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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
3/37

2.

 渡り廊下で繋がれた離れは、ほぼ一軒の家と同等の現代風の作りをしている。俺の部屋である十畳の二間は、後から建て増しをした台所が備えつけられていた。渡り廊下との繋ぎ目や、生活空間と座敷の調和も全て計算し尽くされ、建て増しだとは思えないくらいしっかりとした構造になっている。

 しばらく主のいなかった部屋は、どこか湿っぽくかび臭かった。

 はつさんが掃除をしておいたらしく、庭に面した縁側の窓はぴかぴかに磨き上げられて、い草の香る青い畳にはちり一つ落ちていなかった。ただ、やはりわずかに漂う湿気のまとわりが気になって、俺は一度窓を開け、早々に部屋の空気を入れ替えた。

 闇がゆるやかに降りた庭から手入れの行き届いた樹木と、弧を描いて池へと続く石の小道が目に入る。その薄墨のような暗さは、裏の山から響き始めた蝉の鳴き声とあいまって、初夏の夕方を優美に彩り情緒をかもし出していた。


──いよいよか。


 視線を落とし、俺は思った。

 やるべきことは理解している。だがこの言い知れない寂寥感は何なのか。十年、それだけの長い時間をかけて、ここまで積み上げて来たものがついにこの日で完成する。


──それなのに。


 一度だけため息をつき、俺は軒からすだれを下ろすと網戸を閉めて窓から離れた。脇の文机に視線を落とし、改めて身なりを整えるべく持って来た鞄を開く。着ていた服を夏物の黒の背広に着替えると、俺は自分の部屋を出た。

 母屋へ足を踏み入れた俺は、普段、ただ通り抜けるだけだった中座敷の変貌振りに大きく瞳を見開いた。

 十二畳の床の間を始め全ての部屋を開け放し、母屋の座敷は六十畳もある大広間へと変化していた。見覚えのある近在の主婦らが、揃いの座布団やら、蔵にしまわれていたちゃぶ台やらをせっせと運び込んでいる。大皿の山を持っていた馴染みの主婦とぶつかりかけて、俺はとっさに彼女の体を皿ごと腕で支えてやった。


「大丈夫ですか?」


 優しく尋ねた俺の言葉に、視線を上げた若い主婦の健康そうな頬が赤らんだ。


「あら、貢生君……帰って来てたの?」


 熱のこもった目で見つめられ、丸みをおびた顔に微笑むと俺は柔らかな声を作った。


「はい。先ほど到着しました。この度は御迷惑をおかけしまして」


「いいのよいいのよ、本家の跡取りのお祝いですもの、これっくらい当たり前よ。でもねえ、ほんと立派になって……」


 俺は再び微笑んだ。これ以上しゃべらせると話が長くなるだけだ。


「祖母に呼ばれていますので、また後ほど……」


 腕を彼女の体から離す。強い視線を背中で感じ取りながらも、俺は無視して先を急いだ。こういう視線には慣れている。

 祖母がいる部屋は、広い母屋の西端に位置していた。

 行きつくまでには杉の廊下をうんざりするほど歩かねばならない。初めのうちは手伝いに来ていた人間にひょっこり行き当たったが、次第に人影がなくなって来て、裏山から響くヒグラシの鳴き声だけが後に残る。ひっそりとした無人の座敷が気味悪いほど続く光景に、この家で育った俺さえ不安を覚え始める頃、やっと祖母の部屋へ通じる廊下の突き当たりが目に入った。

 昼なお暗い屋敷の中でも、祖母のいる二間はとりわけ陰気だ。俺は物心ついた頃から、祖母の部屋のある西の座敷が大嫌いだった。影がにじみ出ているようなふすまの前に膝をつき、俺は中へと声をかけた。


「お婆様。貢生です」

「……お入り」


 低く抑揚のない声が答えた。

 俺はふすまに手を添えて、音を立てずに静かに開いた。よどんだ、重く湿り気のある空気が部屋の外へと流れ出る。二度、三度、手を変えて少しずつその隙間を広げる。幼い頃から教え込まれたしつけは嫌でも身についていた。


「失礼します」


 二十畳の続きの間の奥、壁全体に作りつけられた大仰な仏壇の少し手前に、祖母の小さな背中があった。座敷の暗さのせいだろうか。祖母の陰気な留袖の墨色は、まるで屋敷に住み着いた闇をそのまま閉じ込めたようだった。


「お入り」


 俺に背中を向けたまま、祖母は突き放すように続けた。俺は留袖につけられた、小さな白抜きの家紋を見つめた。


「じき、東野から嫁御が到着するだろう。今夜お前は、名実ともにこの西浦の主となる。その前に一言言っておかねばな」


 そしてこちらへと向き直る。暗い座敷の奥の奥にいても、俺には祖母の表情が分かった。

 そう、いつもと変わらない、見下すような冷たい瞳。きつく結ばれた薄い唇。撫でつけられた見事な白髪はきっと一筋のすきもなく、自分を寄せつけまいとするように完璧に整っているのだろう。

 俺は黙礼し、言葉を待った。

 祖母のおごそかな声が響いた。


「この西浦の家を絶やすな。血筋を守り、村を守れよ。絶やしたらどうなるか……。わかっているな」


 つけ加えた最後の言葉は、氷のように冷ややかだった。俺は黙って祖母を見返し、そして静かな声で答えた。


「はい」


 子供の頃から繰り返し聞かされ続けたその言葉。俺が俺であるがゆえに、聞かされるたびに苦痛になる、俺を縛りつける家の呪い。

 祖母の体から発する鬼気がわずかに和らいだようだった。


「それなら、もういい。もう私に言うことはない」


 俺はもう一度はいと答えた。それ以外、俺が言う言葉はなかった。立ち上がりかけた俺に、祖母は思い出したように口を開いた。


(みさお)にも、帰って来たことを知らせなさい。いつもの場所で、今は眠っているそうだ」


 俺は静かにうなずいた。


     *


 夜のとばりが下りると共に、祝いの宴は始まった。

 今夜生まれる若い主を好奇心から一目見るために、また村の長として、本当にふさわしい人物かを最後に見極めるために、あふれんばかりの熱気を連れて屋敷へと押しかけて来た人達。むっとするような人いきれもあいまって、昼間の蒸し暑さは一向に抜けず、騒々しさとうだるような熱で屋敷の広間はごった返していた。

 広い座敷の庭に面した全ての縁側は開け放たれ、たずねて来た者は誰でも自由に上がれるようになっている。押しかけて来た村人は一通りの挨拶をすませると、しつらえられた祝いの膳を我が物顔で飲み食いしていた。

 俺は床の間の上座にすえられ、自分を訪ねて来た人々に丁重な礼を述べ続けた。入れ替わり立ち替わりさまざまな種類の人間が、俺の前へと膝を進めて祝意を表して去って行く。


──くだらないことだ。


 皮肉交じりに俺は思った。この家を継ぐということは、俺が生まれたその瞬間から村全体の周知の事実だ。いまさらお披露目も何もないものだが、これが儀式というものなのだろう。逐一監視していた者が、初めて俺を見たような表情で喜びの声を上げている。

 俺は思いを顔に出さずに、自分の隣に陣取った紋付袴の大叔父に尋ねた。


公彦(きみひこ)はどうしましたか?」


 流れる汗をぬぐいながらも客と言葉を交わしていた大叔父が、なおも笑って向き直る。

 西浦光義(みつよし)。俺の祖母の弟で、公的な手続きで選ばれた今の西浦の村長である。背は低いが恰幅が良く、どっしりとした存在感をその身に感じさせる大叔父は、酔いの回っただみ声で機嫌よく質問に答えた。


「いやあ、せんの選挙の件で、わしの替わりに役場までまだ使いに出とるんだ。こんなめでたい日に限ってお勤めというのも因果なもんだが、おっつけ帰ると……ああ、噂をすれば」


 わっという歓声とともに、若い衆がいた玄関脇から聞き慣れた声が響き渡った。


「貢生、生きてたか」


 大叔父によく似た太い声。

 無遠慮に人の群れをかき分け、声に合わない、すらりとした体躯の背広姿の男が姿を現した。大叔父と同じくあくは強いが、どこか愛嬌のある顔が、得意の満面の笑みを浮かべて俺の方へと近づいて来る。


「相変わらずクソ真面目な顔してんな。ここしばらくお前の顔を見なかったからな、とうとう都会暮らしに疲れてくたばったかと思ったぜ。……その顔で女を泣かせて来たのか?」

「こら、公彦!!」


 大叔父が息子の軽口を戒める。周りを囲む人間からのくすくす笑いなど毛ほども気にせず、俺の前に腰を落ち着けたのは、俺より九歳年上の大叔父の長男、西浦公彦だ。

 愛嬌のある顔と言ったが、それは彼が巧妙な仕業で作り上げている表情だ。男らしい顎の線や、整った目鼻立ちにかいま見る鋭いような理知的な光が、彼がひょうきんな振る舞いをするだけのただの男であることを否定する。


「相変わらずだな」


 俺はしめつけていた感情をほんの少しだけ笑いでゆるめた。


「お前こそ、真面目な公務員をいまだに続けてるそうじゃないか。似合わないな」

「何言ってんだ、オレほど熱心に役場に勤める奴はいないぜ。……受付のねーちゃんが美人なんだ」


 いけしゃあしゃあと答える公彦に、俺は大叔父と顔を見合わせて苦笑した。

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