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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
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6.

 顔なじみである女中頭と久しぶりの挨拶を交わした後、俺と蓮子は客間に向かった。飴色に磨き上げられた杉の板張りの廊下を渡って、広い中庭に面した客間へ案内される。女中頭が優雅な手つきで透かしの入った障子を開ける。


「すまんな。親父がまた村の寄り合いに呼び出されて、昼過ぎにならんと帰って来やしないんだ」


 背広姿の公彦が申し訳なさそうに長身を縮め、黒檀の台を挟んで待っていた。


「詰めの打ち合わせでオレが相手じゃ、役者不足だろうがな。まあ、世代交代の予行演習だとでも思って勘弁してくれ」


 ぺこりと下げた頭に笑い、俺はしつらえられた席にゆっくりと腰を下ろした。


「おじさんが忙しいのはいつものことだ。だがお前で本当にことは足りるのか? 席順なんぞお前は教えられてないだろう。式の手順は俺がふまえて進められるが、人や会場に関しては新宅がやる仕事だからな。……まして今回は蓮子の件もある。もう一度初めから説明するのか?」

「偉そうなことを言いやがるな。年下のくせに生意気な。お前は昔からそうだった」


 公彦はぶつくさつぶやくと、腕組みをして胸を反らせた。


「まあ、オレにまかしとけって。だてに長年親父の秘書をやらされてるわけじゃない」


 そして、隣で静かに座る蓮子へと人懐こい笑顔を向ける。


「久しぶりだね。四十九日の時はお互いに何だかバタバタしていて、結局向こうでちょっとばかり顔を合わせただけだったから……」


 そうにこやかに話しかけられ、蓮子は加世に伝えた時と同じく固い声で答えた。


「先日はお世話になりました。色々と御迷惑をおかけしました」


 死んだ最愛の姉の夫。

 殺された赤ん坊の父親。

 そしておそらく、自分の姉が死んだ理由を笑顔の深くに秘めている男。──きっと、蓮子はそんな思いを胸にめぐらせているのだろう。


「失礼します」


 加世の声がした。煎茶と茶請けの生菓子を運んで来た妹に、公彦は思い出したように口を開いた。


「ああ、そうだ。紹介するよ、蓮子ちゃん。これが、オレの妹の──」

「心得てらっしゃいますわ」


 俺の前に茶を出しながら、加世がやんわりと兄の言葉を止めた。


「先ほど、お庭でお会いしました。貢生さんにご紹介いただいて……ねえ、蓮子さん?」


 加世はさっきと打って変わって愛くるしい笑みを浮かべながら、横の蓮子に返答を求めた。蓮子は凛とした声で答えた。


「ええ。……」


 黙って一口茶を含み、喉を湿らせてから俺は言った。


「式については、どの辺から話を進めればいい?」


 あくまで事務的な俺の態度に公彦が軽く肩をすくめる。それから目くばせで合図して、加世をその場から下がらせた。そして俺に顔を寄せ、ちらりと蓮子を見やって尋ねる。


「蓮子ちゃんには、どこまで説明を?」


 俺は首を振った。


「まだ、何も」

「えっ、おい、式は明後日だぞ? オレはとっくに、それこそ嫁入りの前にでも済んでるもんだと思ったが」


 仰天する公彦と、不審げな目で俺を眺める蓮子の双方に詰め寄られ、俺は静かに言葉を返した。


「結局、俺と蓮子が初めて顔を合わせたのが昨日の話だからな。おじさんやお婆様には、俺が今日明日のうちに、きちんと次第を教えると言ってある」

「それならいいがな。それにしてもなあ」


 公彦はまだ思案するように、俺と蓮子を交互に見やった。


「儀式の手順だの何だのに、年寄りは小うるせえからな。お前のことだから大丈夫だとは思うが。……ま、きっちり教えてやんな。ゆうべみたいに、手取り足取りな」


 にやにやと下世話に笑って見せる。蓮子はきょとんとした顔つきで見返し、俺は押し黙った。

 一通り打ち合わせが済むと、加世が頃合いを見計らって再び姿を現した。


「お食事の用意が出来ました」


 公彦はうなずき、俺に顔を向けて言った。


「じゃあ、これで詰めの準備は整ったな。後はオレが親父と二人でもう一度打ち合わせをするから、飯でも食ってゆっくりしてってくれ。お前らが来るって言うんで、色々と用意をさせたんだ。こんな時じゃないとオレもお前と話が出来んしな」


 意味ありげに笑って見せる。


「それにほれ、珍しく加世が帰って来てるもんで、今日は朝からそれこそ祭りみたいな騒ぎで……。これで昼間っからおおっぴらに酒が飲める」


 脇で聞いていた加世が小さな笑いを漏らす。


「兄さんも、貢生さんにお会いできるのをとても楽しみにしていましたわ。どうぞゆっくりしていって下さいな。……蓮子さんも」


 俺は無言で言葉に応じ、蓮子はぎこちなく微笑した。


     *


 会席膳の昼食の間、俺と公彦は穏やかな雰囲気の中で、他愛もない会話を交わした。内容は俺の学業のことや、案外真面目に勤めているらしい公彦の仕事の話に終始し、西浦については──家についても、人についても──蓮子の立場を考慮したのだろう、公彦は話題に上らせず、あえて俺も口にしなかった。蓮子も疑惑は疑惑として、愛想の良い公彦の態度に多少緊張がほぐれたようで、いつしか小さく笑い声を立てるくらいには打ち解けていた。

 ただ、加世は──気詰まりらしい蓮子がいくら手伝うといっても、謎めいた笑みでそれを制してただ接待に従事していた。

 静かに控える加世に目をやり、公彦がふと口を開いた。


「昔っから、お前と加世はオレにくっついて回ってたからな。まるで三人兄弟みたいだって親戚連中によく言われたし、オレもうすうすそうなるんだろうと思ってたよ。……ま、あんときゃまわりもその気でいたんだろうし、実際どう考えても、それ以外の選択肢なんてなかったからな。まさか東野がからんでくるとは……」

「あら、兄さんも私達が一緒になると思ってらしたの?」


 今まで会話に参加せず、ただ唇に笑みを浮かべて黙って給仕をしていた加世が、初めて面白そうに尋ねた。公彦は深くうなずくと、冗談めかして言葉を続けた。


「当たり前だろう。裏でどうだったかは別として、西浦は今まで他家からの嫁取りはしなかったんだ。まして本家の嫁選びなんて、相手はほぼ決まったようなもんだ。──まあ、結局そうはならなかったわけだがな」


 加世は鈴の鳴るような声で笑った。


「兄さん、蓮子さんに失礼よ」

「あ、すまん」


 ぺこりと公彦に頭を下げられ、黙って話を聞いていた蓮子は柔らかく笑顔を作って見せた。が、その深淵にも似た黒瞳は何かを探るかのような色を帯び、決して笑ってはいなかった。

 後はなごやかに食事が終わり、用事を済ませた大叔父がやっと屋敷に戻って来た。恐縮してみせる大叔父のわびをつとめて明るくとりなした後、俺と公彦は大叔父を含め、最後の打ち合わせを行った。大叔父に言いつけられて、必要な書類を持って来た加世が席を立ちかけた時、俺は静かに口を開いた。


「加世。悪いが蓮子をつれて、庭でも案内してやってくれないか?」


 唐突すぎる俺の言葉に、加世が切れ長の目を丸くする。蓮子はいぶかしげな顔つきで俺の顔をじっと見すえた。二人の注視に、俺はそっけない声で続けた。


「これは蓮子にはあまり関係のない話だ。退屈な思いをさせるのも気の毒だからな」


 そして、蓮子に強いまなざしを投げる。蓮子は俺の目に何を読み取ったのか、うなずくと無言で腰を上げた。流れるような立ち居振る舞いで二人が出て行った後、大叔父がひどく感じ入ったような視線を俺へと向けた。


「いやあ、貢生君。見事なもんだな」

「何でしょうか?」

「蓮子ちゃんだよ。君の言うことを素直に聞いて、黙って出て行くあの姿。昨日会ったばかりだというのに、もう長年連れ添った夫婦のような雰囲気があるよ。昨日、あの後二人で何を話し合ったんだか知らないが、なかなかやるなあ」


 しきりに感心している姿に俺はいささか嫌気がさして、淡々と言葉を継いだ。


「いいえ。ただ蓮子が退屈そうでしたし、加世もいるので、せっかくだからと考えただけです」

「いやいや、それにしても君の一言で動く蓮子ちゃんの顔がねえ、すべて心得たという顔で……いや、たいしたもんだ」


 なおもうなずく大叔父の様子に、俺は仏頂面で押し黙った。

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