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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
28/37

12.

 式は役場の広場に組まれたやぐらの前で行われる。子供が神楽を奉納した後、村長や助役、長老らとともに(大抵の場合、当主も何らかの役を兼任しているが)当主が村の運勢を占い、村人達に結果を伝える。通常はその後、御神体に供物を捧げて終わるのだが、今回は当主の引き継ぎのために更なる儀式が続けられることになっていた。


「蓮子は?」


 長い廊下を渡る激痛に何とか耐えながら尋ねると、公彦はつぶやき混じりに答えた。


「昨日の蓮子ちゃんと同じく、ことあるごとにオレに相手の容態を聞きやがる。……まだ大丈夫だよ、殺しゃしない。お前らは一緒に今日の夕方、御神体に捧げられるんだから」

「加世の捜索は続いているのか」

「洋輔が寝ずに探してるよ。不肖の妹に出来た旦那だ」


 俺は一瞬、加世との会話を公彦に打ち明けるべきか迷った。


「洋輔さんは加世の失踪に本当に心当たりがないのか」


 だとすると加世は本当に、俺だけにしかあの事を伝えていないことになる。

 俺の低い問いかけに公彦は腹立だしげな顔をした。


「あればこんなに半狂乱になって探しゃしないだろう。それとも何か、お前が理由を知ってるってのか」


 俺は口をつぐんだ。もしも土蔵に火をつけたのが公彦達でないとしたら……。


「蓮子の周囲を警戒してくれ。もしものことが考えられる」


 俺の言葉に公彦は呆れた様子で答えた。


「加世が蓮子ちゃんを狙ってるとでもいうのか? また、何で? ……まさか、お前との恋愛感情のもつれだとでも言うんじゃないだろうな?」

「わからない。だが……」


 言葉を濁した俺の態度に煮え切らないものを感じたらしく、公彦は眉間にしわを寄せた。不意にその場で立ち止まる。

 足を休めることが出来、俺は安堵の息をついた。珍しく真剣なまなざしをよこすと、公彦はおもむろに口を開いた。


「お前は昔っからそうだ。何でも一人でしょい込んで、いつでも自分が悲劇の主人公みたいな顔をしてやがる。……多分お前自身は気づいてないだろうがな、自業自得の部分もあるんだぜ」


 俺は無言で微笑んだ。


──蓮子と同じようなことを言う。


「そうだな」

「いつでもそれだ。その悟りきったような顔。いっつもお前はその顔で何にも言わずに黙り込む」


 返事が気に入らなかったらしく、さらに公彦は噛みついた。


「確かにお前と加世とのことは全面的に加世が悪いさ。だがそこにたどり着くまで、お前もそれを許したんだぜ。止めなきゃいけなかったんだ、ああなる前に。本当に加世が好きだったのならな。それが出来なかったってことはお前も加世を見限ったんだ。──この村と同じように」


 俺は公彦の顔を見つめた。その表情はなぜか苦しそうだった。


「本当に加世のことを思うのなら、……村を変えるつもりだったのなら、そのように努力しなけりゃいけなかった。お前はそれを拒んだんだ、多分自分を守るために」


 俺は苦笑した。胸に突き刺さる言葉だが、それは事実だ。


「そうだな。俺は逃げたんだ。この村から」


 しかし自分を振り返る、すでに澄み切った俺の思いとは違い、公彦は爆発しかけた不満を無理やり押しつぶすように言った。


「もういい。……今さら何を言ってももう遅い。じきに式は始まるんだ。行くぞ」


 顔をそむけると、俺の腕を強く掴んで歩き出す。傷が引きつれ、俺は喉から漏れそうになる低い呻き声をこらえた。


     *


 太陽が上がるにつれて、容赦なく頭に照りつけて来る真夏並みの強い日差しに、あらかじめ会場を用意する者は額に汗をして働いていた。祭りの始まりに活気づく村の通りを横目で見ながら、俺と公彦は村人達に迎えられ、役場の広場に到着した。


 会場での俺達は昨夜のことなどおくびにもださず、今まで行った打ち合わせ通りに式の手筈を整えた。何も知らない村人達は引きずる俺の右足と、厳重に周りを囲む青年団に、あからさまに不審そうな顔でこちらの様子をうかがっている。中には知り合いの気安さで、顔見知りの青年に今の俺の状態を質問しているものもいた。だが、きっと公彦達から緘口令が下されていたのだろう。彼らは曖昧に言葉をにごし、決して返事をすることはなかった。この様子から察するに、大叔父はあくまでも式だけは無事に終わらせて、大叔父への無理な引継ぎをなるべく平穏に済ませてしまいたいようだった。

 大叔父の心持を想像し、俺は唇だけで笑った。

 前回の時の引継ぎは、当主の急死に村は混乱しきっていた。また強引に跡を継ごうとした大叔父に反発の声が起こり、村は本家と新宅をそれぞれ支持する二派に分かれた。村人達が言い争いで怪我人が出るほどの騒ぎを起こしてしまったのだ。

 今回も俺が大叔父への引き継ぎに抵抗したら、前回本家を支持した者が俺をかばうだけではなく、きっと俺が大叔父達に陥れられたのだと吹聴するだろう。


──こんな波乱含みの引継ぎが、すんなり行く方が無理というものだ。


 式の時間が近づくにつれ、三々五々、村人が広場に集まり始めた。計画通りに手筈は済んで式を進める役者も揃った。俺は公彦にうながされ、足の痛みに耐えながらも広場の奥に作られている、紅白の布が周囲を覆う式の舞台の席に着いた。

 舞台の上から見下ろす広場はきれいに掃き清められている。昨日皆の手で組まれたやぐらも新しい当主にふさわしく、例年に比べてさらに立派な木材が使用されているようだった。そのやぐらの両端に一際高く立てられている二本の細い鉄棒も、高さからしてどうやら毎年使用しているものではないらしい。


「貢生」


 公彦に呼ばれ、俺は振り向いた。そして一瞬息をのむ。


「蓮子……」


 舞台のすそから現れたのは、満場の周囲から注がれる視線に満足げにうなずいている大叔父と、そのすぐ後にしずしずと続く、まぎれもない俺の婚約者だった。

 蓮子は一昨日と同様の打ち掛けを、今回はきちんと着付けていた。濡れたような見事な黒髪は、気品ある高島田の形に結い上げられている。その表情は固かったが、化粧をほどこされたおもては吸い寄せられるように美しく、まるで花嫁と題された一幅の絵画のようだった。


「一見の価値ありだな」


 おどけた口調で、いつのまにか脇に立っていた公彦が言った。 

 蓮子は緊張した顔で俺の前へと足を進めた。この陽気でその格好はさぞかし熱いものだろうに、秀でた額には汗一つ浮かべてはいない。そして、やっと安堵したように蓮子は笑って口を開いた。


「良かった。会えて」

「──ああ」


 俺はなぜか正視出来ずに、それだけを言って視線をそらした。

 公彦は舞台に上がった大叔父を、村の年寄り達とともに用意された上座に据えた。自分は幕近の席に控える。俺達二人は舞台の中央の席に座った。

 始まりの合図である大太鼓の音が大きく響いた。

 鈴や扇を手に持った白装束の子供が五人、大人達の奏でる鐘や竹笛に合わせて登場する。湧き上がる大きな拍手と共に再び太鼓の音が轟き、子供達は神妙な顔つきでそれぞれに指定の位置についた。


「真ん中にいる白いひげを伸ばした面が、村を作った開祖の役になる」


 俺は蓮子に解説した。


「その横で一緒に踊るのが息子の役だ。……二人はこれから海に出かけて、村の守り神を手に入れるんだ」


 拍手が止み、しんと辺りが静まり返る。白装束が陽炎に揺れている。俺は両の拳を握って左足に走る痛みに耐えた。眉をひそめて蓮子が俺の顔を見る。


「傷が痛いの?」


 不安そうな小声。俺は目だけで笑って見せた。額に浮かんでいる汗は、この暑さのせいだけではない。

 舞が始まった。

 幼い頃から馴染んだ神楽。この村の者ならきっと誰もが竹笛を吹いて、式に出ずとも舞を踊ったことがあるはずだ。

 当初は端に控えていた最も上手な踊り手が、父子の踊り手に迎えられるように中央の場に進み出る。そしてひとしきり舞を披露し、舞台を囲む村人達から拍手喝采を浴びた。


「守り神を手に入れた父子は、村を開くための旅に出る」


 俺はつぶやいた。


「そしてこの山奥で、守り神とともに暮らし始めるんだ」


 三人の舞い手がともに踊りを披露している。残りの二人も加わって、再び大きな拍手が沸き起こる。太鼓は激しく打ち鳴らされ、楽しげな鈴と竹笛の音が息をする間も惜しんで響く。

 だが。

 俺は目を閉じた。額の汗が鼻筋を伝って落ちる。


「父親は村が栄えるようにと、守り神に願をかけたんだ。そして自ら生贄を捧げ、自分がこの村の主であることを村人達に認めさせた」


 息子役の舞い手が再び一人で中央へと進み出る。優雅なしぐさで両膝を折り、這いつくばるように地面に伏せた。すると父親が舞いながら近づき、扇子を広げて伏せた首筋に軽く扇子の柄を当てた。


「これは……もしかして……」


 蓮子の声が低く響いた。俺はゆっくりとうなずいた。


「そうだ。──父親は、自分の息子を守り神に捧げたんだ」

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