Ⅸ
「…ィル」
ふと声が聞こえ、わたしはうっすら目を開けた。まだ日は明けておらず、窓から月明かりがわずかに差し込んでいた。
「シヴィル。起きろ」
こんな夜中に一体誰だろう。声の方に目を向けると、黒髪の男が立っていた。
「ッ!ルドラ!?」
その髪色を見て、わたしは一気に目が覚めた。
寝ていたベッドから飛び起きると、すぐにルドラから離れ、部屋の隅に逃げる。
「おい。人違いだ」
起きたばかりでまだぼんやりとしていた頭が、徐々に冴えてくる。
よく目を凝らしてみると、男の目は燃えるような赤い色をしていた。
「…キュクレイ?」
「そうだ」
男の正体がキュクレイだと分かり、安堵する。実はわたしは、ルドラが…夜這いに来たのではないかと思った。
月明かりが差し込んでいるとはいえ、部屋は薄暗い。そのため、キュクレイのグレーの髪がわたしには黒色に見えた。
「普通のやつなら、俺の目の色を見ると逃げ出すがな。お前が恐れるルドラが、一体どんな奴なのか会ってみたい」
「…キュクレイは男と女どっちが好き?」
「は?何を突然…女に決まってるだろう」
「じゃあ会わない方がいいよ」
キュクレイが男性が好きと答えれば、わたしは喜んでルドラにキュクレイを差し出しただろうに…残念だ。
「それよりもだ。俺はお前に話があってここに来たのだ」
ルドラと人違いしたことですっかり頭から抜けていたが、そう言われてみれば、何故ここにキュクレイがいるのだろうか。
「実は…最近、魔法騎士団が森を徘徊するようになって困っている。心当たりはあるか?」
心当たりと言われても…わたしにはない。とりあえずオーディから聞いた話をしてみる。
「騎士団があの森に遠征に行ったときに、魔物が出たという話は聞いたけど…」
「また…アドラの仕業か」
どうやら魔物を召喚したのは、アドラだったようだ。
しかし禁書にかかれている魔法は、膨大な魔力がないと使えず、魔法騎士団の中でも、団長のオーディと副長のイクシオの二人だけしか使えない。魔王と呼ばれるキュクレイはともかく、アドラまでその魔法が使えることに正直驚いていた。
「森に幻影魔法をかけるのは駄目なの?」
「そう…か。その手があったな。なぜ今まで気付かなかったんだ」
実は最初から、幻影魔法を使った方が見つかりにくいのに。とわたしは思っていた。しかしそうしないのは、何かしら理由があって魔法をかけていなかったのだと考えていたのだが、どうやら違ったようだ。
「…起こしてしまってすまない。要らぬ心配だったようだ」
「あ。ちょっと待って」
頭を下げて帰ろうとするキュクレイをわたしは止めた。
実は彼に聞きたいことがあったのだが、あのときは不審者と疑われていたため、聞けなかった。
「どうしたんだ?」
「キュクレイは…どんな魔法を使えるの?」
魔王のキュクレイなら、わたしの知らない魔法を知っているかもしれない。わたしは期待した眼差しで彼を見た。
「お前、魔法が好きだったのか?意外だな」
そう言ってキュクレイは、一冊の本をわたしに差し出した。
彼はいつの間に本を持っていたのだろうか。転移魔法も、召喚魔法も生命体にしか使えず、本のような物質を呼び出すことは出来ない。見たことのない魔法を目の当たりにしたわたしは、わくわくしながら差し出された本を受け取り、開いた。
「これ…何語?」
本に書かれていたのは、ヒエログリフのような絵文字だった。
全く読めない文字にガックリと肩を落とすと、キュクレイはクツクツと小さく笑った。
「お前がそんなに可愛い反応をするとは思わなかった。城になら、解読出来る本があるだろう。もし無理なら、俺の塔に来るがいい」
「あ!ちょっと待って…」
そう言って、キュクレイは部屋から姿を消した。
せめて何文字なのかくらい教えて欲しかった。オーディに聞いたら分かるかもしれないが、この本が禁書のような珍しいものであれば、危険だからと、取り上げられる可能性がある。
わたしはどうしたものかと頭を悩ませた。
特にいい案も浮かばず、とりあえずベッドに戻る。目を閉じて、なんとか眠ろうとしたが、目が冴えてしまって全く眠れない。
しばらくベッドにいたがそれでも眠れず、どうせ起きるならと、わたしはサイドテーブルに置かれていたランタンを持ち出し、城の書庫に向かった。
*
書庫に着いてすぐ、わたしは目についた翻訳書を棚から取り出した。こうやってテーブルに並べてみると、翻訳書は意外に数がある。中にはエルフ語やドワーフ語等もあった。つまりこの世界には人間以外の種族が存在している。あるいは、存在していたということになる。さすがファンタジー世界だ。
とりあえず端から翻訳書を開き、キュクレイから渡された本と同じ文字を探し出す。そうしている間に、いつの間にか日が明けたようで、窓からは朝日が差し込んでいた。
わたしはランタンの火を消し、再び翻訳書に目を移す。もう何十冊目だろうか…この本の文字は中々見つからない。
ガタッ
突然入口の方から物音がした。扉の開く音は一切しなかったはずなのだが…誰かいるのだろうか?
わたしは音のした方をおそるおそる覗いてみる。
「…オーディ」
そこにいたのは、本棚に座って寄りかかりながら寝ているオーディだった。オーディの手には『女性が男性にときめく瞬間とは!?』という本があった。オーディがこの本を読んでいたことよりも、こんな本が城にあったことに驚く。
「オーディ。こんなところで寝ていたら風邪をひくよ」
わたしは寝ているオーディの肩を揺さぶった。しかしオーディは中々起きない。わたしが何度も声を掛けると、彼は眉間に皺をよせ、突然わたしを抱き締めた。
「…うる…さい」
どうやら寝ぼけているようだ。オーディに抱き締められ、わたしは身動きが出来なくなった。
「オーディ。おーい」
こんなに近くで呼んでいるというのに、彼は静かに寝息をたてて眠っている。オーディを見ていたら、なんだかわたしまで眠くなってきた。わたしは眠気に勝てず、オーディの腕の中でそのまま眠りについた。
*
「あれ?ここって…ベッド?」
目が覚めると、わたしは部屋のベッドにいた。
確かオーディに抱き締められたまま動けず、そのまま寝てしまったはずなのだが。
ふと、書庫にキュクレイから渡された本を置いたままだったことに気付く。わたしは全速力で書庫に向かった。
「あ、あった…」
書庫にはわたしが取り出した翻訳書と、キュクレイから渡された本がそのまま残っていた。とりあえずまだ確認していない翻訳書と、その本を持って、わたしは扉の前に行き、立ち止まった。
「…開けておけば良かった」
わたしの両手には積み重なった本があり、扉を開けることは出来ない。扉を開ける魔法でもあればいいのだが、あいにくその魔法をわたしは知らない。
「…俺が開けますよ」
「うわっ!オーディ」
一度本をテーブルに置こうと思い振り返ると、そこにはオーディがいた。わたしは驚いて、思わず本を落とす。
「驚かせてしまってすみません。すぐに気付けたら良かったのですが、その…まさかシヴィル様が戻ってくるとは思わなくて」
オーディは、わたしが落とした本を拾いながら言った。わたしはキュクレイから渡された本をさりげなく拾う。オーディにはバレてはいないようだ。
「それにしても翻訳書なんて…一体何に使うのですか?」
「お、面白そうだったから」
つい言葉が上擦いてしまった。オーディは訝しげな表情でわたしをみた。
「もしかしてまたコーネリアやアニエスに何かを頼まれましたか?」
わたしが何か行動をしているときは、必ずコーネリアとアニエスが絡んでいるのだが、今回は違う。
とりあえず話題を変えてみようと思った。
「と、ところで、オーディは何で書庫で寝てたの?」
「え!そ、それは…本に夢中になりすぎてしまって」
そういえばオーディの手には本があった。確か題名は
「女性が男性にときめく瞬間とは!?だったっけ?」
「ッ!?」
わたしが本の題名を言うと、オーディはみるみるうちに顔を真っ赤にさせた。
「オーディってば、話しかけても揺すっても全く起きないし。最後にはわたしを抱き枕にするし。…わたしも、動けなくてそのまま寝ちゃったけど」
「…そそそ、そうだったんですね。も、申し訳ありません」
オーディの顔はまだ赤い。
普段真面目な騎士団長様が、あの本を読んでいたことや寝惚けてわたしを抱き枕にしたことを知られたら…確かに恥ずかしいだろう。
「大丈夫だよ。誰かに言ったりしないから」
「え!?あ、ありがとうございます」
オーディは一瞬驚いたようだったが、わたしの言葉に安心したのか、すぐにいつもの顔に戻った。
「それで、その翻訳書は何のために?」
話をはぐらかしたつもりだったが、結局オーディを誤魔化すことは出来なかった。
「…今回はコーネリア達は関係ないんだ。エルフやドワーフがいるのを知って、色々な種族の言語を調べてたんだよ」
「そうだったんですね。俺たちからすれば、エルフやドワーフは空想の種族でしたからね。その気持ちは分かります」
わたしは嘘は言っていない。エルフやドワーフの言葉に興味をわいたのは本当だ。とりあえず色々な種族と言っておけば、沢山翻訳書を抱えてたとしても、オーディは不審には思わないだろう。
「この本はシヴィル様のお部屋にお運びしたらよろしいですか?」
「う、うん」
オーディは扉を開けると、わたしから抱えていた本を受け取り、歩きだした。わたしはキュクレイの本がバレるのではないかと、ドキドキしながら、オーディの後をついていく。
「すみません。扉をお願いしてもよろしいでしょうか?」
わたしの部屋の前までくると、両手が塞がっているオーディが申し訳なさそうに言った。本の存在を知られたくないわたしは、急いで扉を開けた。
「ありがとうございます」とオーディはわたしにお礼を言うと、部屋に入り、近くにあるテーブルに持っていた本を置いた。
「オーディ。ありがとう」
「どういたしまして。シヴィル様のお役に立てれば俺は嬉しいです」
そう言ってオーディは優しく笑うと、部屋から出ていった。
婚約パーティのときもそうだが、わたしは最近オーディといると心臓が高鳴ることがある。もしかしたらわたしはオーディが…と思ったが、それは違うことに気づいた。
なぜかというと、心臓がドキドキした前には必ず、ルドラのことや、キュクレイの本のことがあったからだ。つまりこのドキドキは、不安に対するものだとわたしは思った。




