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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第二章 祭り
19/37

3.

 切ないものを胸に抱えて、俺は力なく蓮子に尋ねた。


「お前はどうしてここにいたんだ? 母さんに会おうと思ったんじゃなかったのか」


 蓮子は瞳を見開いた後、妙に沈んだ様子で答えた。


「目が覚めて、あなた達の声が聞こえなくなっても離れにいたの。でも、どうしてもあなた以外の人に話が聞きたくて……。姉さんの最後のことだって、少し加世さんに聞いたくらいで──」


 眉根をくもらせ、唇を噛む。


「あなたを疑うわけじゃない。だけどこんなの不自然だわ。西浦の誰にも姉さんや、あの沼にいる訳のわからない化け物の話を聞けないなんて。今度こそと思ったの。だけど」


 不意に口ごもる。顔色が悪い。先ほどの出来事を思い出したのだろうか。


「誰に聞けばいいのか、どう聞けばいいのかもまるでわからないし。雪枝様に聞こうかとも思ったんだけど……急に怖くなって」

「それで立ち往生をしていたわけか」


 俺は胸をなで下ろした。蓮子のこの様子ではまだ誰にも会っていない。ならば、まだ何も知られていないはずだ。

 そんな俺の思いを知らず、蓮子はまっすぐに俺を見上げた。


「蔵の中にいるあの人は、あなたのお母さんなんでしょう?」


 有無を言わせぬ声の調子に、俺は仕方なくうなずいた。


「ああ」

「私が東野で聞いたのは、ご両親は二人とも子供の頃に亡くなったって。お母様は事故のせいで、お父様はその後すぐにご病気でお亡くなりになったって。……あなたも前、自分ははつさんさんに育てられたようなものだって言ってたでしょう?」


 一つ一つの蓮子の問いかけが、針で突かれたように感じる。


「それなのに……」


 しかしさすがにそれ以上、蓮子も今の俺を問い詰めようとはしなかった。薄寒いように肩を抱きしめ、黙り込んでいる俺から白い顔をそむけてつぶやく。


「あんな、むごい……」


 俺は次の言葉に迷った。何度か喉を鳴らした後で、やっと唇を開いて告げる。


「あれは確かに俺の母親だ。十年前、死んだことになっている。……言っただろう。まだ母が生きていることを、村の人間は誰も知らない。大叔父を始め、新宅も。この屋敷に住むものを除いて」


 蓮子は頬をこわばらせた。今までの詰問口調とは違い、むしろ哀願するような目でひたむきに俺を見つめて来る。


「死んだはずの人が生きている。それも、あんなひどい姿で。一体何があったって言うの? それに、これは私の姉さんにも関わりのあることなんでしょう?」


 俺はまつげを伏せていた。もしも全てを話すのならば、避けては通れない問いかけだ。


「ねえ、話して。操さんのこと。話してくれるって言ったでしょう?」


 最後にそうとどめを刺され、俺は奥歯を噛みしめた。

 どこからどう話せばいいのか。どこまで話していいものなのか。逡巡している俺の後ろで、かたりと戸を開く音がした。反射的に俺は振り返り、思わず目を見開いた。


「お話し下さい、俺さん。雪枝様もそれを望んでいらっしゃいます」


 感情の響きを一切込めない、単調で、それでいてうら寂しい声音。


「はつさん。いつから……!」


 開けた障子の間からはつさんの姿が見えていた。弱弱しいような微笑みを口元の皺にたたえている。


「貢生さんが、血相を変えて西方に向かうのが見えたので……また何かあったのかと」


 胸に鋭い痛みを覚え、俺ははつさんの顔を見た。座敷に入るとはつさんは俺の顔を見上げた。子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を続ける。


「蓮子さんは貢生さんのお嫁さんですよ。他の村の方とは言っても──いいえ、この村のことを知らないからこそ、教えて差し上げなくちゃいけません。……それとも、この私から申し上げた方がよろしいですか」


 それだけ言うと、はつさんはその小作りの唇を引き結んだ。俺の返事を待っている。


──はつさんに言わせる。


 正直言って、あまりにも唐突なはつさんの登場と提案に、俺の頭は混乱していた。彼女に話が出来るのか? だが、はつさんは話すと言った。何もかも知る俺ではなくて、何も知らない蓮子のために。これは、やはり不可解な祖母の行動と関わりのあることなのだろうか?

 俺ははつさんから目をそらした。


「……頼む」


 俺にはそれだけしか言えなかった。

 はつさんは蓮子に向き直った。俺とはつさんの間に満ちた異様な緊張感のため、蓮子は身じろぎもせずに二人の会話を聞いていた。蓮子は小さく息を飲み、皺だらけの顔を見返した。


「教えて下さい。お願いします。この村で何が起きたんですか?」


 つぶやくように蓮子は言った。全てを心得ているかのように、はつさんのゆったりとした言葉が返って来た。


「──全てお話しいたします。ですが、もう日も暮れました。明日のこともありますし、お二人もさぞお疲れでございましょう。お食事の準備とお風呂の用意をいたしますので、お話はその後ということに……」


 俺は蓮子と目を見合わせた。その明らかに不満げな顔に、俺はあえて目くばせをして蓮子の言葉を押しとどめると、改めてはつさんに向き直った。


「わかりました。場所を移して、もう一度話をすることにしましょう。すみませんが、食事と風呂をお願いします」


 はつさんはうやうやしくお辞儀をすると、音もなく座敷を出て行った。

 不意に部屋の緊張が解かれた。俺は肩の力を抜いた。はつさんが姿を消した後、その障子を見送ったままで黙り込んでいる蓮子に告げる。


「俺達も一旦離れにもどろう。ここにいても仕方がない」

「……」


 二人は無言で部屋を出た。藍が広がる夜の闇の中、くっきりと光る半月が見える。

 誰か若い衆がたわむれに太鼓を叩いているのだろう、遠くで大太鼓の音が響いた。


     *


 夜風に乗った太鼓の音が、一度ぷっつりと途切れた。再び聞こえ始めた時、いよいよ祭りの始まりを告げる勇壮さが増していた。今まで叩いていた人物とは数段違う腕前だ。

 俺は庭先の闇を見すえて、轟く音を聞いていた。

 前夜祭は、村役場の広場にやぐらを組んで行われる。毎年大きなやぐらを組むのは村の若い衆の仕事である。子供とともに村を廻って、最後に本家の庭で大太鼓を披露した後、若い衆は役場に集まり、用意しておいた材料で大きなやぐらを組むのである。

 今夜は村の男衆が酒や肴を持ち寄って、組んだやぐらをぐるりと囲み、夜っぴて宴が繰り広げられる。この宴は古くからの慣わしで、狷介な長の圧制の中、祭りくらいは気兼ねなく行わせようという心遣いか、西浦の本家の人間は参加することが出来なかった。せいぜいが酒肴を提供するのみで、宴は無礼講として行われる。しかし、大叔父が新宅を作って本家を出てから、新宅がこの宴を取り仕切るようになっていた。宴に参加することで、村では一人前の若い衆として扱われるようになるのである。

 俺は離れで蓮子の訪れを待っていた。

 箸の進まない食事の後、はつさんと蓮子が食事の後片付けを済ませている間、一人で離れへと引き上げたのだ。俺は文机の脇に置かれた旅行鞄に目をやった。中を確認しようとして、俺は一瞬ためらった。


──これから始まる出来事を、蓮子はどう思うだろう。


 俺は深々と深呼吸した。そして改めて鞄に近づく。明日はついに本祭だ。本来ならば女にかまけている場合ではないはずだ。

 鞄の奥から用意しておいた数種類のものを取り出す。いくつかのものは口に含み、もう一方はそっとシャツの胸ポケットの中に収めた。

 渡り廊下から次第に静かな足音が近づいて来る。閉じられたふすまの向こうで、わずかにためらう気配がした。一昨日、蓮子が初めてここに入ってきた時と同じように。あの時がずいぶん遠く感じる。


「どうした。入れ」


 声をかけると、蓮子が静かに障子を開けた。


「はつさんが続きを話しましょう、と」


 顔をのぞかせた蓮子の表情は、思いのほか落ち着いていた。


「わかった」


 俺が立ち上がって答えると、蓮子は物言いたげに俺を見つめた。


「何だ?」


 首を左右に振ってうながす。


「何でもないの。行きましょう」


 蓮子の浮かない表情に、俺はふとあることを思いついた。必要以上に近づいて来る俺に蓮子が後退る。


「な、何よ」


 俺は問いに答えずに、蓮子の上からある一点をじろじろと覗き込んだ。


「ふうん……」


 俺の無遠慮な視線の先が自分の胸元にあることに気づき、蓮子が耳まで赤くなった。


「な……何よ!」


 あわてて覆い隠そうとする。だがその手より一瞬早く、俺は腕組みをしていた右手を蓮子の胸に当てていた。


「結構あるな」


 あまりのことに硬直している蓮子の胸から腰にかけてを、何の遠慮もなくなで下ろす。


「な、な、な……!」


 引きつった声の後に続いた豪快な平手打ちを喰らう直前で、ひょいと俺は手をどけた。まるで何事もなかったように渡り廊下へ歩き出す。


「何考えてんのよ、馬鹿‼ 変態‼ ド助平‼」


 思いつく限りの悪口雑言を並べ立てる蓮子をそのままに、俺は窓の外を見やった。見慣れた植え込みの影の形が妙に不自然に思われる。


「蓮子」


 怒鳴り疲れて息を切らしていた蓮子が目を吊り上げて叫ぶ。


「もう! 今度は何なのよ!」

「庭に誰かいないか」


 落ち着き払った俺の言葉に出かけた悪口を飲み込んで、蓮子がまばたきを繰り返した。


「庭……?」


 恐る恐るといった様子で俺が見つめる先に目をやる。


「誰か……」

「気のせいか」


 俺がそうつぶやくと、蓮子は大げさに肩を落とした。

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