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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
27/37

11.

 夜が明けた。

 障子越しに朝の光を受けて、俺は肩に乗せている蓮子の顔を眺めていた。

 布団に並んで横になると蓮子は眠ったようだった。図らずも得た至福の時に、俺は穏やかな思いの中で寝息に耳をすませていた。だが永遠を願う間もなく蓮子は肩を震わせて、揺れる長いまつげを開いた。


「あ……ごめんなさい」


 あわててまばたきを繰り返す。俺は笑って口を開いた。


「まだ寝ていろ。もう少し時間がある」

「うん……」


 あいまいに答えた後、蓮子ははっと体を起こした。


「どうした?」

「そうよ。伝えなきゃいけないことがあったんだわ。……貢生さん、覚えてる? 公彦さんが言ったこと。公彦さんやお婆様達は、あなたが土蔵に火をつけたんだって思ってるわ。あそこから逃げ出すために私達がやったんだって。つまり、あそこに火をつけたのはあの人達じゃなかったのよ」


 声を低めて蓮子が告げる。俺はそっとその唇に人差し指を触れさせた。


「黙ってろ。そう思わせておくんだ」


 蓮子は目を見開いた。


「あなた、何か知ってるの?」


 蓮子の問いに無言で首を振る。


「じゃあ、一体誰が? ……公彦さんが嘘をついている可能性は?」


 蓮子はうつむき、唇を噛んだ。


「私、あの人のこと、どうしても信用出来なくて……。いつも何を考えてるのかわからないところが怖いのよ」


 俺はなだめるような形で蓮子の背中を撫でてやった。無理もない。きっと姉の出来事が頭から離れないのだろう。


「今はまだわからない。だが……」


 再び考えをめぐらせる。自分を見上げる蓮子の瞳が緊張の色を帯びていた。俺は小さくため息をついた。


「公彦と加世の二人は俺の母親にずいぶんとなついていた」


 静かな声で言葉を続ける。


「二人も早くに母親を亡くしたから、多分、俺の母親に理想を重ねていたんだと思う。はつさんもよく言っていたが、母の葬式では実の母親が死んだように悲しんでいたよ」


 そう。喪主である父が床についていて出席出来ず、建前上は俺の誘拐事件ということになったものの、本家の恥をさらした嫁の駆け落ち騒動の結果ということで、母の葬式の参列者は数えるほどしかいなかった。だがその中で泣きじゃくる加世と、うつむいたまま顔を上げずに悲しみに耐える公彦の姿は、わずかな参列者の涙を誘った。二人とも心から悲しんでいるように見えたのだが。

 蓮子は哀れな母の半生に双眸をうるませていた。俺は蓮子の顔を見た。


「お前、まだ十八か。──西浦に来た時、母はお前と同い年だったのか」


 改めて自身の母親の若さと、その残酷な運命を悼む。 


「お前、公彦に何か言ったのか」


 ふと思いついて尋ねると蓮子は頬を赤らめた。面白そうに見やる俺に口ごもりながら白状する。


「お葬式の準備の時に……。公彦さんに『あんた達がやったことを、全部私が暴いてやるわ』って」

「公彦に啖呵を切ったのか」


 俺が口元に笑いを浮かべるのを認め、蓮子は下を向いてしまった。


「それはまた派手な宣戦布告だな。公彦が警戒するわけだ」


 飄げた振る舞いと愛嬌のある顔に、時おり通り過ぎる影。母親やなついていた俺の母、そして新妻を亡くした又従兄弟。公彦の隠れた心の内をかいま見たような思いになって、俺は少しだけ胸が痛んだ。

 その時、障子に影がうつって俺は静かに体を起こした。音もなく障子が開き、黒の背広に着替えた公彦が、いつも通りに表情の読めない彫りの深い顔を覗かせる。


「時間だ」


 冷ややかな宣告。

 至福の時は終わりを告げた。


     *


 俺達は別々に異なる部屋へ通された。蓮子は険のあるまなざしで、足の不自由な俺を支える公彦の姿を眺めていた。が、怪我の手当ての時といい、そう手荒な扱いを受けるわけでもないと悟ったようだ。現れた女中頭にうながされ、渋々部屋を出て行った。

 いまだ丁重な扱いからみて、村に対する俺の裏切りは、まだ一部の者にしか知られていないようだった。蓮子のことも気になったが、この分なら再び式の場で会うことが出来そうだった。

 俺は自分の身を清め──とは言っても、この大仰な怪我のため、濡れた手ぬぐいで体を拭いたくらいだったが──用意された紋付袴を何とか身につけた後、大叔父の前に連れて行かれた。

 大叔父は床の間に腰を下ろし、一昨日の宴の時と同様、恰幅のよい羽織姿でやたらと扇をばたつかせていた。俺と公彦が足を踏み入れると、下から値踏みするような形で俺の顔をにらみ上げた。ぱちりと音を立てて扇を閉じる。


「本当に残念だ、貢生君。わしは君が公彦とともに、この村を立派に治めてくれるのを楽しみにしていたのだが」


 息子に似たあくの強い顔に、いかにも悲しげな表情を浮かべる。俺は唇の端で笑みを作った。今にして思えば俺は、この大叔父の読みやすい、大げさな態度が嫌いではなかった。

 こうして演技が出来るなら父もずいぶん楽だっただろうと思う。世間には演技を額面どおりに受け取る者も多いのだ。人間関係を円滑にするならば演技もそう悪いことではない。だが父はそれが出来ない、いや、そんなことをする人間は他者にこびへつらう恥知らずだと考える人だった。

 父の前では父に従い、母の前では母に従う、俺の演技を父はさげすんだ。幼い頃はそれがずいぶん心につらく響いたものだが。

 大叔父は再び言った。


「貢生君。本来なら、わしは君を村の者の前に引き出して、君が行おうとした全てのことを糾弾せねばならん立場だ。……だが君はわしの息子も同然で、それはあまりにも忍びない。そこでわしは君に最後の名誉を与え、この村に名を残して安らかに眠らせたいと思う。君も男だ。覚悟を決めたまえ」


 嫌いではない。しかし大叔父のこの無自覚な厚顔無恥は、俺の神経を苛立たせ、押し隠している本性を刺激する。

 俺は口角をつり上げると、やんわりとした口調で非難した。


「今回ばかりは約束通りに僕を当主の座につけて、それから譲れということですか。そんな面倒なことをなさらず、僕の父親の時のようにさっさとおさまればいいのに。……また村中を巻き込んで揉めごとを起こすのが嫌ですか? 大丈夫ですよ。おじさんが有能なこの村の長であることは、まぎれもない事実です。惜しむべきは新宅の……」

「黙れ、黙れ‼」


 怒りにどす黒く顔を染め、大叔父は俺を怒鳴りつけた。


「こちらが下手に出てやればつけあがりおって! 何が直系だ、お前など恥知らずの血を受け継いだ、よそ者の家系のくせに!」


 俺は薄く笑って見せた。よそ者だの傍系だの、このちっぽけな村の中で、よくもこれだけ差別の対象となる人間が見つかるものだ。

 光義は今まで積もり積もった恨みをぶちまけるように続けた。


「本来ならばわしがあの家の跡を継ぐはずだったのだ。姉さんといい、孝一郎といい、気狂いばかりで何が本家だ。……まあいい。お前さえいなければ、皆が今度こそわしを正当な跡取りだと認めるだろうからな。それにはお前が一度継ぎ、自分の犯した罪を認めてわしに正式に引き継げばよいのだ。それさえ済めば、後は誰にも文句は言わせん」


 熱弁の後肩で息をして、大叔父は改めて俺を見上げた。口元に嫌らしい笑いを浮かべる。


「気狂いと恥知らずの息子だけあって、簡単に女に言いくるめられたとみえる。そんなによかったか、あの小娘は。確かに殺すには惜しい玉だが、冥土の土産だ。お前にくれてやる。二人で御神体の供物になれ」


 俺は顔から表情を消すとただ大叔父の笑いを眺めた。怪我の痛みは完全に復活し、今や容赦なく俺の右足を焼いている。自分の言葉に酔ったように大叔父はさらに話を続けた。


「まずは予定通りに式を済ませてお前を当主にしてやろう。その後、すぐにお前の口から村に辞退を申し出ろ。あの化け物と気狂いには堅三をつけて面倒を見てやる。ただし、少しでも妙な様子を見せたら二人に傷がつくと思え。──お前を供物にわしが新しい長となる。安心して村の礎になれ」


 俺は何も言わなかった。もう、何も語ることはなかった。

 公彦に連れられ、俺は座敷を出た。縁側からよく晴れた空を見上げる。青い空とすがすがしい空気に、俺は休みなく自身を襲う激しい痛みを一瞬忘れた。

 今日も暑くなりそうだった。

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