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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
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5.

 その時、まるで動くことを忘れたようだった蓮子が、かすれ声を口から漏らした。


「でも操さんは生きていた。──しかも、あんな恐ろしい姿で」


 一度ごくりと息をのむ。そして言った。


「裏山に沼がありますね?」


 瞬間、はつさんが喉から細い悲鳴のような息を吐き出した。顔をたもとで押さえたまま、浅い呼吸を繰り返す。

 俺は静かに目を閉じた。

 そうだ。わかっていたことだった。蓮子は公平を期すために、俺以外の人間に起こった事について聞きたいと言った。はつさんに尋ねるのは当然のことだ。

 はつさんの過剰な反応に、蓮子は一瞬身を引いた。だが、思い切ったように続ける。


「裏山の道はあの沼にたどり着くと聞きました。……あの沼は一体何なんです。操さん達はあの沼に行ってしまわれたんですか? あの沼で、何が起こったんです?」


「……ご覧になったのですか」


 低くくぐもった声がした。


「ご覧に、なってしまったのですね」


 まるで百歳の老婆のように、かすれ、しわがれきった声。

 はつさんの異常な様子の変化に蓮子が肩を固くする。俺は上体を起こした後、背後に注意を払いながらもそろそろと蓮子へ近づいた。あとずさる蓮子の背に触れて、振り向いた体を脇に押しやる。


「……はつさん」


 俺はささやきかけた。蓮子の問いが彼女の変化の引き金になったことは間違いない。問題は()()()がどう出るかということだ。

 はつさんのたもとで押さえた顔が、ゆっくり、ゆっくりと上がって行く。


「……貢生……」


 そこに現れた表情は、すでにはつさんのものではなかった。

 いや、はつさんと同じものだ。つり上がった眉、涙に濡れた、だが冷酷な光をはらんだ目。──顔の作りは寸分違わず、一瞬の間にはつさんは別人に変わってしまった。


「貢生。お前が教えてしまったのだね。儀式を済ませる前だというのに……」


 引き結んだ薄い唇から、はつさんのものとは全く異なる冷ややかな言葉が漏れた。蓮子があえぐようにつぶやく。


「ゆ……雪枝様……!?」


 蛇のような感情のない目で老婆──俺の祖母の雪枝は、一昨日ここに迎えたばかりの哀れな花嫁を見すえた。


「──だから言ったのだ。よその女は始末が悪い。大事な当主をたぶらかし、この西浦に災厄を呼び込む。これも西浦のためだなどと、光義にうまく言いくるめられた私がやはりおろかだったのだ」


 俺はその身を乗り出した。いつでも動ける体勢を取りながら、今の今まではつさんだった別の人物に訴える。


「お婆様。確かに僕は蓮子に御神体を見せました。『村の者以外に御神体のことを漏らせばこの村は滅びる』──村の者なら、五歳の子供でも知っている言い伝えです。全ては僕の責任です。……ですが、それが一体何だと言うんです」

「何……」


 さらに冷ややかに目を光らせる、祖母──はつさんの中にいた人格に、俺は無駄とは知りながらあえて抵抗を試みた。


「俺は昔から考えていました。この西浦は当主の血筋に、そして、あの御神体と呼ばれる化け物に捕らわれ過ぎている。お婆様、あなたももうわかっているはずです。当主が何だと言うのです。そんなもの、とうの昔に無意味なものになっていたんだ。……俺が継いだって何の意味もない。化け物なんかに捕らわれていて、何が西浦のためだって言うんだ!」


 俺が言葉を重ねるたびにその表情は固く強張り、今まで以上に感情のない、仮面じみた物になって行く。が、唇はぶるぶる震え、紙のような顔色が怒りを物語っていた。


「何と言うことを……!」


 先ほどまでは穏やかな微笑みを静かに浮かべていた唇から、容赦ない糾弾の言葉が放たれる。


「お前はやはり操の子か。孝一郎とこの村を裏切り、男と逃げた恥知らずな女。あのおぞましい姿を見れば、よそ者などすぐに村から逃げ出すと思ったが……逆にお前が小娘をかばうようになるとはな」


 俺は口元を引き締めた。では、やはり始めから、祖母は蓮子──よそ者の嫁入りに反対だったのだ。


「よそ者どころかどこの馬の骨ともわからない、東野のもらい子を嫁になどとは、とんでもない話を持ち込むと思ったが……。光義の言葉は本当だったのか。お前が村の御神体を殺し奉ることを考えているなどと。孝一郎の忘れ形見と育ててやった恩も忘れて、この私ばかりか、よもや御神体にまでたてつくとは!」


 今の状況を理解できず、ただその瞳を見開いている蓮子の腕を引き寄せて、俺は背後の闇を振り返った。蛙の鳴き声がぴたりと止んだ庭から影が浮かび上がる。


「公彦……」


 俺がつぶやくと、公彦は軽く肩をすくめてため息混じりに聞いて来た。


「お前のことだ。オレ達に陰から見張られてることなんて、とっくにわかってたんだろう? お前が馬鹿なことを考えなけりゃ、こんな目に会わずに済んだのに」


 ちらりと祖母の方を見やると、苦笑いして口を開く。


「村にとっては申し分のない優等生だったお前が、そんなことを考えていたとはな。一応話には聞いてたが、実際にお前の口から聞いた時にはびっくりしたぜ。まして蓮子ちゃんにまで沼の御神体を見せるとは……やれやれ。やっぱりお前はこの西浦の当主だよ。二代続けてよその女で身を亡ぼす羽目になるとはな」


 公彦は仕方なさそうに、脇に控える村人を見やった。顎をしゃくって取り縄を出させる。

 はつさんの気配を消し去った雪枝は、村人達に言い放った。


「二人を蔵に閉じ込めておけ。操はすでに中にいない」

「何……?」


 俺は喉が焼けつくような焦燥感に顔を上げた。抵抗を試みたものの数人がかりで押さえられ、縄で縛り上げられてしまう。


「母さんをどこへやった!!」

「一応何か隠し持っていないか、こいつの体を探ってみろ」


 公彦の冷静な声が響いて、俺は身を固くした。


「あった!」


 体を探った中の一人が、服のベルトに挟み込み、忍ばせておいたものを抜き取る。


「御神刀……」


 公彦はつぶやき、俺は歯噛みした。公彦はそれを受け取ると、白いつかにくっきりと押された西浦の印を確認した。


「よかった。これをお前に処分されるんじゃないかとひやひやしたぜ。しきたりじゃ式の前日に当主に渡すことになってたが、親父はばっくれるつもりだったんだ。それをあんまり村の年寄りに小うるさく言われたもんで、オレが渡せと説得した。その責任上、無事お前からこれを取りもどす必要があってね」


 乱暴に肩を押さえられ、俺が背後をにらみ上げる。にらまれた顔見知りの青年は俺から顔を背けてしまった。


「何するのよ!」


 横でも抵抗を続けているのだろう、蓮子の噛みつくような声が響く。


「母さんのことを言ったのか。村の人間に話したのか‼」


 そう怒鳴りつけた俺に眉一筋さえ動かさず、雪枝は見下すような目つきで縛り上げられた俺を眺めた。


「よそ者二人を一度に片付けるよい機会だと思ったのだがな。娘が操の姿におびえ、東野の村に逃げ返るどころか、よもやお前がたぶらかされて御神体のことを漏らすとは。……これに懲りて、光義がまた余計な話を持ち込まねばよいが」


 御神刀をしまい込んだ公彦が、俺達に近づいて来る。


「とりあえず、お前らは朝まで蔵にいてもらう。明日の式で不敬を理由に当主を正式に親父に譲れ。本家筋がどうのこうのと、小うるさい年寄りが多いんでな。お前の口から辞意を伝えれば、孝一郎さんの時よりは混乱せずにすむだろう。あんないざこざはこりごりだ。もし俺達に従わなければ──」


 小さく首を振って見せる。


「まさか、あの人が生きていたとはな。これ以上は言わせないでくれ」

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