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その村には人魚が沈んでいる  作者: 小波
第一章 生け贄の花嫁
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9.

 俺は不思議な感覚にとらわれた。自分と同じ部屋にいる他人の蓮子の存在を、何の緊張も警戒も感じず極自然に受け止めている。


「……何よ。人の顔じっと見て」


 唇をとがらせる蓮子の様子に、俺はくすりと笑って見せた。


「いや。眺めていて飽きないな、と」

「何よ、それは」


 馬鹿にされたとでも思ったのか、蓮子は憤慨の表情を作った。まあ、それに近いような感情なのかもしれない。俺は甘く冷えた桃を一切れ口に入れながら思った。


「わからないことばかりだわ」


 蓮子は改めてぼやき、グラスを置いて俺を見た。


「そうよ。お屋敷の中を案内してくれるんでしょう? それに、朝はつさんさんが言ってた『操さん』って方にお会いしなくてもいいの? 私、お婆様にも直接言われたわ、操さんに会って欲しいって」


 俺は黙って蓮子を見返した。そして深くため息をつく。


「出来ることなら、会わせたくなかったんだがな」


 グラスの中の麦茶を飲み干し、脇の文机の上に置く。視線を落として自問した。

 やはりはつさんさんの言う通り、彼女に会わせるべきなのか。それとも会わせずに押し切るべきか。

 そもそも、なぜお婆様は蓮子をあの人に会わせたがるのか。あの人の存在を蓮子に知らせ、一体何の得があるのか。大体あれを忌むべきものとして、何者からも隠そうとしているのはお婆様自身ではないか。

 隠し切れないと悟ったにせよ、どうせここまで持ったのだ。せめて式が無事終わるまで、何があってもその存在を隠し通そうとするのが普通だろう。それとも──俺は身のうちに暗澹たる思いを抱えた──そんなことも考えつかないほど、あの人の病は進行しているのだろうか?

 もしも蓮子が恐怖のあまり、真相を知らないままに東野に逃げ帰りでもしたら、ことは西浦だけの問題ではなくなる。

 俺は焦燥を切り捨てるため、かすかに首を振って思った。


──例えそうなったとしても、もう関わりのないことだ。自分は何があろうとも、計画を実行するだけなのだから。それまではお婆様に言われた通りに働く方が賢明だ。


「直接会ってから話を聞くのと、俺の話を聞いてから会うのと。どちらを選ぶ?」


 俺は蓮子に選択させることにした。

 蓮子はその目をしばたたかせた。


「そんなに大変なことなの?」

「ああ」

「じゃ、話を聞いてからにするわ。私も色々と聞きたいことがあるし」


 蓮子はあっさり後者を選んだ。俺は静かにうなずいた。その方がいいのかもしれない。多少なりとも予備知識をもって村の事物に接したほうが、こいつの傷も浅いだろう。


「俺の話をする前に、少し聞きたいことがある」


 蓮子はまっすぐに俺を見つめた。


「何よ」

「お前の姉は嫁いで来てから何も話さなかったのか? この村のことについて」


 蓮子は形の良い眉を寄せた。


「何も……? 何も、ねえ? 姉さんはああいう人だったから、何があっても私に泣き言を言うようなことはなかったわ」

「泣き言でなくてもいい。そうだな、何か村で妙なことがあったとか、変に感じたとか。そういったたぐいの話だ」


 さらにそう問いかけると、蓮子は軽く腕組みをした。考え込むような顔つきをする。


「妙なこと。後は、お祭りの話とか」

「どんな?」


 食いつくように尋ねた俺に、蓮子は面食らった顔をした。ぱちぱちとまばたきをする。


「どんなって……。そうそう、お嫁に行ってすぐくらいの時だったわ。村全体が参加する、本家にとっちゃ大事なお祭りなんですって? うちは新宅だからお手伝いだけで済むけど、本家はいつも大変ねって話を……」

「それだけか?」

「ええ。よっぽどうれしかったんじゃないかしら。楽しそうな声だったのをよく覚えてるもの。西浦に行ってからはいつも沈んだ感じの姉さんが、『お祭りのお手伝いをすることで、少しは西浦に慣れた気がするわ』なんて言ってたくらいだし。……私は本当によかったと思って、その時やっと安心したのよ。それなのに……」


 そこまで言って、不意にうつむく。


「その後、すぐだったわ。あんなに明るかった姉さんが、まるで別人のようになって……」


 俺は鬱々とした思いを抱えた。

 すると、本当に東野蓉子は子供を生むまで気づかなかったのだ。この一見平凡な山村が、根本から忌まわしい因習にとらえられているということを。

 蓮子が不安げな目の色で見上げた。


「何なの? さっきから、あなたは何が言いたいの?」


 俺は、ついにその唇を動かした。


「──この村に伝わる古い習わしだ。東野蓉子はそれに関わった」


 俺の語りの不穏な空気に、蓮子はごくりと息を飲んだ。


     *


 庭の青竹を鳴らした風が静かに流れ込んできた。網戸を通したその涼しさが、迫る夕闇の訪れを思わせる。

 俺は淡々と話し始めた。


「お前も知っている通り、村では代々本家の跡取がここをまとめる役目を果たす。理由は至極簡単で、うちの先祖が主になってこの地に村を開いたからだ。これはただの伝説に過ぎないが、ここの村人は元は西の海──西の方角にあった海辺から、とある理由で追われてしまった村人達だったんだそうだ。だから村の名前は西浦。単純な理屈だな。

 ともかくこの地を永住の地と選び、西浦の村を築く際、先祖はこの地で儀式を行った。村が何にも脅かされず、また災害が起こらぬようにとあるものを祭って願をかけたんだ。村を守ってくれるなら、念に一度必ずこの日に感謝の念を捧げるからと。

 誓いを守った先祖は毎年忠実に祭りを行って、村の人間を全員集めるとそれを大切に奉った。次の当主も、その次の当主も、先祖と同じく祭りを行った」

「お祭りって、そのことなの」


 蓮子がぽつりと言葉を漏らした。ため息交じりの小さな声。俺は続けた。


「祭りは今でも村の起源時と同じ形で行われていて、うちの当主がつかさどる。今年は仮の当主だった大叔父から、俺が本来の役目を引き継ぐ大事な節目の年なんだ。だから、俺の当主としての立場を確立するために、お前を迎えることになったんだ」


 俺は一旦言葉を切って、再び蓮子に目を向けた。


「仮の仕事をしていた? 光義おじ様が?」

「そうだ。本来なら、俺の父親が俺に引き継ぐはずだった。先代の父が早く死んで、その時俺はまだ子供だったために、新宅の大叔父が仮でお役目を引き継ぐことになったんだ」

「……先代の当主は、今はもういないあなたのお父様だったのね」


 蓮子は冷ややかな視線を俺に投げて答えた。


「そして私や姉さんは、あなたの立場や村のためだけに西浦に連れて来られた訳ね」


 思いがけず冷めた口振りに、俺は眉尻を上げて脇の蓮子の顔を見た。蓮子の桜貝を思わせる唇に、かすかな自虐の笑いがかすめる。


「どうしてそんな顔をするの? わかってるわ、自分の役目くらい。姉妹そろってここの縁談を勧められた時からずっと、親戚に説得されて来たんだもの。──この縁談は東野にとって非常に重要な問題で、ともすれば東野だけに限らず、ここら一帯の地域に関わる大問題になるかもしれないって。何も知らずにここまで来るほど私達だって馬鹿じゃないし、東野の家でも言い含められてるわ。ここの異常な閉鎖性……それが当然だと思われていたほど昔からのことわりが、今変わろうとしてるんだって。それに関われるのは名誉なことで、この縁談を断るなんて、考えてもいけないことだって」


 双眸が暗くまたたいた。


「あなたが何を考えてるのかは知らない。でもあなただって私を利用してるんでしょう? いいわ、私もあなたを利用して色々と調べさせてもらうから」


 黒い瞳に光る思いはあきらめでも開き直りでもなく、これからの思いに燃え上がる熱い闘争心だった。


「加世さんに聞いたわ」


 突如投げられた鋭い声音に、俺は動揺を隠せなかった。思わずひるみ、そして尋ねる。


「何の話だ。何を言われた?」

「姉さんのことよ。あの人、笑ってたわ。姉さんが手首を切った日に、あなたは屋敷にいたのかって聞いたら、『私を疑っているんですか?』って。それから楽しそうに教えてくれたの。公彦さんも話してたように、あなたとあの兄弟が昔から仲が良かった話とか、ここに嫁いで来た姉さんはとても不幸だったってこととか」


 言葉を切って目を伏せる。


「公彦さんは西浦のために姉さんを押しつけられて……。姉さんと結婚した後も公彦さんの浮気は絶えなくて、二人の仲は初めから冷め切っていたって話を、ずっと」

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