14.※
俺はまだごうごうと燃えさかるやぐらの前に立った。顔に焼けるような熱を感じる。俺は台の榊を取った。幼い時から教え込まれた神楽の舞いに似た仕草に合わせ、儀式の際の祝詞を唱える。そして、心にもない御神体への忠誠を誓って見せた。
「御神刀を」
俺は背後を振り返り、唇を噛みしめて自分を見ている花嫁姿の蓮子に伝えた。舞台裏からけたたましい鶏の鳴き声がする。
「何なの、あれは……」
蓮子は振り向いて言った。先ほど見事な舞を披露した、父親役の子供が鶏を両手に抱えて持って来る。
それは羽と足を縛り上げられた、とさかの見事な鶏だった。子供はそれをうやうやしく、一部始終を見守っていた大叔父の手に渡した。大叔父が鶏の足を押さえ、鳴き叫ぶ鶏を白絹の敷かれた台に置く。
「さあ」
大叔父は俺に合図した。
「貢生君。これで、君は名実共に西浦の主となる」
「何を……」
蓮子が震える声で問いかける。俺は蓮子の前に手を伸ばし、なおも言った。
「御神刀を」
声と同じく震える指が俺の手のひらに刃を載せた。俺は唇だけでささやいた。
「いいか。よく見ておくんだ。この儀式がお前の姉が死ぬ二日前に行われた。……お前の姉の産んだ子供は、生まれてすぐにこうなったんだ」
俺は両手で御神刀を掴むと、その鋭い切っ先を鶏の首に突き立てた。
すさまじい血しぶきの後、広場に絶叫が響き渡った。
「──誰か、だれかっ‼ 来て、血まみれよ!」
広場の出入り口から響いた若い女の悲鳴、怒号。
刃から伝わる鶏の断末魔は、生暖かい血糊と共に筋肉の痙攣を伝えていた。俺はそのままの姿勢で振り向いた。
群集が二つに割れ、その間から赤くよろめく一つの人影が生み出される。
俺は我が目を疑った。それはここにいるはずのない、いてはならない人間だった。
「堅……三──‼」
鶏から引き抜いた懐剣を掴む。踏み出した足に衝撃が走って、俺は地面に突っ伏した。顔を上げると見つめる先で小さな人影が倒れる。
「どうして……堅三さん!? 何があったの!?」
脇から響く蓮子の言葉が全ての問いを代弁していた。俺は構わず身を起こし、激痛にうめきつつも倒れた堅三のそばに近づいた。
「──母さんは……‼」
俺の声が聞こえたらしく、堅三はゆっくりと顔を上げた。その指先が地面を掴む。
「……!」
がくりと顔を伏せた。
「堅三‼」
堅三の無骨な肩が震え、口から嗚咽が漏れた。まるで糸が切れたようにその肩がゆっくりと地面に落ちる。昨日のままの作業着に手甲、体中から放たれる血と汗と泥のすえた匂い。俺はたくましい背中に広がる赤黒い染みを凝視した。
その時。
地面を揺らす衝撃と共に、爆発音が響き渡った。
あちこちから聞こえる悲鳴。その音は本家の屋敷の方角からだった。腹まで伝わる衝撃に俺は再び足を取られて、片膝をつきながら愕然とした。
──そんな馬鹿な。まだ早すぎる‼
「一体何が……?」
背後から響いた声に、俺は瞬時に右腕を伸ばした。近づいて来た公彦のすねを持っていた刃で切りつける。
低い叫びと共に長身が地面の上へ転がった。とっさに受身を取ったらしい仰向けの公彦の首筋に、俺はぴたりと刃の切っ先を突きつけた。
一瞬の出来事だった。
「──蓮子!」
俺は怒鳴った。皆がその場に縫いつけられたように動かない中、反射的に動いた蓮子が着物姿の不自由な動作で、長い裾を乱しながらも俺の方へと走って来る。
「……やられたな」
俺の下から、苦笑交じりの声が聞こえた。
「怪我人だと思って甘く見た。──一応親父には護衛をつけていたんだが……。まさか自分がこんな無様な目に合うとは思わなかった」
俺はあえてそれに答えず、駆けつけて来た蓮子に命じた。
「その帯を解いて、帯締めで腕を縛り上げろ。体の後ろで縛るんだ」
蓮子は何も言わないままで俺の指示に従った。躊躇せずに豪華な帯を解き、打掛をその場に脱ぎ捨てる。色鮮やかな帯締めで公彦の腕を縛り上げた。
「ずいぶん厳重だな。昨日の仕返しかい?」
まるで状況にそぐわない、いつもどおりの公彦の軽口。それに取り合わず、俺は横たわる動かない堅三の背中を見つめた。小山のように盛り上がった、見慣れた無骨な体と鮮血。
だがすぐ顔を背けると、遠くでただ立ち尽くしている大叔父の羽織姿を見やった。
「人質の交換だ」
俺は再び怒鳴った。
「お婆様を連れて来い。三時間後にお婆様と二人で石上堂まで来るんだ。──もちろん二人きりでだ。もしも妙なまねをしたり、他の人間を連れて来たなら」
見せつけるように刃を示し、低くその場で吐き捨てる。
「俺はこいつと一緒にそのまま沼へ飛び降りる。……いいな」
「やめろ、言うとおりにする!」
大叔父がわめいた。その一言にじりじりと俺達を取り囲んで、今にも俺に飛びかかりそうだった若い衆が動く事を止めた。やはり、公彦の無事が最優先のようだ。
「男二人で心中か? いくらなんでもそりゃ寂しいな」
下からひそやかな含み笑いが聞こえる。
「黙ってろ」
俺は言うと、表情を強張らせている蓮子に目を向けた。
「脱いだ着物を堅三の上にかけてやってくれないか」
俺の言葉に蓮子と公彦が、その場に横たわる堅三へと視線を送る。
「死……ん、でるの?」
震える蓮子の声。俺はかすかにうなずいた。
「何で……誰が……」
俺は無言で首を振った。先ほどから自身の喉を締めつけ、ふくれ上がりつつある悲哀と怒り。
「このままにして置きたくはないが、俺にはまだやることがある」
俺は小さく、これ以上ないくらいに低い声音でつぶやいた。
「……はやく、かけてやってくれ。頼む」
祈るような声の響きをどうやら悟ってくれたらしい。蓮子は豪奢な打掛を手にして、堅三のなきがらに近づいた。震える手つきで打掛が堅三の上にかぶせられ、無残ななきがらは錦で飾られた。
「立て」
そう一言言って、俺は公彦に刃を突きつけたまま手を貸した。蓮子の帯揚げを借り、公彦の怪我の処置をする。切りつけた足の傷はどうやらかすった程度らしく、歩くのにはさして不自由しないようだった。
「行くぞ」
「行くぞって、お前……」
困惑した表情で公彦が俺の顔を見上げた。
「その足で、一体どこへ」
俺は唇をゆがませて笑った。──暑い。喉が焼け付く。
「俺はこれでやっと、この村の当主になることが出来たんだろう? ……俺が当主であることを御神体に報告するために、沼へ」
真上にあった太陽は衰え、勢いを失いつつあった。
*
暑い。
とうの昔に羽織は投げ捨て、袴姿になってはいたが、流れ出る汗は止めようがないほど次から次へと頬を伝った。
村人達の混乱をそのままに、俺達は屋敷まで戻った。人質が効果的だったのか、どうやら後について来るような勇気のある者はいなかった。
屋敷の中はがらんとしていて昨夜の捕り物の時のまま、縁側の窓は全て開け放されていた。
蓮子が杖代わりにと、刃のない鍬の柄を探して持って来てくれた。だがその親切を受け取っても、俺の歩く速度は遅々として進まなかった。
昨夜の煙が漂う土蔵の無残な焼け跡に背を向けて、三人は裏山の道を上った。ニイニイゼミの鳴く山道は、今までの村道に比べれば木陰のせいで十分涼しかった。しかし屋敷で休んだ時にむさぼるように飲んだ井戸水のせいか、額からわき出る汗は全く止まる気配を見せなかった。
「お前、熱があるんじゃないのか」
後ろ手に縛られたままで黙って先を歩いていた公彦が、ふとつぶやいた。俺に代わって公彦に刃を向け、俺の右脇を守るようにして歩いていた蓮子も眉をしかめる。どうやら蓮子も同様に考えていたようだ。大量に流れる汗は怪我による発熱のためらしい。
痛みは鎮痛剤が効き、今ではかろうじて我慢出来る程度に収まっていた。だが、体は鉛のようで、ただでさえ言うことを聞かない足がもどかしいほどに動かない。
「もし逃げるつもりだったら、山を下ってバス通りに出た方が早いだろう。そこまでして何で沼に行くんだ」
公彦が再び尋ねて来る。前を向いたままだった、その声はひどく真剣だった。俺は唇の両端を引きつらせ、ゆがんだ笑いの形を作った。
「……俺は今までずっと機会を狙っていた」
俺がそう言うと、ゆっくりとした動作で公彦が振り向いた。と、同時に蓮子の足が止まる。自分を注視する二人の目に、俺は今まで抱えていた思いを吐き出すように語り出した。
「長い間、西浦は犠牲の山を作った上で今に儀式を伝えて来た。両親も祖母もはつさんも、むごい儀式とくだらない村意識のために人生を狂わせた。……俺はずっと待っていたんだ。諸悪の根源である御神体──沼の化け物を始末して、懐剣を処分出来る機会を」
覚悟を決めて蓮子に目をやる。
「お前の姉の赤ん坊は、生まれてすぐにその懐剣で大叔父の手によって命を断たれた。そして御神体に捧げられ、俺のための犠牲になったんだ」
蓮子の視線が自身の握る血染めの懐剣に注がれる。俺は続けた。
「村が村として成立する前から、御神体と懐剣は本家に伝えられていた。伝説では懐剣で捧げられた生贄によってのみ、御神体は願いを聞き届けるということになっている。御神体と懐剣、その二つを処分すれば西浦の儀式は絶えるだろう」