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「だーだー」「おおよちよち。キューちゃん、今度はおしめかなー?」
抱っこ紐で負う娘のオムツに触れ、空なのを確認。母乳はつい三十分前に飲んだばかり。どうやら遊びが御所望らしい。
さわさわさわ。早速首筋から胸、腹にかけてくすぐり攻撃を開始する。
「ほーれほれ」
「きゃっ、きゃっ!」
喜ぶ赤子を胸の前で抱え、階段を昇って二階のキッチンへ。メイドが外出中のため、二人きりでの休憩タイムだ。一刻も早く研究を進めたいのは山々だが、生憎まだ昼食のスコーンに手を付けていない。バレたが最後、こっ酷く怒られるのは火を見るより明らかだ。
蒸気を噴き出す薬缶に手を伸ばしかけたキューを嗜め、コーヒーを淹れてダイニングへ移動する。
「うぅ」
「一口飲んでみるかい?」
興味を示す娘に一匙掬い、冷ましてからぷっくりした唇の中へ押し込む。
「げぅ」
ふむ、顔を顰めるも嘔吐は無しか。飽きもせず研究風景を覗く様と言い、つくづく将来有望な娘っ子だ。
離乳食代わりにスコーンを細かく千切り、彼女に分け与える。満腹になったのを確認して残りを平らげ、ランチ終了だ。食後の運動には到底物足りない歩数で仕事場へ舞い戻り、顕微鏡との蜜月を再開する。
(にしても、これだけ超強力な抗生物質や毒薬でさえ無効化だと……?突然変異にしても宇宙最強過ぎるだろ、このウイルス)
今まで使用した試薬の中には、ほんの一滴で軽く数十人を殺害可能な毒物も存在する。と言うか、現在進行形でシャーレに垂らす緑の液体が正にそれなのだが。
(……チッ、失敗か)
愛娘の“スカーレット”ベータ型は、赤子の手を捻るが如く劇薬を包み込み、ほんの数十秒で分解、無毒化してしまった。おまけに一回りの成長さえ見せ、元気にうごうご蠢いている。
(毒を以って毒を制す、とは言うが……)
自分のアルファ型だけに関して言えば、既に治療方法は判明していた。
出産後間も無い頃、実験中に偶然二種類の“赤”が混ざった。そうした所、まずベータ型がアルファ型を残らず喰い尽くし、両者共真水に変化したのだ。
但し世紀の大発見も、数分も経たず糠喜びと思い知る羽目になる。この結果が多量のアルファ型に対し、少量ベータ型を投与した場合にのみ適用されると証明されたからだ。そして導き出された結論は、
(こんな化物みてえな細菌でも、力関係はきっちり決まっている。そして現状……キューを治す“赤”は、この宇宙上に存在しない)
更に強毒性だけでなく、一度発症すれば吸血性の厄介な発作まで発現する。ただそこまで症状が進行した場合、どう言う訳か人間離れした治癒力と成長(或いは老化)停止のおまけが付く。お陰で検証事項が数倍に増え、嬉しいやら何とやらだ。
(愛娘が難病だってのに、親だけ先に助かるなんざ無しだよな)
確かに発作は一度始まれば鎮痛剤も効かず、肉体的にかなりの苦痛を伴う。駆け寄ろうとしたメイドを、一度ならず傷付けかけた経歴もある。だがそれでも、背負う子の将来を考えれば幾らでも我慢が利いた。
「ままー?」
「やれやれ。一生幽閉の身かもしれないってのに、つくづく暢気な奴だな」
ぷにぷに。きゃっきゃっ。肩越しにほっぺたを突き回し、有り余る娘の体力消耗作戦を開始。
ようやく目がトロンとしかけた時、ドアの向こうからチン。室外の貨物用エレベーター、そのドアが開く音だ。続いて、ガラガラガラ……回転音と、聞き慣れない男の怒鳴り声。そこに被せるように、ランファの嗜めが聞こえてきた。