7.
順調に打ち合わせを終え、帰り支度を始めた俺に、大叔父は少し待っていろとの言葉を残して席を立った。手持ち無沙汰でその場にいると、今まで黙って話を聞いていた公彦が顔を寄せて来た。
「蓮子ちゃんのことだが」
声を低める。
「どうして加世と外に出した?」
俺は公彦の顔を見返した。
「言ったとおりだ。登記の件は蓮子に関係ないだろう」
「違う。わかってんだろ、加世とのこと。オレとお前がいる前でならともかく、二人っきりにするなんて……。自分の嫁さんが可愛くないのか?」
「加世の話は昔のことだ。蓮子には関係ない。……第一、それはお前も同じだろう」
俺が冷たく答えると、公彦はばつの悪そうな表情を作った。首筋をかいて言い訳をするようにつぶやく。
「そりゃあ……確かに女に関しちゃ、オレだってあまり人のことは言えないが。いくらなんでも、昔の女と直接……」
そう続けた後、急にその目を光らせる。
「そうだ。お前、まさか不能なんじゃないだろうな」
俺は露骨に眉をしかめた。
「何の話だ」
公彦は食いつくように言葉を続けた。
「おい、とぼけるな。朝の話だ。蓮子ちゃんのあの反応、お前、あの子にまるっきり手ぇ出してないだろう。やった、なんて見えみえの嘘をつくなよ。こちとらそのくらいお見通しだ。──わかってんのか? 式は明後日なんだぞ。式に出るなら夫婦にならなきゃ、蓮子ちゃんはよそ者だ。それをお前……」
興奮気味の公彦の声音に俺は深く息を吐いた。
「わかりきったことを聞かせるな。昨日は二人とも疲れてたんだ。いくら何でもそんな気になるか」
公彦は、まるで信じられない物を見るような目つきで俺を凝視した。そしてつぶやく。
「……お前、本当に男か?」
「大きなお世話だ」
縁側から大叔父の太い声が響いて来た。そして笑いさざめくように答える加世の涼しげな話し声。公彦はもう一度顔を寄せると、早口で、だがきつく言い放った。
「とにかく今夜はやるんだぞ。でなけりゃ夫婦だと認められない、西浦の式にも出られないんだ。不能だろうが何だろうが、これは当主の義務なんだからな。……ったく、こんな男が主だなんてこれから先が思いやられる」
大げさにため息をつく。俺は仏頂面のまま、大叔父達が来るのを待った。
加世と蓮子の二人を引き連れ、大叔父が笑顔で座敷にもどった。手ずから運んで来た箱を黒檀の台の上に置き、大叔父は慎重な手つきでその桐の箱の蓋を取った。うやうやしく中から取り出したものは、羽二重の袱紗に包まれた白木の鞘の懐剣だった。
大叔父はまるで押し頂くように俺の前に懐剣を置くと、おごそかな表情で頭をたれた。そしておもむろに口を開く。
「今回からは貢生君、君が正統な持ち主となる。孝一郎君が亡くなった後、やむなくわしが後を引き継いだが、これでやっと肩の荷が降ろせたよ」
心底ほっとしたような大叔父の言葉に、俺は無言で懐剣を手にした。今年のために作り変えられた匂うがごとき白木のつかに、くっきりと押された西浦の焼印。
重い手ごたえを感じながらも、俺は静かに大叔父に伝えた。
「お役目、ご苦労様です」
確かに仮の間とはいえ、大儀な役目だっただろう。おぞましい歴史があるだけに、定められた真の持ち主がこれを所有すること以上に、仮の持ち主としての体面や心痛は、想像を絶するものであったに違いない。──無論仮とはいえど、その役目にまつわる甘い汁は吸い放題だっただろうが。
安堵に包まれた大叔父の目に、かすかに惜しむかのような影があるのを読み取って、俺はその唇を引き結んだ。
今度は、俺の番だ。
俺は脇の蓮子を見やった。感情の読めない表情をして、うつむき加減で収まっている。加世と二人で帰って来てから、まだ一度も口を聞いていない。
「蓮子。お前に預けておく」
俺の唐突な提案に、蓮子は大きく目を見開いた。腰を浮かして大叔父が言う。
「いや、貢生君、それは……」
「いいのではないですか」
冷ややかともとれる声音が、大叔父の狼狽をせき止めた。
「もともと儀式で当主に御神刀を渡すのは、一番近しい女性の役目。ちょうど良い機会です。これで、私も儀式のたびに家へ呼ばれずにすみます」
あくまで冷静な加世の言葉。その表情は能面のようで、ただでさえ人形じみた顔立ちが余計に作り物のように思えた。
公彦が小さくため息をついた。そしてつぶやく。
「孝一郎さんの後の当主は、仮の親父がやもめのまんまだったからな。嫁いだ加世がずっと役目を続けられるわけでもないし。まあ、ちょうどいい潮時なんじゃないか」
「お前らがそう言うんなら別だが……。しかし……」
大叔父はさらに言いかけたが、加世の冷たい一睨みで苦しい語尾を濁してしまった。
だが、自らが反対の言葉を止めておきながら、加世の眉根がわずかにゆがんだ。それは憤懣やるかたない思いがにじみ出ているようだった。
「私が持っていいのですか?」
意味が理解出来ないままに改めて問う蓮子の言葉に、俺は黙って手の懐剣を蓮子の腕へと押しつけた。とまどいの表情を見せながらも蓮子はそれを受け取ると、丁寧に袱紗の中に包んで元の通りに箱に収めた。
「さて」
どこか重苦しい雰囲気を払拭するように公彦が言った。
「用事がすんだら、オレはちょっとばかり出かけたいんだが。温泉まで野暮用があってね」
「お前はまた、こんな時に……」
しかめ面をした大叔父が説教口調で言いかける。それをなだめて俺は言った。
「それでは、私達もこれで」
「おう、じゃ、またな」
明るく答え、公彦が片目をつむって見せる。俺は苦笑いをして席を立ちかけた。──その時。
「貢生さん」
ぴんと張り詰めた声の響きが俺達の動きを止めた。
「本当に、私がいなくても大丈夫ね?」
俺は加世の顔を見た。仮面にも似たその表情に、どこか俺にすがるかのような影がかすめる。それを黙って読み取って、俺はゆっくりとうなずいた。
「ああ。大丈夫だ。必要ない」
加世の表情に再びいつもの静けさがもどった。水面に現れた大きな波紋は、まるで何もなかったようにもとの静寂に帰っていた。
「それでは」
黙り込んでいる蓮子をうながし、俺は改めてその場に立ち上がった。ふと大叔父が気づいたように言う。
「ああ、そうだ。貢生君、姉さんにもたまには顔を見せるように言ってくれないか。昔っから出不精だったが、最近はことにひどくなって……」
最後にぐちるように言われて、俺は静かにうなずいた。
*
屋敷にもどると、午後の日差しがもっとも厳しい時刻になっていた。
土壁の脇に立つ赤松の影から薄汚れた半纏に股引、手甲姿の堅三が現れた。この暑いさなかに松葉摘みをしていたらしく、詰めた赤松の深緑色の葉先が、庭のそこここに散らばっている。使い込まれた高枝ばさみを片手に軽く会釈すると、堅三は母屋の西を指差した。手ぬぐいで汗を拭きながら、はさみを松の根元に置く。
「ああ、わかった。行こう」
俺がうなずくと堅三は首を振り、俺の後ろに立っていた蓮子の姿を指し示した。
「私……ですか?」
蓮子が目を丸くする。堅三は大きくうなずいた。
「私に、何を……」
とまどう蓮子に俺が答えた。
「まだお婆様に直接お会いしたことはないだろう。お前と話がしたいらしい。行くぞ」
足を踏み出した俺の行く手を、堅三の無言の視線が阻んだ。堅三は何の行動も起こさず、ただ俺の顔を見ていた。
俺は言った。
「わかってる。俺は部屋まで送るだけだ」
堅三は静かにうなずいた。