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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
22/37

6.

 俺は奥歯を噛みしめて、公彦の彫りの深い顔を見た。飄々とした口調の中にもどこか冷酷なものがある。


「四年前、加世は俺が考えていることを伝えたか?」


 俺がそう尋ねると、公彦はため息を漏らして答えた。


「ああ」

「どうしてあの時、それを理由にさっさと処分しなかった」


 もしもあの時だったなら、俺は全てを投げ出していた。全てのことがどうでもよく、大叔父達に何一つ逆らいはしなかっただろう。

 公彦は皮肉げな笑いを作った。


「西浦本家の御当主様が御神体に手をかけるなんて、そんな馬鹿な話は全く信じられなかったからさ。ましてあの時、一緒に聞かされた加世のお前への中傷は、なかなか見事なもんだった。身内の甘さでひいき目に見ても、あの時加世が本家を嫌って九十九を選んだのは明白だ。そんな状況でお前の悪口をさんざん聞かされてもみろよ。そう簡単に信じられるか? ……まして本家の惣領息子だ。ただでさえ少ない本家の血を、何の利益もなく捧げるのは惜しい。オレも親父もやましさの反動で、加世がお前をおとしめるために言った言葉だろうと判断した。処分するならいつでも出来る。とりあえずお前に見張りをつけて、式まで監視することになったんだ。……日頃の行いがものを言ったな」


 俺はほろ苦い笑みを浮かべた。公彦もつられたように苦笑する。が、すぐにその顔をぐいと近づけ、真面目な表情で告げた。


「その、加世が失踪した」

「何……?」

「本家から帰った後、すぐにだ。遺書を残してそのままいなくなった。手をつくしたが見つからない。お前、どこへ行ったかわかるか」


 公彦の真剣なまなざしに、俺は言葉を失った。


     *


 ぴちゃん、ぴちゃんとどこからか水の漏れる音が聞こえる。

 格子に縛りつけられたまま、俺は前の暗闇をにらんだ。鼻をつくような激臭に思考力が低下している。

 この水音は、奥にすえつけられた水道からのものだった。俺は左側を見た。闇にへだてられてはいるが、すぐそばに生きた人間がいるほのかな温かみを感じる。俺と同じく立ったまま格子に縛りつけられている蓮子に、小さな声で話しかけた。


「おい」


 返事はない。


「おい。──おい、大丈夫か?」


 いささか心配になって尋ねると、不機嫌そのものといった声が答えた。


「大丈夫じゃないわよ」


 小さいが、怒気をはらんだ声。


「まったくもう。あの人達は女に手加減ってものを知らないのかしら。こんなにきつく縛らなくたって」


 俺は胸をなで下ろした。怒る気力があるなら大丈夫だ。


「少しずつでも腕を動かし続けていろ。しびれて使い物にならなくなる」

「……わかってるわよ。こんな真っ暗闇、子供の頃のお仕置き以来だわ」


 ぼやく連子に、俺は思わず苦笑いを噛み殺した。こんな状況でのんきな奴だ。

 あの後、俺達は幾人もの人間に取り囲まれて、この土蔵まで連れて来られた。異臭だけが漂う牢に二人そろって入れられて、ご丁寧にも木組みの格子に縛りつけられてしまったのだ。


「夜明けまでの辛抱だ。それまで一緒にいてやりたいが、お前らを見張って夜明かしするほどオレも暇じゃなくてね」


 土蔵の引き戸を閉める際、減らず口を叩くことを忘れず公彦はつけつけとしめくくった。


「朝までにお前抜きでどうやって東野との交渉を進めるか、親父と打ち合わせをせにゃならん。年寄り連中はなかなか納得しないだろうし──何しろ本家大事の人達だからな。分家の親父がでしゃばるのが気に入らないわけだ──大伯母様はまた何かと面倒だし。難儀なことだ」

「どうしてそんなに本家が大事なの。家を継ぐことで一体何の得があるの」


 今まで一言も口をきかなかった蓮子が、最後の問いを投げかける。公彦は含み笑いを漏らした。


「それは、さっき君がお婆様に聞いていた、勇気のある質問のためだよ、蓮子ちゃん。本家の裏山にある池は一体何なのか、ってね。……貢生はただ君に池を見せただけで、意味を教えてくれなかったのか? だったらこっちが聞きたいね。なぜ貢生は、蓮子ちゃんにあの池を見せたんだ? 蓮子ちゃんがどんなにか危険な目に会うことを知っていて? 村の秘密を漏らしたものが一体どんな目にあうのかも」


 挑むように蓮子が返した。


「私が教えろって言ったのよ。この村の秘密を全て、何もかもって。──私の姉さんが死んだ理由も」


 蓮子の低く激しい声が、ついに耐えかねたように放たれる。ため息混じりに公彦が答えた。


「おやおや。葬式の時とは違ってずいぶん大人しいと思っていたら……やっぱりな。蓉子のことを探りに来たとはね。さすがあいつの妹だけはある」

「姉さんに何したの!?」


 怒りを爆発させた言葉に、公彦は肩をすくめたらしかった。


「それは言えないね。いくら君が貢生に迫っても、気の毒だがそのことは聞き出せないよ。こいつだって全てを知ってるわけじゃない。……それじゃしばらく大人しくして、この世との別れを惜しんでくれ。二人とも若い身空で気の毒だが、心中だったらそう寂しくもないだろう?」


 意味深長な言葉を残し、それまでわずかに開かれていた外とのつなぎ目が消し去られる。

 よどんだ空間は闇に閉ざされた。臭気と盲目の圧迫に、自然と呼吸が切迫して来る。無さえ覚える閉鎖感の中で、一つ、二つと水滴の落ちる音だけが、流れる時間の概念を教えていた。


「貢生さん」


 むっつりと蓮子が呼んだ。


「はつさんは……」


 俺はささやくように制した。


「もう少し小さな声で言え。多分外には見張りがいる」

「……」


 蓮子が押し黙る。俺は浅く息をついた。


「ここはもともと、中の音が漏れない作りになっている。そうそう内容は聞き取れないだろうが、万が一ということもある。なるべく声は低くしろ」

「貢生さん」


 蓮子はつぶやいた。


「はつさんは、あなたのお婆様だったの?」


 俺は次の言葉に詰まった。

 蓮子は淡々とした口調で続けた。


「私が初めてお婆様に会った時、確かあなたは言ったわね。顔を見たか、って。……あの時は座敷の中が暗くて、お婆様の顔は見えなかった。二間の座敷のずっと奥にいる人の顔なんて……まして、その人が誰かに似ているかどうかなんて、考えもしないわ。──あなたはもう知ってたのね。あの時のお婆様は、はつさんだったんだって」


 俺は無言で話を聞いていた。


「あの後私は座敷で迷って、ちょうどそこに来たはつさんに帰り道を教えてもらったわ。あれはお婆様として会った後、そのまま西の座敷から出て、偶然会ったふりをしたんだわ」

「違う」


 俺は思わず否定した。凛とした蓮子の声が返る。


「何が違うの?」

「はつさんははつさんだ。はつさんの時、あの人ははつさんなんだ。あの人は自分でもわかっていない……あの人はほとんどの時間をはつさんとして過ごし、用のある時だけお婆様になる。あの人は、自分がお婆様になっていることを知らないんだ」


 高くなる声を必死で抑え、俺は訴えた。


「これだけは誤解しないでくれ。今のはつさんははつさんじゃない。あの人は違う……違う人格の別人だ。信じられないのは当然だ。でも、はつさんにまでだまされていたんだとは思わないでくれ」

「どうして……」


 蓮子はぼんやりと言った。


「あなたはどうしてあの人をかばうの?」

「かばっているんじゃない」


 俺は胸の奥できしむ思いを押し潰した。


「かばっているんじゃないんだ。あの人は、被害者なんだよ」

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