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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
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5.

 朝のまぶしい光が入る渡り廊下を通り抜け、俺は母屋の座敷に向かった。

 昨夜はあれほど出入りが激しく気ぜわしかった大広間も、今朝はひっそりと朝食の膳が二組並ぶにとどまっている。木戸やふすまを元通りに取りつけただけで、これほど容易に日常がもどって来ようとは思わなかった。

 だが、今日から三日間、村は特別な時期を迎える。日常に内包されたハレの日の準備は、よく晴れた朝の光の中ですでに始まっているようだった。

 俺は静かに席へつき、自分の膳に向かって並ぶもう一組の膳を眺めた。台所に続く廊下から元気なはつさんの声が聞こえる。


「それじゃ蓮子さん、もうお座りになって下さいな。後は私がやりますから」


 障子が動いて、影からはつさんの見慣れた割烹着姿がのぞく。そう思ったとたん、意外な事実に眉を寄せた。はつさんだと思った人影は、はつさんの割烹着を身に着けた蓮子の姿だったのだ。

 俺の目など気にも留めずに蓮子は割烹着から袖を抜き、たたんで置くとしとやかに席についた。よくのりをきかせた白いシャツと、飾り気のない紺のスカート。清楚を形にしたような姿に、俺は内心舌を巻いた。


──周囲がだまされるのも無理はない。


 起きたらいないと思ったら、はつさんの手伝いをしていたわけだ。その様子といい、やることといい、確かに文句のつけどころのない西浦本家の嫁候補である。

 やがて、はつさんが飯櫃を抱えて座敷の中に入って来た。はつさんの給仕で朝食が始まる。俺が茶碗を手に取ると、はつさんはにこにこと無邪気に笑って得意のおしゃべりを披露した。


「貢生さん、あなた、幸せ者ですよ。まだお若いのに礼儀をわきまえて、今時これほど出来たお嬢さんはどこを探してもいやしません。新宅にいらした蓉子さんもよく出来た方だと聞いておりましたけれど、やっぱり御姉妹なんですねえ」

「……いいえ、とんでもない」


 柔らかな声で当たりさわりなく、蓮子がはつさんの言葉に答える。俺は口元に笑みをたたえて、すまし顔をした蓮子に尋ねた。


「夕べはよく眠れましたか?」


 蓮子はぴくりと眉を動かし、小さな声でつぶやいた。


「はい。おかげさまで」

「そうですか。それはよかった」


 俺は思わず笑いをこらえた。これは猫などではなくて、狸と狐の化かし合いだ。

 あくまでも穏やかに俺は続けた。


「今日はこの後、大叔父の家を尋ねます。食事が済んだらあなたも仕度をして下さい」


 蓮子は素直にうなずいた。俺ははつさんの方に顔を向け直した。


「お婆様はどうしましたか?」

「雪枝様ならとうの昔に召し上がられて、お部屋にいらっしゃいますよ。明後日の準備でお忙しいようで、私がお部屋までお運びしました」

「そうですか」


 ふとはつさんは顔を上げ、思い出したように口を開いた。


「貢生さん、雪枝様が、蓮子さんに操さんを御紹介するようにとのことでした」


 俺ははつさんをじっと見すえた。その視線に、はつさんはおどおどした調子で続けた。


「気が進まないとは思いますけれども、ゆくゆくはお分かりになることですし……」


 言い終わると目を伏せてしまう。俺は黙って茶碗を置いた。

 これはどういうことなのか。せめて明後日の式が済むまで、このまま彼女がいる気配さえ知らせずにおくとふんでいたのだが。それとも、ついにあの人の存在を認知する気になったのか。だが、今さら……。

 俺が考えあぐねていると、その視線の先を読んだのかはつさんはことさら明るく告げた。


「操さんのことは堅三にまかせて、まずは新宅へ行ってらっしゃい。お昼はあちらでご馳走になるんでしょう?」

「そうですね。そういうことになると思います」


 俺がうなずきながら答えると、はつさんは明らかにほっとした顔で胸を押さえて言葉を続けた。


「ようございます。お式のことだけでなく、久しぶりに公彦さんと積もるお話もあるでしょう。ごゆっくりなすって下さいな」


 俺は味噌汁の椀に手をかけ、ふと蓮子の方を見やった。眉間に深いしわを寄せ、会話に聞き耳を立てていたらしい。俺の目にはっとしたようにうつむく。

 俺はそ知らぬ顔を作ると身を縮めている蓮子に伝えた。


「何かわからないことがあったら、何でも僕に聞いて下さい」

「はい」


 やはり素直な蓮子の返事。しかしその目は興味深げで、揺らいで見える瞳の奥に強い関心が見受けられた。


──すぐにわかるさ。嫌ってほどな。


 俺は残酷な思いを胸に、何も知らない蓮子を見つめた。


     *


 荘重な屋根作りの門をくぐると、そこには鮮やかな緑があった。

 門から玄関へと続く打ち水で濡れた飛び石と、間に敷き詰められた玉砂利の美しい対比に感嘆しながら、俺は大叔父邸へ足を踏み入れた。名のある庭師の仕業だろう、暗緑色のつつじの植え込みや、珍しい形の松の大木が見事に配置されている。

 玄関に向かう飛び石とは別に、大叔父自慢の泉水へと訪れる者を案内する石。それを目で追い、ふと俺は顔を上げた。まるで庭の一部のようにそこにたたずむ人物に気がついたのだ。

 遣り水にかけられた橋の手前で秀麗な顔が微笑した。茜色の薄いワンピースが、折れそうなくらいに細い体をぴったりと包み込んでいる。


加世(かよ)


 俺は呼び慣れた名を呼んだ。長身で細身の体。女性というよりも、どちらかというと中性的な体が近づいて来る。


「貢生さん? あら、早かったのね」


 まるで人形のように整った、全てが小作りの顔立ち。日本人にしては赤茶けた、しかしそのために作り物じみた容貌を柔かく見せる長い髪。巻き毛の先をほっそりとした顎にゆるやかにまといつかせている。

 俺は思わず頬をゆがめた。

 その全てに見覚えがある。一つ一つの造作の全てが懐かしく、痛切な思い出をよみがえらせる。彼女はさんご色の唇を開いた。


「びっくりしたわ。来るとは聞いていたけれど、早くても昼頃だって兄さんが……」


 茶をおびた二重の切れ長の瞳が、ひどく懐かしげな笑いを含んだ。それはすでに過ぎ去ったはずの時を否応なく思い起こさせた。


「変わらないのね。いつでも難しそうな顔をして。……その方が、蓮子さん?」


 加世の穏やかな表情が、ふと気がついたように俺の後ろに向けられた。遠慮がちな様子で後ろにひかえていた自分の花嫁を、俺は前へと押し出した。


「俺の婚約者だ」


 すう、と加世の瞳が細められる。緊張をおびた声音で蓮子は加世に自己紹介をした。


「初めまして。東野蓮子と申します」


 ていねいに頭を下げる。加世も深く会釈した後、まるで値踏みをするような目で蓮子の全身を眺め回した。


「お姉さんの蓉子さんとは親しくさせていただきましたが、蓮子さんにお目にかかるのはこれが初めてでしたわね。……加世と申します。西浦公彦の妹で、貢生さんとは兄と同じく、幼なじみになりますわ」

「ああ……」


 蓮子は納得のいった声を上げた。話には聞いていたのだろう。姉の夫である公彦に、九歳年下の妹がいると。


「お前はどうしてここにいるんだ」


 動揺を殺した俺の問いかけに、加世は皮肉げな微笑みで答えた。


「実家に遊びに来てはいけないの? お父様に呼び戻されたの。今日から西浦のお祭りですもの」

「一度家を出た人間でもか」

「私も、まだ西浦の名前を背負っていますから」


 きっぱりとした加世の返答に、俺は抑えた軽蔑の中で淡くほろ苦い感情を覚えた。


──加世は自分を変わらないと言ったが、あくまでも名前や形式にこだわるところは、やはり加世も変わらないのだ。


「ごめんなさい、立ち話をさせてしまって。すぐにご案内します」


 ふと気がついたように口に手を当てる。加世は俺達の先に立つと、優雅に飛び石の小道を踏んだ。 

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