてね」
ソフィアがそう言うと、青く光輝く球体が複数現れ、盾が淡い青の光に包まれる。ステファニーは神秘的な青い光の美しさに心を奪われた。
「きれい……」
「きれいでしょ。これが精霊術の強化なのよ。さぁ、さっきと同じように短剣で斬り付けてみて」
ステファニーは盾に意識を集中して、頭上高く持ち上げた短剣を振り下ろす。短剣の刃が盾に触れた瞬間、あたり一面に甲高い音が響き渡り、短剣が弾かれて体勢を崩した。
ステファニーは顔に驚愕の色を浮かべ、盾と短剣を交互に見つめた。淡い青の光を放つ盾は無傷で、短剣は刃こぼれが生じている。短剣を握っている手は盾に弾かれた衝撃で痺れており、盾の硬さを物語っている。
精霊術の強化の卓越した効果を身に感じ、ステファニーは抑えきれない高揚感に包まれていた。
「どう? 強化した丸盾を斬り付けた感触は?」
「すごく……硬い……」
「でしょ、木の丸盾でこの硬さよ」
「すごい! すっごい! すっっっごーい! 精霊術ってすごすぎる!」
「もっと凄いの見せてあげるわ! そこの大きな剣を持ち上げてみて」
興奮冷めやらぬまま、ステファニーは二メートルほどの巨大な剣を持ち上げようとした。右手のしびれはまだ残っているが、どんなに力を入れても重たすぎてピクリとも動かすことが出来なかった。
「はぁ……はぁ……、師匠、重たくて無理」
「そうよね、こんなに大きな剣だから重たいわよね。でも、これも精霊術を応用すれば……」
ソフィアが手をかざすと大剣が盾と同じように淡い青の光に覆われた。
「さぁ、もう一度持ち上げてみなさい」
ステファニーは呼吸を整えるように息をつき、手に力を込めて持ち上げる。
ゆっくりと大剣が地面から離れていき、ステファニーは目を丸くして大剣を見つめた。大剣を構えて振り回すことはできないが、想像以上の軽さにステファニーは感動すら覚えた。
「応用すれば軽くすることも出来るのよ。精霊術って便利でしょ」
ステファニーは身体を震わせて叫んだ。
「ちょーすっごーい! これ使いたい、使いたい、ぜーったい使いたーい!」
「少し落ち着きなさい。そんなに興奮してたら、精霊術上手く使えないわ。剣を置いて、一旦冷静になりなさい」
ステファニーは言われた通りに剣を置き、高ぶった感情を落ち着かせる為に呼吸を整えた。
しかし、全身の血が熱くたぎるほど興奮しているため、気持ちを落ち着かせることが出来なかった。ステファニーは懸命に平静を装って話しかけた。
「もう大丈夫。もう平気だから早く教えて」
「え、全然大丈夫な感じしないけど……。まぁいいわ、何言ってもダメそうだから訓練始めましょうか」
「わーい、わーい!」
ソフィアはやれやれと肩をすくめたあと、真剣な眼差しでステファニーを見つめた。
「ステフ、さっき説明した通り、あなたを愛してくれた光の精霊の力を借りる必要があるの。でも光の精霊術を習得してからだと何年も先になるから、まずは水の精霊の力を借りて強化の練習しましょう。足元の盾を持ちなさい」
「はい!」
ステファニーは元気よく返事をして盾を手にした。
「強化させるには、精霊の力を盾に流し込んで均等に浸透させるイメージを精霊に伝える必要があるの。このイメージが中々難しいのよ。まぁ、精霊術の強化は習うより慣れよの精神でやるしかないわ。ステフ、やってみなさい」
「精霊の力を流し込む。それを均等に浸透させる。精霊の力を流し込む。それを均等に浸透させる……」
ステファニーはソフィアの言葉を繰り返しつぶやき、意識を集中していく。
(水の精霊よ、私にあなたの力を貸して)
ステファニーの周りに青く光輝く球体が複数現れ、盾に精霊の力が集まっていく。
(お願い、盾を強化して!)
ステファニーの想いに答えるかのように、盾が青く光輝く。その様子を見て、ステファニーは思わず叫んだ。
「出来た、出来た、出来た!お母様、出来たわ!」
満面の笑みをソフィアに向けるが、ソフィアは少し困った表情で盾を指差した。
「ステフ、ちゃんと見なさい」
視線を盾に戻すと青い光が消えていて、盾が水で覆われていた。
「え、あれ、ええ、うそ……なんで?」
ステファニーは慌てふためいた声をあげながら、水で覆われた盾を手で叩いている。叩く度に水しぶきが上がり、ステファニーとソフィアの服を濡らしていく。
「ちょっと、ステフ。やめて、冷たいわ」
「うぅ……だって、これ……」
今にも泣き出しそうな顔をしているステファニーの肩に手を置いて、ソフィアは優しい声色で語りかけた。
「初めはね、誰もがステフと同じことをしちゃうの。私だってそうよ。精霊術の強化は難しいって言った理由の一つが、まさにステフがやったことなの。精霊の力を盾に流し込んだ時に、精霊の力が水に変化して、盾が水で覆われてしまったのよ」
「むぅ……難しい」
「そうね、でも諦めたらダメよ」
ステファニーは盾を掲げて宣言するかの如く叫んだ。
「私は諦めないわ!絶対に使いこなしてみせる!」
「そう、その意気よ。頑張って」
ステファニーは夕方になるまで一心不乱に精霊術の強化の訓練をしていた。
「そろそろ止めるわよ。これ以上は危険だから」
「はぁはぁ……、一日中やっても……コツすら掴めなかった……」
ステファニーは汗を拭いながら悔しげな表情を浮かべている。
「ステフ、その表情は隠れて練習するつもりね。ダメと言いたいけど、こうなるとあなたは何を言っても聞かないわよね……。はぁ、もしやるなら水の精霊を使ってね」
「ん? 何で水の精霊なの?」
「今日何度も失敗して盾を水浸しにしたでしょ。もし火の精霊で失敗したら?」
「盾が燃えて……盾を持ってた手が火傷しちゃう?」
ソフィアは両手を叩いた。
「大正解! そう、火傷しちゃうからリスクの少ない水の精霊を使うの」
ステファニーは首を傾げる仕草をして、ソフィアを見上げた。
「それじゃあ、火の精霊に愛された人は強化の練習する度に火傷しちゃうの?」
「いいえ、効率が悪いけど別の方法で練習するわ。ステフと同じように水の精霊で練習したり、盾を持たずにちょっと距離をとって精霊術の強化を使うの。直接さわっていた方が精霊の力を流し込む感覚を掴みやすいけど、火傷しちゃうでしょ。だから、火の精霊に愛された人も精霊術の強化に苦労してるのよ」
ステファニーは前世で火傷した辛い経験を思い出し、絶対に水の精霊で練習しようと心に誓った。
「約束よ、練習するときは水の精霊で」
「うん、約束!」
「ふふ、じゃあ帰りましょうか」
二人は剣と盾を片付けてから屋敷に戻った。
その夜、ステファニーは寝室で寝たふりをして、ハンカチで強化術の練習をベッドでしていた。
この行為が後で泣きたくなるほど後悔することになるとは知らずに、限界直前まで続けた。力尽き、ステファニーは毛布もかけずに泥のように眠りにおちた。
区切りが良いところで分けたら三話分になったので、今日は三話投稿します。




