29話 酒神終理の妹。
29話 酒神終理の妹。
酒神華日は嫌悪感に潰されそうだった。
こんなカスと、『敬愛する姉』や『自分』を比べた事はもちろんだが、それ以上に、敬愛しているはずの姉に、どこかで、まだ、『幼少のころに結論を出したはずの無意味で薄っぺらなコンプレックス』や『純粋な分だけ汚らわしい憎悪や拒絶感』を抱いているという事実が、たまらなく醜くて、ひざから崩れ落ちそうになる。
全身の毛穴から虫が這い出て暴れているような、酷い嫌悪感に支配される。
醜い。
薄汚い。
ありえない!
酒神終理の妹である自分が、これ以上の無様を晒すのは許されない!
(ど、どうして、こんなに……)
胸の中のモヤモヤが全身をつつみこんでいく。
心がつまった。
死にたくなるほどの不快感。
魂にヒビが入る。
気持ち悪い。
……気持ち悪いぃ。
「さいあく……くぅ……」
と、うめいた直後、
華日はその場でうずくまった。
「ん、おい……ちょっ、何? どうした?」
「うぅ……うぅ……」
華日は、苦しそうに全身を震わせ、そして、
「うぷっ……うぇええ、おぇええええええ!」
才藤を探している時に飲んだミルクティを、
井戸水を汲みとるポンプのように、ブシャアァっと吐き出した。
過度なストレスによる嘔吐。
脳の中に特殊なフィルターがかかっていなくとも、
心に負荷がかかれば、人間は吐いてしまう。
「うぇっ、おぇっ……はぁ、はぁ……」
深く息を吸い込みながら、また、
「うぇええ……おぇえ……あぁ……っ」
今度は何も出なかった。
一番キツい、胃液だけがこみ上げてくる嘔吐。
胃酸で傷ついた喉を押さえ、苦しそうにしている華日。
そんな彼女の姿を見ると、
才藤は、ソっと近づいて、ペットボトルのふたを開けると、
「飲め」
そう言って差し出しだした。
「あんたの……飲みかけなんて、誰が……キモい」
「あっそ。じゃあ、さっさと水道に行け……って、ああ、そうだ。ここからだと、一番近い水道でも二百メートル以上は離れているな。……ほんと、無駄に広すぎんだよ、この学校」
「うぇ……うっ、ふはっ、ひゅぅう、ひゅぅうう!」
「ん? どうし……ぅげっ……ついでに過呼吸も随伴?! ふざけんなよ、おい」
「ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅう!」
「どわぁ、その慌て様、もしかして初めて? ちぃっ。……おい、落ち着け」
そう言いながら、彼女の背中をさすってやるが、しかし、
「ひゅぅ! ひゅぅ! ひゅぅう!」
症状はどんどん悪化していく。
「ひゅう! ひゅうう!!」
苦しみもだえながら、何度も地面を殴りつける。
気付いた時にはこぶしから血が出ていた。
――そんなパニック状態に陥っている姿を見て、
才藤は、
「ちっ」
大きく舌を打ち、彼女の呼吸のタイミングを計測する。
「1、2……1、2……よし」
完璧にタイミングを覚えると、スゥっと息を吸ってから、
ベストのタイミングで、
彼女の口に自分の口を押し当て、
フゥウっと二酸化炭素を送り込む。
「っ!!」
「よし、吐け」
「ひゅぅ! ひゅぅ!」
彼女の呼吸のタイミングに合わせて、二酸化炭素を何度も送り込む。
二分ほど、それを繰り返すと、
「ふぅ……かはぁ……ふはぁ……はぁ……」
「落ち着いたか?」
『呼吸系統の反射』がシステムの基礎を思い出してきた。
――と同時、
華日は、
「っ……っ!!!」
右のこぶしを握りしめ、
ガツン!
と、才藤の左頬を思いっきり殴り飛ばした。
「いったぁ。……迷宮の外では生命力バリアが自動展開しないから、殴られたら普通に痛いって事、ご存じ?」
「……はぁ、はぁ……」
ゆっくりと呼吸を整えてから、
華日は、口元を、グシグシとぬぐいながら、
「ふざけないでよ……クソがぁ……」
「悪いな。なんせ、強姦魔の血族なもんでねぇ。女を見ると襲わずにはいらねぇんだ」
「……」
「いやぁ、遺伝子ってのは怖いねぇ。塩基配列、マジ卍」
「血で自虐するな……それだけは……絶対にしちゃいけないんだ」
「そうなのか? 悪いけど、俺、この世界のルールってヤツを知らないからさぁ。えっと、人って殺していいんだっけ? 悪いんだっけ?」
「あんた……本当に、ムカつく……」
「よく言われる」
「……ムカつく……くっそぉ……くそ……うぅ……なんで……」
そこで、華日は、下唇をかみしめた。
そして、ついには『すっ転んだ子供』みたいに、
顔を真っ赤にして、大粒の涙をボロボロと流しながら、
「……なんで……酒神終理の妹なんかに、生まれなきゃいけないの……」
ボソっとそう呟いた。
心からの悲鳴だと理解できた。




