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しかし、喜ぶべきか悲しむべきか。期待は見事に裏切られ、ピカピカとまではいかないが、玄関も廊下も普通に掃除されていた。
「何だ、その如何にもガッカリした面は。ははぁ、ズボラな私の事だから、どーせ埃塗れだと思ったんだろう?はっはっは、残念だったな」
ビニール越しに彼氏の肩を抱え、薄い胸を突き出して威張る。
「見ての通りクソ広い家だが、これでも使う部屋だけは週一で綺麗にしているのだよワトソン君!」
「な、何ですってホームズ!と言うかそれって、結局未使用の場所は放置だと自白しているじゃないですか!?」
そうやって遺体を聴衆に漫才を繰り広げつつ廊下の奥、地下への階段を降りる。
又も扉を蹴り開け(日常茶飯事らしく、ドアは明らかに凹んでいた)、勝手知ったる様子で電灯を点け、メアリーはズンズン室内へ進む。
半数以上用途不明の器具が乗せられた金属製ワゴンに、パッと見百以上の瓶が並ぶ薬品棚。右手の書き物机と言い、奥に鎮座した巨大冷蔵庫さえ無ければ病院の診察室そっくりだ。
「ふぅ、疲れたー。細いとは言え野郎、意外と重かったな」
「そうですね」
ドサッ、ビニールシートを部屋の中央へ下ろす。軽く腕を振って乳酸を飛ばし、早速Drはワゴンを引き寄せた。
「さてと、処分前に病原サンプルを取っとかないとな。ランファ、棚から消毒薬とシャーレを取り敢えず二十。手前の方だ」
「はい」
指示通り茶色の瓶と硝子容器を取り出す。振り返ると既に研究者は手袋とマスク、手術着まで着用済みだ。道具を受け取ると手早くシャーレの消毒を行い、シートを密封するロープを解いた。
(凄い……)
一分の躊躇いも無くメスが閃き、腸が顕わにされる。臓器にも件の発疹はしっかり散っていて、普段肉塊を見慣れた私でさえ気持ち悪くなる程だった。
「チッ、骨にまで達してやがる。こんな症例、聞いた事が無いぞ」
部位毎にカメラで写真を取り、電動小型鋸で肋骨を取り外しながら淡々と呟く。
最初のシャーレはすぐに一杯となり、私は冷蔵庫と棚を何度も往復する羽目になった。皮膚や毛髪、内臓や脳片まで並んだ様は圧巻だ。
指示通り部位を書いたシールをサンプルに張り終える頃には、彼女の後始末も済んでいた。縫合した恋人の腹部に汚れた手術着を被せ、再度シートで厳重に包む。
「初めてにしちゃ手際が良いじゃないか。何時でも私の助手にしてやるぞ」
冷蔵庫を覗き、仕事振りを確認した家主に褒められた。
「生憎給料は弾めないがな。まぁいい、奥に運ぶからまた手伝ってくれ」
三度蹴破った先は二畳程。こちらは奥に幅三メートル、高さ一メートルの如何にも重厚そうな鉄箱が設置されていた。他にはメモ用紙一つ落ちていない、非常に簡素な部屋だ。
「今度は何の調査ですか?」
画家を箱のすぐ手前で下ろし、痛む手首を振りながら尋ねる。
「サンプルは充分だ。こいつを処分する、この中の硫酸でな」
「へ?」
「よっと」
ガコン!勢い良く開放された箱は深く、底の方に液体が溜まっているのが辛うじて確認出来た。
「そろっと降ろすぞ。飛沫が掛かったら一大事だ」
ほらよ。何時の間に準備したのか、溶接用フェイスガードを手渡しながら忠告。
「ま、埋葬なさらないんですか……?」
装着しつつ一応尋ねると、ああ、メアリーはゴーグル越しにキッパリ首を横に振った。
「まだどの程度感染力があるかも分からないからな。それにうちの庭には、しょっちゅう鼠や鳥が来やがる。奴等を媒介に広がるのは拙い」
至極冷静な判断。感情に振り回される私には、とても真似出来そうに無い。そう内省していると友人は眉を上げ、皮肉気に笑った。
「冷酷な女だろう?いや、答えは要らんさ。自分でも頭がおかしいのは重々承知している」
「そんな!?それは、メアリーさんはぱっと見変ですけど、とても優しい人ですよ!!ヘイレンさんだって、あなたのそんな所に惹かれて……」
「ああ……そうだな。こんな事になるなら、もっとこいつの絵を買ってやるんだった」
苦い舌打ち。
「済まない、ヘイレン。せめて綺麗サッパリ葬ってやるからな」
そう宣言されては、二人の共通の友人である私も協力しない訳にはいかない。
ボチャン!ブクブクブク……。「じゃあな」「ヘイレンさん、どうか安らかに眠って下さい……」
私は両手を組み、閉じた箱の前で心から冥福を祈った。




