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二ヵ月後、よく晴れた午後二時。店の入口に臨時休業の札を提げ、私は颯爽とワゴンに飛び乗った。
―――相談ついでに出前頼む。いつものな。
(わざわざ呼び出す程の相談……もしかして、ヘイレンさんの件が警察に勘付かれたとか……?)
DXデミグラスセット入り二段バスケットを助手席に置きつつ、一路郊外へ。窓を開ければぽかぽか陽気が入り込む、素晴らしいドライブ日和だ。
画家の行方不明は当初数人の常連客に怪しまれたものの、心配の声は一週間と経たず止んだ。元々数ヶ月の御無沙汰もある彼だ。まさかこの世から永遠にいなくなってしまった、とは考えもしないだろう。
一方、彼の恋人はと言えば事件以来、パッタリと店に来なくなった。採取したサンプルの研究が忙しいのか、或いは……不可抗力とは言え、彼を死なせた場所に足を踏み入れたくないのか。電話にも出ず、別荘の正門も閉ざしたまま。正直先程の連絡があるまで、内心自死の不安を募らせていた所だ。
鍵の開いた門の手前で車を停め、バスケットを掴んで降りる。二ヶ月分雑草の増した庭を横切る途中でガラガラッ!勢い良く二階の窓が開け放たれた。
「おう、丁度コーヒーを淹れた所だ!冷めない内に早く上がって来い」
「はいはい」
苦笑して玄関を抜け、多少迷いながら二階へ。香りに導かれ入った食堂は広い上、田舎の一別荘とは思えない程豪華な装飾が施されていた。中央を占拠するのは、これまた立派な長テーブル。純白のクロスが掛かっていないのが非常に惜しい。
「御注文ありがとうございます。二ヶ月振りですね、メアリーさん」
窓際のカフェテーブルに着く女主人は、久方振りの匂いに引き付けられたらしい。そうだな、目を爛々とさせ、性急な仕草で立ち上がる。
「で、相談って?」
「食いながらで構わないか。昨日の昼から水以外、胃に何も入れてなくてな」
やれやれ、と顎を心持ち上げる。
「『これから』は精々気を付けんといかんな。嫌でも気付くよう、目覚まし時計でも仕掛けとくかね」
「?取り敢えず並べますね」
バスケットを開き、蓋付きの料理皿を取り出す。次にロールパンの紙袋、最後に食器セットをテーブルへ配置した。
支度を終え、ようやくコーヒーを啜る。カフェインでランチタイムの疲労を和らげ、茶請けのクッキーで糖分を補給。
「にしても、電話すら出ないなんて酷いです。ずっと心配していたんですからね」
皿まで貪りかねない大食振りに苦笑いしつつ、苦言を挺す。
「ああ、わふぃい(悪い)」ごっくん。「誰かが鳴らしているのは知ってたが、研究室に缶詰で取れんかった」
三分で主前菜を平らげ、続いてパンに取り掛かる研究者。そちらも空恐ろしいスピードで胃に収める。
「そんな事だろうと思いました。で、今日は本当に何の御相談ですか?」
返却された紙袋を丁寧に折り畳み、本題に入る。
「新メニューに関する御意見なら」「妊娠した」「へえ、ニシンなんて変わった食材―――ぇぇえええっっっっ!!!??」
驚愕で仰け反る私に、友人はしてやったりとニヤニヤ。
「あ、相手は誰ですか!?まさか……!!?」
思い至った瞬間、両掌にあの夜の冷たい感触が蘇る。堪え切れず、慌てて自分の両掌を擦り合せた。
「私が二重人格でもない限りはな。今朝、何時に無い吐き気を覚えたんで一応検査したら、見事にビンゴだった」
まだ物足りないのか、皿に残るクッキーをバリバリ。成程、この異常な食欲は妊娠のせい……な訳が無い、至って平常運転。何せ恋人と二人、残飯処理と称して一度閉店後に押し掛けて来た位だ。
「ヘイレンの遺児だ。出来れば私は産んでやりたい。でだ、ランファ。お前には是非とも助産師を務めて欲しいんだが」
「……はい?」
耳を疑う一般人に、元医師は大真面目に続ける。
「紹介状は帰り際に渡す。先方へも既に連絡済みだ。早速週明けから勉強に行ってくれ。頼んだぞ」
(ああ、もう!何て自分勝手な人なんですか!?)
こちらは医大どころか、看護学校さえ出ていないずぶの素人。そんな人間に産婆を頼むなど、狂気の沙汰としか思えない。
最早呆れを通り越し、ある種の愉悦さえ感じてしまう。どうやら気付かぬ内に、こちらまで変人に作り替えられていたらしかった。
「……分かりました。その代わり、数年来の店を畳むんです。一生面倒見て下さいよね、メアリー『様』?」「おうよ」
そして、運命の八ヵ月後。無事キュクロス・レイテッドお嬢様は誕生した。メアリー様より一段階進化した殺人ウイルス、“スカーレット・ロンド(赤の輪舞)”ベータ型と共に……。