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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
最終章 人魚の見た夢
34/37

3.

「これでわかったでしょう。今までどれだけ馬鹿げたことを続けて来たかということが。──生贄がなぜ御神刀によって捧げなければならなかったのか。それは伝えられた御神刀が重要だったからじゃない。この機械は、鶏のような小さなものならともかくとして、人間は動かない遺体でなければ処理することが出来なかったからだ」


 機械を囲むように折り重なった、無残な白い骨の山。それも含めて人食いの機械は、その姿を構成しているように思えた。あの骨の山の中に、俺の本当の父親もいるのだ。

 俺は声を低めて続けた。


「なぜ母は助かったのか。あんな無残な姿になっても、息の根を止められなかったのはなぜか。……もしあれが本当に人を襲う生き物だったら、意識の無かった瀕死の母は確実に死んでいたはずだ。それを俺と堅三が二人で沼から引き上げて──そして知ったんだ。あれが、ただの作り物だと言うことを」


 俺は再び無残に広がる黒い情景を見下ろした。破壊され、沼の水が流れ出た後の、渓谷側の淵の石組み。水の勢いでもぎ取られたらしい怪しげな形の歯車が、ヘドロ状の泥と一緒に石組みを飾るように埋めている。


「母はここから沼に落ち、あの化け物に喉を裂かれた。そして他の遺体と同じく石で処理されそうになり──逃げようとして、足だけを押しつぶされたんだ」


 どこかの仕組みが動いたままになっているのだろう。白い顔がゆっくりと顎の開閉を繰り返している。青黒い藻を底に広がる長大な体に絡みつかせ、作り物の御神体は暗緑色のひれを震わせていた。


「そんな、……馬鹿な!」


 いつの間にか俺の後ろに大叔父が立っていた。


「馬鹿な!!」


 大叔父は血走った目で沼を凝視し、声を震わせて怒鳴りつけた。


「ありえんことだ! 御神体が、まさかこんな……」


 突如、けたたましい笑いが響いた。皆の目が笑い声の主に注がれる。俺の前にいた小柄な老婆は甲高い声で笑い出すと、すぐにその場に泣き伏した。


「皆殺されてしまったのだ! この馬鹿馬鹿しい機械によって! 生まれて来た赤ん坊も、皆殺されてしまったのだ‼」

「……操さんも死んだよ」


 まるで呼応するように小さな声がぽつりとつぶやいた。言葉の主は、今まで一言も話すことのなかった公彦だった。


「加世に殺された。──堅三もだ。この状況から察するに、堅三は貢生と示し合わせて沼に爆発物を仕掛け、オレ達の前で沼の水を抜く予定だったらしい。だけど加世に背中を刺されて……貢生の了解を得ないまま、沼の水を抜いたんだ。そうだろう?」


 公彦に問われ、俺はうなずいた。昨日蓮子と沼へ行って岸を確認した時は、打ち合わせの通りに仕掛けが出来ていた。だが。

 公彦は疲れた声で続けた。


「加世は石上堂の中にいる。起こさないよう、静かに運んでくれ」


 おっくうそうに堂を指差すうつむき加減の公彦の顔には、疲労の影がにじみ出ていた。大叔父が喉を締められたような声を出す。


「加世。加世がいるのか!?」


 その時堂の扉が開いた。大叔父の言葉に答えるように加世がその場に現れる。


「そうよ。……私が殺したの。堅三も、操おば様も」


 全く悪びれることのない声。一同は言葉をなくし、ただ朱に染まった加世の凄まじい姿を見上げた。

 加世は聴衆の期待に答え、その青白い頬に微笑みさえも浮かべながら、優雅に堂の階段を降りて来た。


「私達をお堂に閉じ込めた後、賢三が沼を行き来して何かを仕掛けていたのを見たの。私があいつを刺してやったら、あいつはここから逃げ出して……。その後沼から音がしたのよ。見たら崖側の岸が崩れて、沼の水がまるで鉄砲水みたいに谷へと流れ出していた。きっとそこから山を下って谷まで落ちて行ったんだわ。──後はみんなご覧の通りよ」


 加世の言葉に、その場のものはただ声もなく立ち尽くした。

 不意に狂乱した大叔父の怒鳴り声が空気を震わせた。


「殺せ、貢生を殺すのだ! こんなものは嘘だ‼ こんなものがあってはならない、これは全て貢生がでっち上げた偽りだ‼」


 周囲の村人がそれぞれに強張った顔を見合わせる。すると脇から叱責がとんだ。


「何をしている! 光義の言う通り、貢生は裏切り者だ! 裏切り者の言うことを聞くのか、裏切り者の言葉を信じるのか!」


 そしてはつさんはいきなり俺に飛び付くと、俺が持っていた御神刀に手を伸ばした。思いもよらないはつさんの行動に、崖へと半分身を乗り出していた俺は、よろけて体のバランスを崩した。

 世界がかしいだ。喉から出る声は声にならず、俺はそのまま後ろに倒れた。


「貢生っ──‼」


 公彦の怒鳴り声に、とっさに左手に触れた固いものを探る。掴まえたものになんとかすがり、今の衝撃の重みに耐えた。めまいのように視界が揺れる。世界が逆さまになったまま、跳ねる体は動きを止めた。

 冷たい汗が背中を伝った。俺の体は半ば以上、崖の上から何もない空間へと乗り出していた。掴んだもの──どうやら突き出た木の根のようだ──で全身を支える手のひら以外は、力の入らない右足が辛うじてくぼみに引っかかっているだけである。

 手ごたえのない背後を振り返り、俺はごくりと息をのんだ。はるか下方に、瀬戸物の口を不器用に開け閉めするからくりと、石造りの底を持つ沼が待ち構えている。もう水もない状態でこの高さから落下すれば、確実に命はない。

 砂混じりの土埃が落ちた。手のひらに汗がにじみ出る。

 その時。


「待ってえ──ッッ‼」


 突如響いた女の声に、俺は再び目を開けた。

 そんな、馬鹿な。


「それは本物の刀じゃないわ! 本物の刀はここにあるのよ‼」


 聞き間違えるはずのない声。心臓の鼓動がどくどくと、今までよりも激しく脈打つ。


──馬鹿な。逃げたはずだ!


「蓮子‼」


 ただでくの棒のように突っ立っている村人達の間を潜り抜け、息せき切って現れたのは、先ほど俺の目の前から消えたはずの花嫁だった。


「刀が偽物とは、一体どういうことだ‼」


 大叔父がそのまなじりを裂けんばかりに見開いて怒鳴る。

 蓮子は凛とした声で答えた。


「もともとその懐剣は、私が東野から持って来たものなのよ」


 俺は思わず苦笑した。やはり、気づかれていたのか。


「東野にも御神刀と同じような懐剣があって、ここに来る時に持たされたのよ。……式のときにわかったの。これは東野の懐剣だって。貢生さんに取り上げられた後、柄と鞘を変えられたんだわ。きっと新宅から御神刀を受け取った後、貢生さんがすり替えたのよ。それが堅三さんの手に渡って、堅三さんは加世さんに持っていた本物の御神刀で刺されて……」


 蓮子は厳しい口調で続けた。


「今度は私がすり替えたのよ。さっき加世さんが手を離した隙に、偽物と本物の懐剣を。だから」


 本物の懐剣と引き換えに。蓮子は、そう言葉を繋げるつもりだったのだろう。

 だが。


「それは、……つまり、貢生は、偽物の御神刀で儀式を行ったということか?」


 大叔父の低いつぶやきに、その場の村人が一斉にざわつく。蓮子は投げた言葉の波紋にその顔色を白くした。


「貢生は、正式にはこの村の当主を継いでいない……正式な当主ではない、ということか?」


 不穏な言葉の内容に俺は顔を上げかけた。しかし。


「動くな」


 鋭い響きの声音と共に猟銃の筒先が突きつけられる。俺は苦悶に表情を歪めた。


「──公彦」

「言いたいことはわかってる。だがこうなった以上、事態をまとめるにはこの方法が一番よさそうだ」


 満面に喜色を浮かべている大叔父の前に立ち、銃を構える公彦の容赦のない言葉が続く。俺は奥歯を噛みしめた。蓮子の悲鳴が耳に響く。


「貢生さん!!」


 公彦は狙いをつけたまま、隙のない仕草で蓮子を呼んだ。


「蓮子ちゃん、こっちに来るんだ。妙なまねをしたら貢生を撃つ。……加世、蓮子ちゃんを連れて来い」


 俺は歯噛みして行く末を見つめた。今度こそ、万事休すか。

 しかし。


「嫌よ」


 それまで見物に徹していただけの加世がきっぱりと答えた。

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