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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
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7.

 俺は唇を震わせた。


「あの人は、雪枝お婆様の腹違いの妹だ」


 蓮子は声を上げなかった。

 俺は仏間に飾られた、虫食いだらけの家系図を思った。


「父の祖父である宗一郎は、当時、他村の娘だったはつの母親に横恋慕した。二人の子供の父親でありながら、はつの母親に子供を生ませたんだ。それが、はつ……雪枝、光義に続く宗一郎の三番目の子供になる。妾腹とはいえはつさんは立派な西浦の本家の娘だ。本当ならば彼女も兄の大叔父達と同様に、しかるべき家に嫁入りしてもいいくらいだった」


 蓮子は何も言わなかった。だが、ぴんと糸を張ったような空気の中で、語られた話に全神経を集中させていることはわかった。


「だが、聞いたな? はつさんの話を。ここではよそ者は嫌われる──他村との関わりがほとんどなかった西浦では、当時はよそ者が村にいること自体が有り得ない事だったんだ。また、本家は何よりも血筋というものを重んじる。当主としては認められなかったが、なぜお婆様が婿取りをして、弟とはいえ立派な男子の大叔父が家を出たかわかるか? ……平たく言えば、大叔父は妾の子供だったんだ」


 からんだ声を無理矢理出して、俺は言葉の続きを継いだ。


「しかし大叔父の母親はまだ村の人間だったから、分家を作って出ることが許された。西浦の人間ではない──この村にとって、それは本当に致命的だ。『よそ者』の烙印は一生その者について回る」


 俺は母親の姿を思った。村の誰とも話すことのなく、ただ離れから山並みを見ていた母の孤独な後ろ姿。


「──西浦の当主をたぶらかし、村にごたごたを引き起こしたよそ者の子供。この村の人間達からはつさんはそう思われていた。さらに不幸なことに、全ての元凶だった宗一郎が若くして死んでしまった。西浦の当主は激情で知られるが、皆、短命でもある。もてあそばれて捨てられた女や、ささいな理由で殺された者達の恨みつらみから、代々の当主は呪われているとも噂をされるくらいだが──そんなことはどうでもいい。とにかく一人残された娘が、どんな目に会ったかは想像に難くないだろう」


 蓮子は何も言わなかった。ただ、張り詰めた沈黙の中で水音だけが大きく響く。


「はつさんはずっと屋敷の下働きとして働いていた。村を出ることも許されなかった。妾腹とはいえ本家の娘……本家の者は決して村を出ないのがここのしきたりだ。彼女は下働きのまま、腹違いの姉達が村の人間にかしずかれるのをずっと見ていただけだった」


 俺は大きく息を吐き出した。臭気が胸を悪くする。


「そして、あの事件が起きた。──俺の父親が母親の目の前で恋人を殺し、母親はその後を追って、恋人のなきがらと一緒に沼へ飛び降りた。俺は一人で追っ手から逃れ、沼の岸辺にたどり着いた。お前を連れて行った場所だ。まだ母親は生きていた……あの、恐ろしい姿で。俺は母親を助けてくれる人を探した」


 あの時、俺は走った。子供だった俺が走れる限界の速さで屋敷に走った。そして、そこで見たものは──。

 白い帯紐を引き下ろし、極楽鳥を透かした欄間から祖母の死体をぶら下げる、凄惨なはつさんの姿だったのだ。


「……はつさんが、本当にお婆様を殺したのかはわからない。もしかしたら続く不祥事に、お婆様が自らくびれて死んでしまったのかもしれない。だが、はつさんはお婆様の死体に自分が着ていた服を着せ、自分はお婆様の着物を着込んだ。俺以外の誰にも知られないうちに、はつさんはお婆様と入れ替わった。……全てをやり終えた後、はつさんの髪は真っ白になっていた。その顔も十は老けて見えた。それは本当にお婆様にそっくりだった。皆は()()()がはつさんとの一人二役をやっていると思っている──口さがないものは幸の薄かったはつさんが本家の者に……西浦に恨みを抱いて死に、姉であるお婆様に乗り移ったのだとまで言っている。俺だけだ、本当のことを知っているのは。はつさんは狂い──一人二役を始めた。それだけで全て済んでしまった。お婆様さえいれば全てが収まるし、はつさんが村からいなくなっても何の損失もない。むしろ嫌でも先々代の行ったことを、思い出させる人間がいなくなるだけで──」


 俺の告白に、蓮子はすでに言葉もなかった。

 規則正しく水音が響く。永遠に、その沈黙が続くかと思われた時。


「……私の家ではそんな話は聞かなかった」


 蓮子のひび割れたようなつぶやきが聞こえた。


「そんな話、一つも聞かなかった。ただ、今度こそ……こんどこそ西浦と東野を結んで……それが東野のためになるって……」

「温泉の源泉だな」


 俺はあえてあっさりと言い切った。


「東野は古くから温泉で栄えてきた。だが、これはお前の方が知っているだろう? 東野の源泉は枯れかけている。さびれた東野が生き残るには、源泉を開発するしかない。だからすでに曽祖父の代から東野はうちに折衝していたんだ。うちの源泉はまだ全くといっていいほど手つかずだ。むしろ、その後の調査で今まで東野が利用していたものは、西浦の源泉の脇筋に過ぎないことがわかった。その利権を大叔父が東野と提携し……」

「待って」


 蓮子の悲痛な声が響いた。今にも泣き出しそうな声。


「じゃあ私と姉さんは、始めからそのためだけに東野で育てられたってこと? 西浦と東野のために……今までどんなに西浦でひどいことが行われて来たか知っていて、でも、西浦との繋がりを保つためだけに」

「そうだ。──生贄だ」


 だから。

 俺は声も無く立ち尽くす蓮子に、悲哀の言葉を投げかけた。


「お前達が養女だと知った時、むごい話だと思った。そこまで東野はうちが欲しいのかと。大叔父は計画していたんだ。東野が望んだ源泉を盾に、うちで利益を得ることを」


 蓮子はただ無言だった。


「出よう」


 圧迫感に耐えられず、俺は思いを振り切り、言った。


「俺にはまだやることがある。こんなところでぐずぐずしていられない」

「……出る……?」


 蓮子がうつろな声音で答えた。


「こんな状態でどうやって? 外には見張りもいるんでしょう」

「手を縛られていても、お前のスカートの尻ポケットに手が入るか?」


 俺がそう問いかけると、蓮子は一度黙り込んだ。考え考え言葉を返す。


「届くって……? ポケットの中に手を入れてみろってこと?」

「気をつけろ。怪我をするなよ」


 蓮子の気配が脇で動く。


「何? これ……薄い……」

「端に触るな。かみそりの刃だ」


 俺は低くつぶやいた。そして、わずかに眉を寄せる。

 先ほどから強い臭気に混じって、どこかきなくさいような匂いがする。


「かみそりって……もしかしてあの時……!?」


 俺は小さく苦笑した。蓮子に不埒な行いをした際、俺はごくさりげなくスカートの尻ポケットに用意した刃を忍ばせたのだ。


「万が一の用心だったが、役に立ったな」

「もう……! それならそうと早く言ってくれれば」


 あきれたような蓮子の声に、俺は肩をすくめて答えた。


「お前の顔にそれが出たら、他の人間にもわかってしまう。お前は嘘をつくのが下手そうだからな」


 頬をふくらませた蓮子の表情が目に見えるようだった。


「全く、もう。危ないじゃない」


 文句を口に出しながらも、縄をきしませる音が聞こえる。そう簡単には切れないだろうと俺は思っていたのだが、どうやら順調に進めているようだ。が、しばらくして規則正しい音が止まった。


「どうした?」

「何だか、煙のような匂いが」


 蓮子の低いつぶやきに、俺は内心舌打ちした。


「お前にもわかったか。──火をつけたな」

「え……」


 声に動揺が走る。


「何で? だって、朝まで……!」

「焦るな。ここは土蔵だから、そう簡単に火はまわらない。それに午後降った雨がまだ残っているはずだ。落ち着いて切り続けろ」


 ぎしぎしという音が激しくなった。蓮子のはやる息遣いが俺の胸元に触れて来る。


「あっ……!」


 小さな悲鳴。


「大丈夫か!?」


 俺のその問いかけに、切迫した呼吸音が答えた。そして震える蓮子の声。


「刃、落とした……」


 俺は深々とため息をついた。


「縄はどこまで切れた? 自分の力で引きちぎれそうか?」


 自身の心臓の鼓動が早くなる。目には見えなくても、はっきりとした匂いとともに煙の存在が感じられる。


「だめ……! 手だけは何とか抜けたけど、ひじが縛られてるからそこまでしか動かせないの」


 絶望的な言葉が聞こえ、俺は奥歯を噛みしめた。

 万事休すか。

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