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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
2/37

1.

 窓に入り込む夏の風。

 曲がりくねった細い山道を、バスはのろのろと登っていた。まるでその先へ進むことを全身で嫌がっているかのようだ。季節の風を入れるため、全開に開けた窓の外には青い木立が広がっている。


──暑い。


 もう七月も半ばだというのに、古ぼけたバスにはクーラーも入っていなかった。

 見飽きた景色から目をそらし、俺は車内へ視線を移した。色あせたビロードの座席には俺以外誰も座ってはいない。どうやら二、三人いた客は皆、東野(とうの)温泉郷──ひなびた山村の温泉地へと続く、二つ手前の停留所で降りてしまったようだった。

 俺は再び窓の外を眺めた。白い木漏れ日が細かく編まれたレースのように、木立から細い道路のはたまで大きく広がっている。

 不意に鮮やかな新緑が途切れ、のどかな農村風景が広がった。大きく迫る山の稜線はまぶしい青空にふちどられ、区切られた田の苗は風にそよいで、来たる季節を思わせる。

 ふと俺は苦笑した。やっと自分が不機嫌であることに気がついたのだ。

 バスの慣れきった運転にもうかがえる、この時間というものをまるで意識していない空気。だらけた田舎の雰囲気に、どうやら知らず知らずのうちに苛立ちを感じていたらしい。俺がここを離れていたのは短い期間だったはずだが、この独特の雰囲気に違和感を覚えるには十分だった。


──多分、これがはつさんのよく言う、「悪しき都会の影響」とやらに違いない。


 そんなことを考えながら通路に置いた鞄を持つ。やはりやる気のない声で運転手が停留所の名を告げた。

 

「次はにしうら、西浦です」


 俺は黙ってボタンを押した。

 バスに乗る客はいなかった。

 熱い排気ガスを残して、古ぼけたバスがのろのろと再び山道をたどって行く。停留所のある峠から深い木立の中へ隠れた。見送りながら、俺はあのバスがどこへ行くのかと考えた。もうこの先に村はない。

 頭を振って、鞄を持ち直す。多分このまま山を下って、反対側の山の麓にゆっくりと下りて行くのだろう。村を訪れた時と同じく。

 俺は静かに顔を上げた。バス停のある峠から目指す場所に到るまでは、男の足でも一時間近く速足で歩かねばならない。緑の森に覆われた峰から頂の近くまで続く、小さな水田の連なりを見やる。山を切り開いて作った田の合間、細長い水路に寄り添って、ちょこん、ちょこんと建てられた平屋はまるでうずくまっているようにも思える。


──網膜に染みついた景色だ。


 俺は集落の上にそびえる大きな屋敷に目を留めた。ここからでも高い針葉樹の間に重厚な瓦屋根が見える。

 俺の生まれた家。

 それはことさらに主人然として、訪れるものを見下ろしていた。

 重い鞄を抱え直すと、俺は山腹を巡って続く一番広い──とは言っても、やっと車が行き違えるくらいの──村道を上り始めた。


     *


 屋敷にたどりつくまでの間、俺は誰とも出会わなかった。村の中心部を避けて来たことが功を奏したようだ。

 背中を少し反らせる形で瓦屋根のついた正面の門を振り仰ぐ。

 愛想の良い顔を作って村人に挨拶せずに済み、俺は少しだけほっとした。挨拶というのは単純そうだが、あれでなかなか気を使う。最後の坂を上りきり、苔むした石段を確実に踏みしめながら、大仰な作りの門を息を止めるようにしてくぐり抜けた。

 ひやり、と空気が冷たく変わった。

 鬱蒼たる木々が作り出した影に覆われる敷地内。土塀で区切られた前に広がる、古く黒ずんだ母屋と離れ屋。その奥にのぞく土蔵の瓦屋根など、屋敷の中の全ての建物が明るい日差しから遠ざかっている。

 影という名の因習に閉じ込められてしまった家。

 俺は小さく頭をたれた。我が家ながら、ここから出入りする時はいつでも押し潰されるかのような重みを感じる。


貢生(こうせい)さん」


 明るい声が俺と屋敷の間を軽やかに通り抜け、重圧をわずかに連れ去った。


「遅かったですねえ。昼には着くと言っていたのに、もう日が暮れてしまいますよ」


 俺は微笑みを声の主に返した。手を振る割烹着姿の老女が、母屋と離れ屋の間にあるくぐり戸の前に立っている。裏の勝手口から出て来たようだ。水に濡れた手を割烹着のすそでぬぐいつつ、古びた突っ掛けで玉砂利を鳴らして俺の方へと近づいて来た。


「まあまあまあ、ご自分でそんな大荷物をお持ちになって。だから駅まで迎えを出すと言ったのに。貢生さんがいいと言うから……」


 俺は相変わらずの過保護に苦笑いしつつ口を開いた。


「大丈夫ですよ。僕だって、もうそんな小さな子供じゃないんですから。それより、遅くなってすみませんでした。一度大学に寄ってから下宿先を出たもので……。はつさんも相変わらずお元気そうで良かった」


 老女──この家の使用人であり、両親を早くに亡くした俺の育ての親とも言えるはつさんは、目じりに皺を寄せて笑った。


「そりゃあもう。元気にならずにはいられませんよ。ほんとにねえ、貢生さんが生まれた時のことを思い出すと、嫁取りをする日が来たなんてまるで夢のようで……」


 いつものように昔話が始まりそうな雰囲気に、俺は少々閉口した。悪い人ではないのだが、このおしゃべりが玉に瑕だ。


「嫁取りと言っても今日のは形だけであって、本当の式は僕が大学を卒業してからなんですよ」


 何度も伝えた言葉を言うと、はつさんは深くうなずいて噛みしめるようにつぶやいた。


「ええ、ええ、ようく存じております。式は仮でも、今日は貢生さんが晴れて西浦の主になられる日なんですから、どうして落ち着いていられますか。もうすぐお嫁さんがいらっしゃいます、貢生さんも支度をなすって。……早く、ほら、堅三(けんぞう)何をしているの。貢生さんの荷物をお持ちして」


 曲がり気味の腰を伸ばして、必要以上に大きな声で母屋の奥に声をかける。俺が再び苦笑していると、木戸の影から小男が姿を現した。

 ゆっくりとした足取りで俺達の前に歩いて来たのは、下働きをしている堅三だ。その背は極端に低いが、がっしりとした体格は頑丈な農耕牛を思わせる。同じくいかつい風貌は昔から変わらないままだった。


「ああ、いい。離れに行くから自分で運ぶよ」


 のそりと手を出した男に俺は言葉と身振りで伝えた。俺の微笑に答えて彼がわずかに口元をほころばせる。

 堅三は生まれつき言葉が不自由で、めったにしゃべることはない。また、しゃべったとしてもその発音は聞くに耐えがたく、結局お互いに言いたいことを身振りで表すことになる。

 堅三は静かにうなずくと、再び裏に姿を消した。はつさんは俺を見上げて言った。


「それじゃあ、早くお支度をなすって下さいね。じきお客様も見えるでしょうから」


 まだ興奮気味に訴えるはつさんに、俺は素直にうなずいた。


「分かりました。それと、お婆様は?」


雪枝(ゆきえ)様なら、お部屋でお待ちです。今日は朝から貢生さんがいらっしゃるのを心待ちにしておられましたよ」


 再びうなずく俺を認めてはつさんはそわそわとつぶやいた。


「こうしちゃいられない」


 くるりと背を向け、すたすたと木戸へと歩いて行ってしまう。そしてすすけたくぐり戸の中に吸い込まれるようにして消えた。多分、土蔵へ今夜の宴に必要なものを取りに行ったのだ。せわしげに動く背中の残像に、俺は苦笑しつつ思った。

 村中の者を呼ぶ宴の支度を整えるには、いくら西浦の本家とはいえ並大抵の準備では出来まい。きっと彼女のことだから抜かりなく進められているのだろうが、それにしても大事な話だ。

 現にいつもなら水を打ったように静まり返る母屋から、珍しく大勢の気配がする。特に台所がある母屋の裏などは、大いに活気づいているようだった。


──嫁取りか。


 俺は胸中で繰り返した。

 会ったこともない他村の娘。俺を当主の座にすえる儀式を、更に完全なものにするためだけに選ばれた哀れなあやつり人形。


 ──気の毒にな。


 俺はひっそりと笑った。

 まだ十八歳という若さで、何も知らずにこんなおぞましい村に嫁ぐとは。

 まして西浦の本家の嫁だ。彼女が当主の花嫁という狭い鋳型にはめ込まれるのは、誰の目にだって明らかだ。彼女はそれを承知して来るのか。いや、わかってはいないだろう。

 本当に、気の毒にな。

 俺は小さく首を振り、淡い感傷を切り捨てた。

 一度母屋を振り返った後、俺は自分の部屋がある離れへと足を向け直した。

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