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ガクッ!「っ!?」
静脈と針が接触を解いた途端、嫌でも感じる手元の異変。慌てて重みを増した注射器内を確認し、反射的に呻きが漏れた。
「な!?血が、一瞬で金色に……!!?」
「フン、成程な」
硝子管内部で輝く固形物は、どう見ても純金だ。生憎相場には疎いが、この量でも数万、下手すれば数十万の値が付く筈。
「まるで手品みたい……メアリー様、これもウイルスの仕業でしょうか?」
「多分な。おい、コンラッド。この現象は血液以外にも適用されるのか?」
「ああ。フケと垢以外なら毛髪に爪、涎、涙……排泄物に至るまで、一秒でも身体から離した時点で変化する」
「へえ」
ワゴンの骨切断用小型ハンマーを掴み、ガシャンッ!注射器を側面から叩き割る。
「メアリー様!?」
早速取り出した純金をピンセットで抓み上げ、ベータ型で満ちるシャーレにポトリ。貪欲な細菌の侵食を受け、時価数十万は僅か数秒で融解した。
「チッ、やっぱり駄目か」
「駄目で結構です。お二人が黄金像になったら、残された私は無職ですよ」
元レストラン経営者は頬を両手で挟み、年甲斐も無くブリっ子。おや、意外と可愛いじゃないか。
「……知られてしまったからには仕方ない。好きにしろ。監禁生活には慣れている」
勝手に観念したコンラッドが苦々しく吐き捨てる。
「お前達も、所詮あいつ等と同じなんだろう?私を富を産む道具としか見ない、下劣な金の亡者共め」
随分な言い草だな。お陰で大方の事情は察したが。
「メアリー様」
「ああ」
スルスルスル……パサッ。メイドは戒めを解き、犬歯を剥き出す奴に深々と頭を下げた。
「済みません。知らなかったとは言え私、ベイトソンさんに酷い事を」「謝るフリなど止めろ、女。不愉快――――っがっ!!?」
黒ヒールの踵で右脚甲を思い切り踏み、彼女にしては珍しく顔を真っ赤にして怒鳴る。
「私は何時だって本気です!あなたにどんな辛い過去があったかは分かりませんけど、謝罪位素直に信じなさい!このムッツリ茹で卵男!!」
「おー、よく言った。流石はうちの家政婦」ぱちぱち。
異性から激昂を受け、奴は暫し呆然。そうして十数秒後、如何にも慣れない風に小さく頭を下げた。何だ、根は素直じゃないか。
「済まん……ランファ、と言ったか。君の言い分も尤もだ」
側頭部を押さえ、守るように鋼の肉体を縮める。
「こうやって真正面から叱られたのは、本当に久方振りだ。実の両親は元より……大抵の人間は恐れ慄くか、若しくは道具としてしか私を見なかった」
「そんな……ここは安全ですよ、コンラッドさん。私もメアリー様も、あなたを閉じ込めたりなんてしません」
宣言者は緊張で強張り切った肩へ手を置き、共感から目を伏せる。
「そもそもお前、武芸をやってるだろ。本気で暴れられたら、か弱い女二人と赤ん坊じゃ阻止しようが無いぞ」
「よく分かっ……ああ、殺気か。済まない、悪い癖なんだ。興奮するとつい出てしまって、そのせいでこれまでの職場も……」
弁解しつつ、ちゃっかり己が手をメイドのそれに重ねる。かなり分厚い掌だ。生憎獲物までは推測出来ないが、長年修練を積んでいるよう……ふむ、
「こんなのは私の柄じゃないんだが、コンラッド」
「何だ?」
再び娘のオムツ確認をしてから、神妙に口を開く。
「―――世界が『金』を愛するならば、私達は奴等より強く『黄金より気高いお前』を愛し慈むと誓おう」
右腕を差し出す。
「キューの治療には先立つ資金が必要だ。その無償の愛、“ゴールデン・アガペー”を、どうか私達に貸し与えてはくれないか?」
「は……監禁、ではなく……?」
信じ難いと言いたげに目を見開き、静かに唇を戦慄かせる。
「当たり前だ。私達は今日付けで家族になるんだからな―――何だ、不服か?なら私のスポンサーになっておくれよ。つるっぱげで厳つい金の雄鶏殿」
鳩が豆鉄砲喰らったような顔で、たっぷり一分間固まった後。奴は見事に予想通りの行動に出る。立ち上がり、固く握手を交わす腕越しに、有能なメイドが用済みの車椅子を片付けに行くのが見えた。