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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
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4.

「とぼけないでよ」


 蓮子は憎々しげに吐き捨てた。今の今まで前にいた古式豊かな少女の姿は、毛を逆立てた雌猫に化けた。──いや、違う。これが本当の蓮子の姿なのだろう。光義や親族、果ては俺さえもだまされたとはたいした演技だ。


「姉さんを、あんなにしたのはあんたでしょう。姉さんに聞いたんだから。この村のせいだって、西浦の、本家の当主のせいだって。当主って言ったらあんたじゃない!」


 俺はしばし、蓮子の憎しみに揺れる黒い瞳を見ていた。その目は必死で真剣だった。ねじ上げた腕が痛むのだろう、細く形の良い眉をゆがめてそれでも俺をねめつける。

 その場に放り出すように、俺は蓮子から手を離した。蓮子は飛びのき、ねじられていた腕のつけ根を押さえながらも、威嚇するかのごとく懐剣を構えた。白木のつかの東野の家紋を俺ははっきりと読み取った。

 俺は唇の両端をつり上げた。優しい仮面を取り外し、完璧に冷笑して見せる。


「……そこまで知っていて、よくもここに来る気になったな」


 俺の表情の変化に蓮子がおびえたように後ずさる。が、すぐさま口を開いた。


「姉さんは何であんなことになったの。姉さんの赤ちゃんはどうなったの? 一体、この村に何があるっていうの!?」


 俺は冷ややかに言葉を返した。


「あれは気の毒なことをした」


 淡々と話を続ける。


「この村に、他家の娘が正式に嫁いで来るなんていうのは、村が始まって以来の出来事だったからな。……東野蓉子が耐えられなかったのも無理はない」

「だから、一体何があったのよ!?」


 蓮子が叫ぶように言う。俺は小さく肩をすくめた。


「まず先にその、物騒なものをしまってくれないか。人に話を聞きたいのなら、礼儀というものがあるだろう」

「礼儀? 礼儀ですって?」

「そうだ」


 刃物を取り上げるのは簡単だが、それは彼女の興奮という火に油を注ぐだけである。俺は出来るだけ平穏無事にこの夜を迎えたかったのだ。今後、自分のなすべきことを計画通りに進めるためにも。

 蓮子は射るような目で俺を見た。俺は苦笑いして言った。


「俺の話が聞きたいんだろう? 俺を殺してどうするんだ」


 蓮子は一つため息をついて、そろそろと懐剣の刃先を下げた。俺はその場に腰を下ろすと、蓮子を見上げて畳を示した。


「立ち話もなんだ、座れ」


 疑いにも似た表情で俺と畳を見比べた後、蓮子は思い切ったように膝をついた。


「……ここに来たのは、姉さんのことが少しでもわかるかもしれないと思ったからよ」


 ひとりごとのように低く言う。


「病院でうわごとを聞いたわ。赤ちゃんが、赤ちゃんがって、ずっとうなされてた。皆は赤ちゃんが死産だったことを言ってるんだって思ってたけど」


 声が震えた。


「私は聞いたのよ。あれは死産なんかじゃない、赤ちゃんは生まれてすぐに殺されたんだって」


 言葉が途切れる。見ると、彼女の長いまつげが満ちた涙で濡れていた。


「姉さんの意識が戻った時、そこには私しかいなかった。もし皆がいたら姉さんは言えなかったかもしれない。──でも姉さんは私に言ったわ。『お前は西浦へは行くな、西浦の当主が赤ちゃんを』って。西浦の当主が赤ちゃんを殺した。それだけ──それ以上は何にも話してくれなかった。一体何があったのか、どうして赤ちゃんが殺されたのか」


 堪え切れないように首を振る。


「姉さんが手首を切った理由も」

「……そして結局自殺したのか」


 俺は自分の声を遠くに聞いた。

 半年ほど前、西浦公彦の妻、蓉子は自宅の浴室で手首を切って、近くの病院に運び込まれた。一命は取り留めたものの、医師や看護師が目を離した隙に病室で首を吊り、結局思いを遂げたのだ。遺書はなく、自殺の動機は数日前に行われた出産が死産だったがゆえの精神錯乱とされている。

 蓮子は再び懐剣を構えた。懐剣を握りしめた手が力を込めすぎて白くなっていた。


「私がお医者様を呼んで、もどったら、もう……」


 火を噴きそうな憎しみの瞳。それが蘇る記憶に揺らぐ自制を映し出している。


「あんた、姉さんに何をしたの。本当に赤ちゃんを殺したの? 返事次第では」


 刃先が震えた。地を這うような低い声がした。


「ただではおかない」


 俺は苦笑した。蓮子が顔を引きつらせる。


「何がおかしいの!?」

「……お前は自分の立場が分かってるのか」


 冷たい響きで突き放す。蓮子は大きく目を見開いた。


「ここは西浦の本家の屋敷で、俺はこの家の跡取りだ。今、お前はたった一人でこの俺の部屋にいるんだぞ」


 蓮子はごくりと喉を鳴らした。俺は唇だけで笑った。


「もしもお前が言うように俺が姉を殺したとしたら……。そんな懐剣一本で片がつくとでも思ってたのか?」


 蓮子は思いつめた目で何か言いかけ、そして俺から視線をそらした。頬をゆがめてくやしげに青い畳をにらみつける。


「覚悟は出来てるわ」


 乾いた声だった。


「姉さんがずっと言い続けてたのは、『お前は西浦には行くな』だった。私に気がついてから、私が離れるその瞬間まで、姉さんはずっと私に言ってた。私の立場も考えた上で私にそう言ったのよ。西浦と繋がりが出来るっていう意味を知っていて、その上であの姉さんが、……いつも家のことを思ってて、家の立場を一番に考えてた姉さんがそう言ったのよ。私に西浦から逃げろって。それは西浦だけじゃない、東野の家からも逃げろってことよ」


 伏せた瞳に焦燥の影がよぎった。


「あの時、離れなければ良かった。今でもそう思ってるわ。あの時私が離れなければ、もっとよく話を聞いてればって。私が目を離さなければ、姉さんはもしかして……」

「やめろ」


 うめくような形で俺は蓮子の話を途中で止めた。蓮子の追い詰められた声音に、俺の方が耐え切れなかった。

 蓮子はぴんと背筋を伸ばして真正面から俺を見つめた。力強い声で言い放つ。


「私は何も怖くない。言われた通りに逃げ出したら、私は東野へも戻れない。だったら、ここで何があったか知りたいの。姉さんがどんな目に会ったのか……それがわかれば、何があってもかまわない」


 静かに告げた。


「もう姉さんもいないんだもの」


 沈黙が落ちた。

 近くで蛙の鳴き声が響いた。

 しばらくの間、俺達は互いの反応を確かめていた。蓮子は投げた言葉の行く末を、俺はこれからの自分の行動に蓮子の事象を含むべきかを、互いに相手の振る舞いから読み取ろうと努力していた。


「──やめておけ」


 息詰まるような沈黙に、先に音を上げたのはやはり俺の方だった。


「余計なことを知ろうとするのは止めておけ。東野蓉子も、妹のお前に知られることを望まないはずだ」

「でも……」

「何も言わずに死んだのが、その何よりの証拠だろう」


 全てを切り捨てる結論に蓮子は唇を噛みしめた。胸に奇妙な罪悪感を覚え、俺は下手な説明を継いだ。


「東野蓉子はお前に西浦に行くなと言った。だが、かたきを取ってくれとは言わなかった。……つまり、そう言うことだ。そう簡単に思いつめるな。お前が身を捨ててでしゃばらなくても、いずれ何もかも知る時が来る。だから今は大人しく猫をかぶったままでいろ」


 蓮子は、どこかぼんやりとした表情で俺の顔を見た。ぽつりとつぶやく。


「あなたじゃなかったの。姉さんを殺したのは」


 俺はわずかに瞳を細めた。


「どういう意味だ」

「だって、きちんと姉さんのことを私に説明してくれるもの」


 蓮子は力なく懐剣を置いた。


「ほんとに姉さんを殺した人が、言い訳もせずに姉さんのことで忠告してくれる訳がない」


 青畳に映えた白い刃先が、ひっそりと蓮子の無気力をたたえる。怒りのやり場を失ったのか、声は途方に暮れていた。


「あなたじゃなければ、一体誰なの。姉さんを殺したのは」


 俺は頼りない肩を認めた。

 しばし憂いに沈み込んでいる目の前の娘を眺めた後、俺は小さくため息をついた。生意気な小娘だった蓮子が、初めて自らの不遇におびえる年相応の娘に見えた。


──本当に知りたいのか。


 こんなおぞましい村の秘密を。

 不安に震え、恐れながらも、なおも真実に踏み込もうとする蓮子のひたむきなまなざしに、わずかながらも俺は心を動かされていた。


「取引だ」


 どこか引きずる思いを断つべく冷たく俺が切り出すと、蓮子は顔を輝かせた。


「何か私に教えてくれるの?」


 俺は静かにうなずいた。


「その代わり、先に忠告はしておく。俺の話を聞いたらお前はもう東野へは帰れない。このまま何も知らずにいれば、俺の力で明日一番にお前を東野へ送り届けてやる。東野の家にもお前の体にも、傷一つつけずにだ。だが、それでも残るというのなら話は別だ。俺はお前を利用する。何が起こっても感知しない。むしろ」


 冷酷に宣言する。


「……俺の邪魔になるようならば、俺がお前を切り捨ててやる」


──こいつがこれからどうなろうとも、こいつ自身が望んだことだ。こいつの好きにさせればいい。


 俺の邪魔さえしなければ。

 俺を見つめる蓮子の瞳に、次第に強靭な意思を示す鋭い輝きがもどって来た。


「望むところよ」


 蓮子は冴え冴えと黒瞳を光らせ、断固たる口調で言い切った。


「言ったでしょう? 私は何も怖くない。姉さんが一体どんな目に会ったのか、それが分かれば何が起こってもかまわない」


 口元を強く引き結び、あふれんばかりに力のある目で再び俺の顔を見返す。俺はふっと笑いを漏らし、その場からゆっくりと立ち上がった。


──面白いことになったものだ。


 俺の行く先を認め、蓮子はきょとんとした表情を作った。


「これから何かするんじゃないの?」


 十畳間の布団の上にごろりと横になった俺は、泰然としてその問いに答えた。


「馬鹿を言え。今夜、俺達は初夜を迎えているんだぞ。それなのに、花嫁と花婿の二人がふらふらその辺を出歩いてみろ。村の人間にでも見られたらそれこそえらいことになる」


 大きく欠伸をした後で、畳の上に座ったままの蓮子を手枕で見やる。


「俺達は一挙一動を村の人間に見張られてるんだ。本当にこの村にふさわしいのか、村を治める者としてどこかに落ち度はないのかとな。特にお前だ。不審に思われるような行動はするなよ。今日、広間にいた時のように、何ごともそつなくこなせ。余計なことは絶対に喋るな。……村の説明は明日からだ。今日はもう寝る」


 蓮子は納得の表情を作りかけ、すぐにその顔色を変えた。あわてたように腰を浮かす。


「私も、ここで寝るの?」


 異性と二人で床を取ることに年相応の動揺を見せる。

 俺は思わず苦笑した。


「今、言っただろう。不審に思われることはするなと。花嫁がここから布団をかついで母屋に出て行けるのか?」


 蓮子は頬を赤らめた後、途方にくれた顔をして並んだ布団と俺を見比べた。俺は蓮子の頼りなげな目におかしくなって口を開いた。


「心配しなくても、俺はお前に手は出さない。子供相手にそんな気になるか」


 蓮子はむっとしたように、唇をへの字に曲げて言った。


「気にするだけ無駄みたいね」


 大きくため息をつく。


「いいわ、私もここで寝るわよ。ただし指一本でも私に触れたら承知しませんからね!」


 そう言うと立ち上がり、俺の寝ている布団からもう一組の布団を離して、座敷の隅へと引きずっていく。それを見ながら俺は笑った。


「承知しない、とはどういう意味だ? 俺達はもう夫婦も同然だ。その気があるかどうかは別として、俺がお前に何をしようが文句を言われる筋合いはない」


 蓮子は柳眉を逆立てて俺を睨みつけ、つぶやいた。


「油断出来ないったらありゃしない」


 ぷいと俺に背を向けて、布団の中にもぐり込む。

 つくづく、面白い奴だ。

 そっと笑いを噛み殺した後、改めて布団に横になる。外から響く蛙の鳴き声は、いつのまにか慣れた故郷の懐かしい音色へと変化していた。

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