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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
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3.

「で? 嫁さんは?」


 公彦がきょろきょろと辺りを見回す。渋面を作って大叔父が答えた。


蓮子(れんこ)ちゃんなら、西方の座敷で支度をしとる最中だ。お前、せんも会ったろうが」

「ああ、あの子……」


 大叔父の返事に納得しかけ、公彦は一瞬眉をひそめた。が、すぐに思い直したように俺へと向き直る。


「お前、まだ会ってないのか。可愛い子だぞ。まあ、蓉子(ようこ)に似てるって言やあ似てらあな」


──それだけ聞けば十分だ。


 俺は冷たく鼻で笑うと無感情に切り返した。


「これで、俺とお前は義理の兄弟にもなるわけだ」


 吐き気がする。ただでさえ近しい血族を更に同じ血で縛りつけ、繋がりの強化を図ろうとする、張り巡らされた蜘蛛の巣のような村独特の家意識に。そして、それに気づくことなく安住している村人達にも。

 吐き気がする。

 何よりも、その象徴に担ぎ上げられている自分自身に。

 公彦は露骨に頬をゆがめた。とは言っても、俺の思いを言葉のはしに読み取ったためではない。


「よしてくれ。もう、オレは東野と何の繋がりもなくなったんだ。これで縁が切れたと思ったんだがな。……ま、お前がオレや父親の二の舞にならないことを願っとくよ。じゃあな」


 それだけ言って、さっさとその場から立ち上がる。


「こら、公彦、今度はどこに……!」


 あわてる大叔父に片目をつぶると、公彦は飄々と再び人ごみにまぎれてしまった。大叔父がため息混じりにつぶやく。


「また違う女のところか。まず、あいつは懲りるということを知らん。早く適当な相手を見つくろって、あいつに押しつけんとな。……九十九(つくも)んとこの姪あたりか、良行さんの孫にあたってみるかのう」


 さりげなく漏らした大叔父のつぶやきに、俺は思わず顔をそむけた。そうして、第二の東野蓉子を作り出す気か。あの出来事からまだ一年もたっていないというのに。

 その時、西の座敷の方から人々のどよめきが聞こえて来た。


「どうやら支度が出来たようだ」


 重々しくも、喜びに満ちた大叔父の声が聞こえた。その口元にあふれんばかりの笑みをたたえている。


「貢生君、くれぐれも蓮子ちゃんのことをよろしく頼むよ。東野に直々に頭を下げられたからなあ。『娘を頼む』ってなあ」


 その光景を思い出したように何度もうなずく村長へ、俺は落ち着き払って答えた。


「承知しています」


 俺への生け贄。哀れな娘。


「蓮子ちゃんだ」


 感極まった大叔父の言葉に、俺はゆっくりと顔を上げた。

 大きく障子が左右に開かれた。人々の漏らすため息の合間から、つき添い人に片手を取られ、一人の少女が俺の目の前へしずしずと進み出た。

 金糸銀糸をふんだんに使った、古式ゆかしい花嫁の打ちかけ。表は黒地で、袖とすそには鶴や亀、松が豪華に刺繍され、両の肩には紅白のぼたんが色鮮やかに描かれている。そして何より、綿帽子からわずかにのぞくうつむきかげんの白い美貌。

 それは、確かに感嘆に値した。

 すり足の足袋をつと止めて、つき添い人を下がらせる。彼女はその場で膝を折り、三つ指を揃えて深々と頭を下げた。


「……お初にお目にかかります。東野蓮子と申します。ふつつかものではございますけれども、どうぞ、かわいがってやって下さいませ」


 誰から教えられたのだろうか。この村に伝わる嫁入りの口上を、よどみなく流れる清水のように彼女は完璧にこなして見せた。


「よく来た、よく来た。本当によく来てくれた。さ、こっちへ」


 満足げな大叔父に告げられて、生き人形の花嫁はつつましやかにおもてを上げた。

 すっと通った細い鼻筋。形の良い、少し厚めの小ぶりな唇。くっきりとした二重まぶたに、長いまつげが印象的だ。そして力ある黒い瞳。作られた静謐で巧妙に隠し通してはいるが、その内側に強固な意思を秘めていることは間違いない。


「蓮子ちゃん、この人が西浦貢生君だ」


 自信に満ちあふれた表情で大叔父が俺を指し示す。物怖じをせず、少女はじっと俺の顔を見つめた。


「何しろこの貢生君は、村が始まって以来の逸材でな。文武両道、品行方正、その上この男振りはどうだ。お父さんの孝一郎君も立派な人だったんだが、この貢生君はそれ以上の人物だよ。──よかったなあ、蓮子ちゃん。貢生君なら君を必ず幸せにしてくれるぞ」


 その目がふっと伏せられた。俺はわずかに眉根を寄せた。それは初めて顔を合わせた夫への初々しい羞恥心などではなく、ぎこちない、何かを俺から隠すかのようなそぶりに見えたからだ。

 彼女はうつむいたまま、赤い唇を遠慮がちに動かした。


「恐れ入ります」


 大叔父はそんな少女の様子に豪快に笑うと先を続けた。


「貢生君が西浦を継げば、西浦の村は安泰だ。蓉子さんのことは気の毒だがな、その分君が幸せにならなきゃあな」


 少女が表情を強張らせた。

 俺は思わず眉をひそめた。周囲にいた者達も互いに顔を見合わせた。どうやら酔っていたためか、大叔父は当事者を前にして、決して言ってはならない言葉を漏らしてしまったのである。

 やっとそれに気がついたのか、はっとしたように大叔父は自分の口を押さえた。少女は更に視線を落として、こらえきれない感情を押し殺すようにつぶやいた。


「皆さんによくして頂いて、姉も幸せだっただろうと思います」


 ざわついていた座敷の中が水を打ったように静まり返った。少女への深い同情と、大叔父に向けられた無言の非難をさりげなく打ち消すために、俺はその場に立ち上がった。満座の視線が二人から俺の方へと注がれる。


「花嫁のお披露目も済んだことですし、ここであらためて村長に乾杯の音頭を取って頂けませんでしょうか」


 張り詰めていた空間が固い拘束を解かれてゆるむ。

 大叔父は明らかな安堵を浮かべ、俺の顔を見上げるとそそくさと隣に並んだ。低い背丈をまやかすためか、厚い胸を反り返らせて軽く咳払いをする。


「それでは」


 いつもの貫禄を取り戻し、渡された杯を高々と掲げて大叔父は周囲を見回した。俺の目に入る全ての人間が、あるものは座り、あるものはその場に立ったままで、恵比須顔をして手持ちの杯を引き寄せる。


「では、西浦の益々の繁栄を願って」


 周囲の注視を一身に受ける晴れがましさを笑みで示して、大叔父は太い声を響かせた。


「乾杯!」


 満座から上がる歓呼の唱和。そして、それに続く喧々囂々たる人々のざわめき。

 俺は腹にわだかまる黒い不愉快を押し潰した。


     *


 雨が近いのだろうか。いつにも増して、今夜は蛙の鳴き声がうるさく聞こえるような気がする。

 俺は縁側に立つと浴衣の袖に手を入れ、網戸から戸外に広がる漆黒の闇を見透かした。庭の向こう、門の外から蛙の高唱が聞こえて来る。先月行われた田植えによって、緑の線で彩られた田は蛙の格好のすみかとなっていた。毎年のことではあるのだが、遠慮会釈なく聞かされるこの迷惑な風物詩は、妙に耳へとまといつく。

 俺は部屋へ視線をもどした。十畳の部屋の奥にある続きの座敷の真ん中に、真新しい布団が二組、きちんと並べて敷いてあった。

 東野蓮子は屋敷にしばし滞在することになっていた。

 大叔父の話によると、今日はまだ正式な式ではないから、と言う大叔父達に首を振り、俺がここにいる間だけでも西浦にいたいと切に願ったそうである。それは得てして祖母や大叔父、親類縁者の望みがちな展開であったと言えようが、実際のところ、彼女は自分の言葉の意味を本当に理解していたのだろうか。

 会ったばかりの人間と、何の猶予も与えられずに縁を結ぶという事実をだ。

 襟を正して、俺は縁側から部屋に戻った。廊下へ通じる障子の向こうから、戸惑いがちな女の足音が聞こえて来たからである。俺はその場に立ったまま、足音の主を待っていた。

 一旦障子の影で止まって、人の気配は膝をついた。どうやら中にいる俺の様子をうかがっているようだ。


「遠慮しないで入って下さい」


 声をかけると、障子が動いた。藍染めの浴衣に白い顔、恥ずかしげに伏せた瞳がすっと俺の目に焼きつく。


「失礼します」


 落ち着いた響きを持つ声が答え、典雅な立ち居振舞いで蓮子が部屋に入って来た。腰まで届く黒髪が揺れて、俺は思わず息を飲んだ。ほんのり桜色に染まった頬も年頃らしく愛らしい。

 その、一瞬の隙を突かれた。

 蓮子の右手に懐剣がきらめき、鋭い呼吸音と共に青白い刃が空を切った。すんでの所で身をかわし、蓮子の腕をねじ上げる。


「……!」


 憎悪に満ちた目で俺を睨み上げる顔に、俺は低くつぶやいた。


「何の真似だ」

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