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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
31/37

15.※

「──口で言うのは簡単だが、本当にそう上手くいくのか? 村の本家への忠誠は、御神体に対するものと同様ですでに信仰に近い。もし御神体がなくなれば、村が始まった時のように当主になった者に信仰がついて回るだけなんじゃないのか」


 それまで無言だった公彦が鋭い声音で疑問を投げる。俺は一旦口を閉じ、そして再び開いて言った。


「俺は今までに一度だけ、自分で西浦を変える努力をしようと思ったことがある」


 公彦は縛られたままの格好で、黙って俺を見返した。


「儀式に犠牲を払うことなく、あの化け物に惑わされない平凡な村に変えていこうと。だがそれはやはり、新宅の力を借りずには出来ないことだった。村人達への説得も村の変化への対応も、大叔父の後ろ盾がなければあの時の俺には不可能だった。しかし、大叔父は体よくあしらって、俺の話に全く取り合おうとしなかった。なぜなら大叔父は大叔父で、東野との協議を独自に進めていたからだ。それには当主に権力が集まる今の体制が不可欠だった。……東野との縁組は難航したが、それでも大叔父がここまで話を進められたのは、仮であっても当主であると大きな権限が認められたからだ。その時の俺と大叔父の考え方の対立で、加世との婚約も解消された」


 それは加世にだけ打ち明けたことだ。

 公彦が口を開いた。


「お前はそれを、いつ親父に言った」

「五年前、成人の儀の前の年に」


 俺の返事に公彦は目を見開いた。そして唇だけでつぶやく。


「そうか。だからお前の結納と、加世の九十九との縁組が同時に進むことになったのか」

「俺は思ったんだ。御神体も懐剣もなく、本家の当主が何の手続きもせずに死ねば、村は勝手に解体する。例え大叔父がまとめようにも、父の儀式の簡略くらいであれだけ大騒ぎになったんだ。これで強引に本家を継げば、今度こそ大叔父の信用は地に落ちるだろう」


 蓮子と公彦が顔を見合わせる。何か言おうとした蓮子に、俺は強引に話を打ち切った。


「歩くんだ。先を急ぐ」


 口ごもる蓮子と公彦をうながし、俺は再び黙々と蝉の鳴く山道を歩き始めた。

 沼へと下る細道を尻目に正規の道を十分ほど進む。すると、雑木と深い藪に囲まれた周囲の光景が開けた。

 わずか二十畳ほどの平らにならされた土地の山側に、不相応に大きな──と言っても、敷地を合わせても全部で八畳くらいだが──板作りの古びた堂が、大きな木々に挟まれて窮屈そうに居を構えている。苔むしたかやぶき屋根の上には何の種から芽を出したのか、幾株もの木の苗が生えていて、一輪のヤマユリが咲いていた。

 古くからここは「石上堂」という名前で呼ばれ、観音開きの扉の中に人が入れるようになっている。聞くところによるとその昔、生贄となる人間はここで一晩夜を明かした後、御神体に捧げられたとのことだった。

 俺は堂の反対側に目を向けた。一部分、生い茂る木と藪がきれいに取り除かれて、空に向かってぽっかりあいた何もない空間がある。

 生贄を捧げる場所。

 それはこの山村における、事実上の黄泉への入り口だった。

 木々に渡されたしめ縄の間に、まだ真新しい純白の四手が風にひらひらと舞っている。ここからその様子を見ると、立てば眼下に広がるはずの見えない恐怖を煽り立てる。岩がむき出しになった断崖からはるか下を見下ろせば、幾人もの生贄を飲み込んだ人食い沼が大きくおぞましい口を開いて、新たな生贄を待ち構えている。


「貢生さん!」


 目のくらみそうな疲労に意識を手放しかけていた俺は、蓮子の悲鳴に我に帰った。公彦の冴え冴えとした声が響く。


「血だな。……堅三のものか?」


 見ると、堂の白茶けた濡れ縁から今にも崩れそうな石段にかけ、赤黒い染みがべったりと塗りつけたように広がっていた。杖にすがって崩れ込みそうな体を支え、俺は蓮子に指図した。


「公彦を中に連れて行ってくれ」


 俺にはまだ、確認しなければならないことが残っていた。言われた通りに蓮子が公彦と堂に向かうのを目で追って、俺は出来る限りの速さで開かれた黄泉への入り口へ近づいた。

 一歩、また一歩。全てをかけた期待と不安に、心臓が小刻みに跳ね上がる。四手のすだれを潜り抜け、俺は断崖から辺りを見渡した。


「──‼」


 自分の喉から漏れた響きは、衝撃か、それとも恐怖ゆえだったのか。

 その時。

 鋭い蓮子の悲鳴が聞こえた。そして、公彦の怒号。俺は振り向いた。


「……加世‼」


 認めた光景に時が止まった。

 開かれた堂の戸の前で、水色だったはずのスーツをどす黒い血の赤に染めた、すさまじい形相をした加世が立っていた。その右手には蓮子の持った懐剣と同じものが握られている。

 蓮子の持った懐剣を、加世がその手に握った懐剣で跳ね飛ばす。丸腰になった蓮子に向けて自らの刃を振り下ろした。

 俺は絶叫した。


「蓮子ぉぉぉ──っっ‼」


 それは一瞬の出来事だった。

 堂の裏から黒い獣のような影が現れて、加世の両足に飛びついた。ひるんだ加世に蓮子が両手で加世の右腕を押さえつける。


「やめろッ、加世! ……操さん‼」


 後ろ手に腕を縛り上げられたまま、全く手を出すことが出来ずに切羽詰まった公彦の声。瞬間的に杖を捨て、俺は目の前で繰り広げられようとしている赤い惨劇に突き進んだ。


「蓮子っ──!」


 影は黒髪を振り乱し、加世に下から組みついていた。蓮子に邪魔され、加世の懐剣が何度も何度も空を切る。やっと蓮子が懐剣をもぎ取ることに成功し、揉み合う二人から体を離した。

 長い黒髪の足のない獣は、大きく体勢を崩した加世に体ごとのしかかって行った。


「あああああ‼」


 奇声を発して獲物を押さえ込む。息つく間もなくその黒ずんだ浴衣の背中に、伸びた加世の手と蓮子が落としたきらめく刃が回される。

 それは、あの時と同じ女の絶叫だった。


「母さんッ──‼」


 全ての希望を断ち切る悲鳴。俺の目の前で繰り返される、脳裏に焼き付けられた光景。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだ!!

 蓮子が縄を切ったのか、いつの間にか腕が自由になった公彦が、甲高い声で笑い続ける妹を背後から羽交い絞めにしていた。それは狂った母の笑いを否応なく思い起こさせた。

 蓮子は静かに膝をつき、その場に倒れた赤い獣を、新しい血が流された濡れ縁の端へと横たえた。もう動かない不具の体の裾と襟元をそっと合わせる。

 俺は足を引きずりながら、中央が白く磨り減っている崩れかけた石段を登った。黙って蓮子の横に立つ。蓮子が俺の顔を見上げた。獣に寄り添う蓮子の瞳が痛ましげな色に揺れている。

 乱れた髪で異臭を放つ獣の顔を見ることが出来ず、俺はその場に崩れ込んだ。震える指で垢にまみれた浴衣に触れる。


「……母さん……!」


 喉の奥から嗚咽が込み上げる。


「どうして、こんな……」

「──今度こそとどめがさせたわね」


 憎々しげな加世の声。


「さっきは堅三に邪魔されたのよ。やっと追い詰めたと思ったら、堅三の奴が間に入って。あいつに手間取ったせいで林に逃げられてしまったの。……土蔵に火をつけた時もそうよ。火が回るのを見届ける前に、様子を見に来た奴に捕まって……堅三の奴、こんな所に私を閉じ込めたのよ。縄で縛って、この化け物と一緒に!」


 したたるような毒をはらんだ加世の驚くべき告白に、俺達は言葉もなくその内容を聞いていた。まるでたがが外れたように加世が大声で笑い続ける。


「だけど、正面きってあなたを助けなかったところをみると、どうやらあいつも後ろ暗いところがあったのね。火の気を押さえたくらいなら助からないと思ったのに」


 俺は奥歯を噛みしめた。

 何があっても二人を守る。それが俺と堅三の間で交わされた絶対の約束だったのだ。

 決して疑われることのないよう、出来るだけ奴らの言うことを聞いて、目立つ行動は取らないと。もしも母とはつさんの二人に危険が及ぶようなことがあったら、何があっても俺ではなく二人の安全を優先すると。


「なぜ、堅三が……?」


 公彦の怪訝そうな言葉に、俺はつぶやいた。


「堅三は、母さんの父親だ。……堅三は俺の母方の祖父なんだ」


 俺は両手に顔を埋めた。


「十年前のあの時、堅三は母さんの恋人と二人でここへ……西浦へ、母さんと俺に会いに来てくれたんだ。瀕死の母さんを俺と一緒に助けてくれたのも堅三だった。ずっとお婆様の行動を探って、村の繋がりを教えてくれた。俺はまだ何も堅三に返していなかったのに……‼」


 絶句する蓮子と公彦を尻目に、加世は激しく言葉を続けた。


「私は子供が産めないわ。どうせ次の生贄は私よ。みんな死んでしまえばいいんだわ。さっさと次を見つけたあなたも、憎らしいこの女も。あんなくだらないものを信じている村の人間も、全員!」


 加世は高らかに言い放った。


「私、昔から大嫌いだったのよ。操おば様のこと」


 呆然とした表情で公彦が妹の顔を凝視する。その両腕を払いのけ、加世はこらえ切れないように笑った。


「そうよ。おば様が何だって言うの、あんな陰気な顔をした女。──なのに、貢生さんもおじ様も、兄さんまであんな女に入れ上げて! ……貢生さん、あなたが悪いのよ。あなたは私のことなんて初めから見ていなかった。私と一緒なら村を変えて行ける、ですって? あなたはおば様のことがあったから、あの時私を選んだんでしょう? だってあなたは私が裏切ったことを知ったら、私を置いてさっさと村から出て行ってしまったじゃない! ……結婚なんかするなって、一言も私に言ってくれなかった。私を追いかけて来てもくれなかった。御神体なんてあんな化け物、知ったこっちゃないわ。私は私を見て欲しかった。皆そうよ──西浦が西浦がって、私は村の道具じゃないのよ!」


 俺は鎮痛な思いを胸に明かされた過去のすれ違いを見ていた。あの時、俺が探った視線は、加世が求めた所とは異なる場所をさまよっていたのだ。

 その時。まるで俺達の頬を殴りつけるかのような声がした。


「甘ったれるのもいい加減にしなさいよ‼」 


 すっくと立った蓮子の姿に、俺は憤怒の炎を見た。無気力の空虚を打ち破るすさまじい蓮子の怒鳴り声。


「あなたは今、言ったことを一度でも伝えたことがある? あなたは好きだった貢生さんに好きだって言ってもらったんでしょう? だったらちゃんと返しなさいよ! 自分の都合のいいように相手に求めてばっかりで──相手のことを考えもしないで何が好きだったって言うのよ‼ それで自分を見て欲しいなんて、自分勝手にもほどがあるわ!」


 俺達は呆気に取られ、高ぶり過ぎた感情に身を震わせる蓮子を眺めていた。見開いた黒い瞳から大粒の涙を溢れさせ、蓮子がしゃくり上げるように続ける。


「そんなの、絶対に違うでしょう? 好きってもっと単純で、好きな人が喜ぶ顔を見たくなるだけのことでしょう? あなたはそれで好きだった人が本当に喜ぶと思うの? それであなたは幸せなの?」


 蓮子を見つめ、絶句していた加世の瞳が光をなくした。細い指から鮮血に染まった刃が落ちて濡れ縁に転がる。そのまま加世は、後ろに立った兄の腕の中に崩折れた。

 俺は使い物にならない足によろめきながらも立ち上がった。そして公彦に目を向ける。黙って加世を抱いたまま、俺を見返す公彦に告げた。


「ここまで何の抵抗もせずに俺について来たということは、俺がこれから何をやるのかお前も知りたかったんだろう?」


 俺の言葉に、公彦が真剣な目で俺を見た。静かな声で答える。


「ああ。──知りたいね。当主になるべく育て上げられたお前が、どんな思いで村を滅ぼすことを考えついたのか」


 俺は思わず微笑した。振り返り、空へ開かれた黄泉への入り口を指し示す。


「沼を見ろ。それで全てがわかるだろう」


 約束の刻限は、すでに一時間後に迫っていた。

次回から最終章です。

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