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バタン。「ああ、やっと解放されたー!」玄関ドアが閉まった途端、少年はそう叫んで大きく伸びをした。
「全く、あの婆さんときたら四六時中坊や坊やって、鬱陶しいったら無いよ」
「!?き、君は……矢張り、彼女の孫ではないのか」
「当たり前だよ」自身の顔を指差し、「一個も似てる所無いじゃん。僕は単なる居候だよ。凡そ無害な、ね」
こっちこっち、手招かれるままキッチンへ通される。
奥の調理スペースへと赴いた彼は、慣れた様子でオーブンを開く。皿にまだ熱いクッキーを山と積んで両手に抱え、ドンッ!ダイニングのテーブルの上へ乗せた。
「さ、好きなだけ食べて。何ならお土産に持って帰っていいよ、袋なら沢山あるし」
「それは嬉しいが、構わないのかい?」
どう見ても軽く十人分はある焼き菓子を指差す。
「これは君のおやつだろうに」
「ああ、食べ飽きてるから別にいいよ。それに幾ら『掛け直しても』あの婆さん、以前の癖でいつもオーブン一杯焼くんだ。いい加減にして欲しいよね」
心底辟易した表情を浮かべ、再度キッチンへ。戻って来た小さな掌には、ピンクのハート柄のラッピング袋が掴まれていた。恐らくは孤児達の土産用に用意された物だろう。
ザラザラ、ザラザラ……。「ところで、先程の発言はどう言う意味かね。それに、以前私やランファを見たとは一体……」
この街へは今日初めて足を踏み入れた。主に忠実なメイドに至っては、訪れた事も無い筈。
「だって孤児界では有名人だよ、おじさん。ま、そう御大層なコミュニティでもないけどね。はい」
蝶々結びのリボンで封をした袋を差し出す。はち切れそうな位満杯だが、まだ皿には三分の一程度残っている。確かに彼の言う通り、二人分には多過ぎる量だ。
「ちょっと血をあげただけでお菓子や玩具をくれる、如何にも人の良さそうな金持ちだって―――では噂になってたよ。覚えてる?」
彼が名を挙げた街は、養子捜索を依頼されてすぐの頃。半年前に訪れた鉱山都市の物だ。だが幾ら脳内を探っても、少年に会った記憶は欠片も無かった。
「ああ、勿論僕は採血なんてしてないよ。孤児院の外に住んでいたからね」
ニッコリ。
「だけどお姉さんの時は大人相手だったのに、どうして子供に鞍替えしたの?」
「ま、待ってくれ!?ランファがキャリアを捜していたのは」
キューがまだ乳飲み子だった時分、凡そ六、七年前だ。しかし眼前の彼はどう年上に見積もっても、
「あー……言いたい事は分かったけど、あんまり詮索しないでくれる?とにかく僕は昔そのランファさんを目撃してて、おじさんの仲間って事も知ってた。―――え、何でかって?普通気付くでしょ。タダで他人の病気を調べるなんて奇特な人間が、僅か数年で二人も現れたら」
えへへ、得意げに笑う。
「成程……一応注意していたつもりだが、まさか君みたいな子にバレてしまうとはね」
羞恥心から頭を掻き、皿のクッキーを一口。温かみの残る菓子はまだ若干柔らかいが、何処か懐かしい味わいだ。これなら『ホーム』の家族達も喜んで食べてくれるだろう。
「キャリア、ね……ふーん。じゃあ僕のこの力も、ひょっとしてウイルスのせいだったり?」
「ああ、元々その話を聞きに来たんだ。お婆さんや近所の人は君をこの家の子だと思い込んでいるようだけど、一体どんな手を使ったのだい?」
印象としては催眠術に近いようだが、幾ら何でも出会う全員に掛けて回るなど不可能に近い。まして内容は複雑で、一人一時間としても到底、
「あ、興味ある?じゃあ実際に見せてあげるよ。おじさん、本当に馬鹿が付く程の善人みたいだし」
褒められているのか貶されているのか不明だが、取り敢えず頷いてみせた。所詮は暗示だ。流石に命まで取られはしないだろう。
てっきり振り子等を使うかと思いきや、ジョシュアはただ両目を大きく見開いただけだ。くるくるとした黒の瞳がキラッ、不意に怪しげな紫の光を帯びた。




