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ⅩⅩⅥ

「あなたみたいなデブが、あの人を振り向かせられる訳ないでしょ。いい加減気付いたらどう?」

「あらデブなんて言ったら可哀想よ。貧乏なシハード家は、鏡すら買えないんだから」


そう言った彼女達の胸元には学院の校章がついていた。どうやらこの二人は学院の生徒のようだ。


「あら。シハード家が貧乏なのは、食費のせいでしょ」

「ちょっと!笑わせないでよ!」


わたしはシハード家を知らないし、なによりも太ってはいない…と思っている。しかし彼女達の他にここにはわたししかいない。


先ほどまでわたしは、いつものように馬車に乗って学院に向かっていた。転移魔法も使ってもいないのに、なぜ今わたしは学院近くにある川辺にいて、見知らぬ女性達に罵られているのだろうか?


「ちょっとトリス。さっきからやけに静かだけど。人の話聞いてるの?」

「クスクス。本当のことを言われて言い返せないんでしょ」

「そんなに素直だと思えないけど。とにかくあなたは少し頭でも冷やしたらいいわよ」


突然わたしは彼女に両手で押された。この状況に困惑していたわたしは反応することも出来ず、そのまま後ろにある川に落ちた。


「ッ!」


あまりの冷たさに、わたしは息が止まりそうだった。夏場なら水の冷たさも気持ち良く感じるが、今は冬である。川の水は氷のように冷たかった。


彼女達は川に落ちたわたしを満足そうに見ると、高らかに笑って去っていった。

…まさか本当にあんな風に笑う人がいるとは…ドラマでしか見たことがなかったが、実際に見ると中々迫力がある。


と、そんなことを考えている場合ではなかった。このままではわたしは凍死をしてしまう。幸いこの川は、水かさが少なく浅い。それに流れもなく静かだった。


倒れた体を起こそうと立ち上がると、わたしはあることに気付いた。なぜか体がいつもより重いのである。不思議に思い自分の手を見れば、そこには太くふっくらし手があった。


嫌な予感がしたわたしは川から出ると、おそるおそる水面に映るる自分の姿を見た。


「だ…誰?」


そこに映っていたのは…シヴィル。ではなく、丸く太った小柄な女性だった。


ぷよぷよした弾力のありそうな頬は朱色に染まり、あごについた肉のおかげで、どこからが首なのかも分からない。綺麗な藍色の髪も、今は川に落ちたせいで乱れている。目はパッチリとしている…のだと思うのだが、太っているせいでその目も埋もれてしまい、お世辞にも可愛いとは言えなかった。


まさか…わたしはまた転生したのだろうか?ふとそんな考えが頭をよぎる。


「トリス。お前またいじめられたのか」


突然、後ろから男性の声がした。


「いい加減恥ずかしいことは止めろよ。俺もお前の弟ってだけで色々言われるんだからな」


振り向くと、そこにはわたしと同じ藍色の髪をした男性が立っていた。彼の言葉からすると、彼はわたしの弟のようだ。ただ彼はわたしとは違い、痩せていた。


「…ちょっと聞いてもいいかな?」

「その言葉使い気持ち悪いな。なんだよ?」


まだ頭は混乱しているが、このまま悩んでいるだけではどうにもならない。気持ち悪いと言われたのは少しショックだったが、今はそんなことを気にしてはいられなかった。


「今、城を治めてるのは誰?」

「タイタム国王に決まってるだろ。川から落ちて頭でも打ったのか?」

「シヴィルは生きてるの?」

「お前…何を当たり前なことを。医者に看てもらった方がいいんじゃないか?それに殿下を呼び捨てなんて。騎士団長に魔法で吊るされるぞ」


騎士団長というのはオーディのことであろう。わたしはこの状況を、同じ世界の未来に転生したと考えたのだが、どうやらその考えは間違っていたようだ。


しかしシヴィルが生きているのなら、今シヴィルの()にいるのは一体誰なのだろうか?


「トリスというのはわたしの名前?」

「はぁ!?お前もしかして記憶喪失になったのか!?」


今まで文句を言いながらも、わたしの質問に答えてくれていた彼だったが、さすがにこの言葉には驚いたようだ。

しかしわたしも今の状況には困惑している。とにかく今は少しでも情報が欲しかった。


「…わたしも今は混乱していて。悪いけど何も聞かないで教えて欲しいんだ」

「部分的に記憶はあるみたいだけど…やっぱり記憶喪失なんだな。それに話し方もなんだか気持ち悪いし…分かったよ」


そう何度も気持ち悪いと言わないで欲しいのだが。しかし彼がわたしを記憶喪失と勘違いしているのは好都合だ。


「お前はシハード家のトリス。んで、俺は弟のコカ」

「コカ…トリス…」


以前コーネリア達とエルフの里に行ったときに、道中で鶏とヘビを合わせたような魔物が多く出てきた。実はその魔物の名前がコカトリスだったのである。


「両親は…魔物が好きなの?」

「は?魔物?なんで?」


なんとなく気になって聞いてみたのだが、この反応を見るとどうやらたまたま同じ名前だっただけのようだ。自分達が魔物と同じ名前と聞いてもいい気はしないだろう。この話題はもう触れないことにした。


「トリスは魔法を使えたり…しないよね?」

「ちょっと待て…さっきなんで魔物が出たんだ!?気になるだろ!?」

「トリスは魔法を使える?」

「なんではぐらかすんだ!?魔物が好きってなんでだよ!」

「トリスは魔法を使える?」

「おい!俺の質問にも答えてくれよ!」

「トリスは魔法を使える?」

「…使えない」


コカには悪いが、わたしは彼が答えるまで同じ質問を繰り返した。彼はようやく諦めてくれたようだ。


「…ん?そういえば?魔法って言えば、お前昨日変なことを言ってたな」

「変なこと?」

「赤い石のついたブレスレットを見ながら「これがあればオーディ様と話せるわ!」って興奮してたんだ。俺にはただのブレスレットにしか見えなかったけどな」

「オーディと話せるって…どういうこと?」

「今度は騎士団長を呼び捨てかよ。…俺も何を言ってるのかと思って聞いてみたけど、そのブレスレットはマホーグで、これを使うと体が入れ替えられるって言ってたぞ」

「…体が入れ替えられる」


コカが言うマホーグとは「魔法具」のことだろうか?確かオーディは、魔法具は生活に関わるものが多いと言っていたが、トリスの持っていた魔法具は特殊なものなのかもしれない。


とにかく今わたしはその魔法具のせいで、この体の持ち主のトリスと入れ替わっているようだ。


「まぁ。そんなものあるわけないし、トリスのいつもの妄想だと思うけどな」

「コカ。しばら…くしゅんッ!」

「お前…川に落ちたの忘れてただろ?風邪引くぞ」


すっかり動転していたわたしは、コカの言うように、自分が川に落ちて濡れていたことをすっかり忘れていた。自分が濡れていたことに気付くと、突然わたしの体は寒く感じ、体が震え始める。


「一度家に帰るぞ。いつものお前なら置いて帰ってやるけど、今のお前を置いて行ったら、寝覚めが悪くなりそうだからな」


*


シハード家の屋敷は貴族街の外れにあった。シハード家の屋敷は他の貴族の屋敷に比べると質素で、こじんまりしていた。


「着替え持ってくるから、ここで待ってろ」


屋敷内は誰もいないようで、静かだった。コカに待ってろと言われ、エントランスでしばらく立ち尽くしていると、コカが大きい布とタオルを持って、わたしのところにやって来た。


「ほらタオル。そこの部屋でこれに着替えてこい」

「…あ、ありがとう」


大きい布だと思ったものは、どうやらトリスの服だったようだ。

コカの言われ通り、近くの部屋に入ると、わたしは濡れた服を脱いで体を拭いた。それにしても…トリスの体は大きい。シヴィルはどんなに食べても太らなかったので、トリスにしたら羨ましい限りだろう。とりあえず急いで体を拭くと、わたしは着替えを済ませ、部屋から出た。


「着替え終わったな。学院まで走れるか?」


おそらくコカは遅刻を気にして急いでいるのだろう。しかしコカには悪いが、わたしは学院に行くつもりはなかった。


「ありがとうコカ。悪いけど、しばらくわたしは学院を休むよ」

「は!?お前早まるなよ!?」

「え?」


「早まるな」とはどういうことだろうか?コカは何か勘違いしているような気がする。


「記憶喪失だからって、死ぬなんて思うなよ。俺はお前のこと好きじゃないけど、死なれるのは嫌だぞ」

「…死ぬつもりはないけど」

「…そう、なのか?それならいいけど」


人の良さそうなコカに、好きじゃないとハッキリ言われてしまうトリスは一体どんな人物なのだろうか?とりあえずコカはわたしが死ぬ気はないことを分かってくれたようで、そのまま彼と別れた。


わたしが真っ先に向かったのは、キュクレイのいる暗晦の森だった。魔法具のせいで、シヴィルとトリスの体が入れ替わったのなら、魔法の使えるキュクレイのところに行けば、体を戻してもらえるかもしれないと思ったのだ。


このままシヴィルのところに行ったとしても、トリスが何の目的で魔法具を使ったのか分からない以上、体を戻して貰えるとは思わない。それにこの姿では、話も出来ずにオーディに追い返されるだろう。とにかく今は魔法の使えるキュクレイに頼るしかなかった。


*


朝に屋敷を出たはずだったのだが、暗晦の森に着いたときには太陽はもう西に傾いていた。


この体でここまで来るのは大変だった。やっとのことで暗晦の森に辿り着いたわたしだったが、ここにきて重大なことに気付いた。


暗晦の森に幻影魔法がかかっていることを忘れていたのである。シヴィルのときは魔法が使えたので問題なかったのだが、魔法の使えないトリスでは、キュクレイの塔の入り口を探すことは不可能だった。


「…そういえば」


ふとわたしは、キュクレイを呼び出す良い方法があることに気づいた。


「キュクレーイ!ラフィムに女装させられて、お嫁にされそうになったのって、ほん「貴様。一体何者だ」


思いきって大声で叫んだのが良かったようだ。わたしの狙い通り、キュクレイはすぐに姿を現した。最後まで言わせてくれないところをみると、この話はどうやら本当のようだ。わたしの目の前には、怒りを露にしたキュクレイがいた。


「おはよう…って、もう昼過ぎか。こんな姿だけど、わたしがシヴィルって言ったら信じる?」

「は?」


ピリピリした空気に耐えきれなかったわたしは、とりあえず軽い感じでキュクレイに伝えてみた。


初めて会ったときのように怒られるかと思ったのだが、シヴィルという名前を出した瞬間、怒っていたキュクレイの顔は一変し、ポカンと驚いた顔になった。キュクレイのこんな顔を見たのは初めてかもしれない。


「…ふざけてるわけじゃないみたいだな」

「えっ?信じてくれるの?」

「…お前が驚いてどうする。シヴィルは必ず目を真っ直ぐ見て話すからな。俺の目を見て怯まずに話せるのはお前くらいだ」


まさかキュクレイがすぐに信じてくれるとは思わなかったので、わたしはなんだか拍子抜けしてしまった。


「ところで、さっきの話は誰に聞いた?」

「ケツァ」

「…忘れろ」


ラフィムとはあれから一度も会ってはいないが、実は祖母のケツァとは時々手紙のやり取りをしていたのだ。その手紙の一つに、昔のキュクレイとラフィムのことが書かれていたのだが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。


「それで…なぜそんな姿になっている?」

「たぶん…魔法具のせいかも」

「互換の魔法具だな。しかしそんなものをどこで手に入れたんだ?それは禁忌の道具だぞ」

「…禁忌の…道具?」

「昔、その魔法具を使って国を乗っ取ろうとした男がいた。それから同じことが起こらないよう、互換の魔法具を作ることは禁止されている」


そんな魔法具をなぜトリスが持っていたのだろうか?と色々思うことはあるのだが、今のわたしはそれどころではなかった。


「…ねぇ…キュクレイ。話の途中で…悪いん…だけど」

「…どうした?」

「この…体…重くて…なんとか…ならない?」

「…そうだな。ちょっとそのまま動くな」


今まで塔に向かいながら話していたのだが、さすがにもう限界だ。わたしの息は切れ切れでこれ以上動けば、そのまま息の根が止まるだろう。


ゼェゼェ言うわたしの姿を見て、キュクレイはわたしに魔法をかけた。トリスのふっくらした体は、みるみるうちに細身の体に変わり、重かった体も一瞬で軽くなった。


「ありがとう。あの体だと思うように動けなくて」

「…気付かなくて悪かった。とりあえず転移を使うぞ」


瞬きをしてる間に、わたしはもうキュクレイの自室に来ていた。魔法が使えなくなると、魔法が使えるキュクレイがなんだか特別に感じてしまうのは不思議だ。


「そこに座れ。アドラ何か飲み物を持ってきてくれ」

「…かしこまりました」


アドラはわたしを訝しげに見ると、何か言いたそうにキュクレイを見たが、結局彼は何も言わずに部屋から出ていった。


「シヴィル。残念だが俺にはお前を元の体に戻すことは出来ない」

「えっ!?」


キュクレイに会えば、すぐにシヴィルに戻れると思っていたわたしは、キュクレイの予想外の言葉に驚いた。


「互換の魔法具は特殊で、魔法を使った奴が自分で解かない限り、お前はその体のままだ」

「…他に方法はないの?」

「魔法具を見つけ出して壊せばいい。使用した奴は死ぬが、自業自得だろう」


トリスがどんな理由でわたしと入れ替わろうと思ったのかは分からないが、さすがに死なせるわけにはいかない。とにかくトリス自身しか解くことが出来ないのであれば、一度彼女と話をしてみたほうがいいかもしれないと思った。


「…彼女と話せればいいけど」


シヴィルの近くにはオーディがいる。オーディは、わたしに見知らぬ人が近付こうものなら、有無を言わさず魔法で転移させるのだ。さすがにそれだと困ることもあるので、今ではわたしに確認をとるようにはなったが、魔法具を使った張本人のトリスが、わたしと話をするとは思えない。


「夜に部屋に行けばいいだろう」

「…一緒に来てくれる?」


確かに部屋に転移させてもらえば、オーディのことも気にせず、トリスと二人で話が出来る。

けれどもしトリスが互換の魔法を解くことを否定したら。

不審者として、もし衛兵を呼ばれたら。

そうなったら魔法の使えないわたしは、何も出来ない。


「当たり前だ。お前を一人にさせることはないから安心しろ」


今日のキュクレイはなんだか頼もしく見える。わたしがシヴィルでなくても、いつも通り優しく接してくれる彼がわたしは嬉しかった。」

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