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幸い、目的の少女はすぐに見つかった。ただ、原因は私の運の良さではない。森に足を踏み入れた瞬間から導いてくれた者達のお陰だ。
(ああ、これは当たりだな)
サァー……指し示すが如く森の奥、一定方向にそよぐ名も知らぬ雑草達。彼等をなるべく踏まぬよう、招待に応じるまま歩を進める事約五分。女性の忠告通り、私はなるべくソフトに第一声を発した。
「こんにちは、木咲 桜さん」「あ、はい……こんにちは、小父様」
長いエメラルド色の髪と目の少女は、両手をスカートの前で合わせ、丁寧に挨拶。優雅且つ礼儀正しい仕草は、過去にきちんとした家庭教育を受けた証だ。
「お友達の案内のお陰で、ここまで迷わずに来られたよ。君が頼んでくれたのかい?」
無用な警戒心を煽らぬよう、屈んで目線を合わせながら尋ねる。すると彼女は気恥ずかしげに顔を背け、助けを請うように隣で咲く蒲公英へと視線を落とした。
「い、いいえ……玄関の花達が知らせてくれたんです。私に用のあるお客さんが来ているって……でも、あの」もじもじ。「やっぱり気味が悪い、ですよね……?ごめんなさい。二度としないように注意しておきますから、孤児院の職員さん達には言わないで下さい」
排斥の恐怖に震え上がる緑の瞳を見つめ返し、私はニッコリと微笑んだ。
「当たり前だよ。桜の大切な秘密なのだからね。では、お返しに」
革鞄から裁縫用の糸切り鋏を取り出し、前髪を数本掴む。そして、
ジャキッ!「ほら、これでおあいこだ」「えっ!?」
掌に乗った純金の糸をまじまじと観察し、不可思議現象に固まる少女。証拠を素早く息で吹き飛ばし、残骸も手を叩いて払い落とす。
「い、今のは……もしかして手品、ですか??」
「いいや。生まれた時から私の血液に棲み付く、とある特殊ウイルスの仕業さ。そして君が植物達と心を通わせられるのも、恐らくは」
「ウイルスって、インフルエンザとか?」
ふるふる。
「そう、なんですか……?でも、お父さんもお母さんも普通で」
「大丈夫、私の家もそうだったよ。何時何処で感染したかは不明だが、物心付いた頃には私だけがこの難儀な体質になっていた」
「!?そんな、酷い……」
桜は痛ましげに私を上から下まで見、心底辛そうに呻く。まるで我が事のように感じている彼女の頭を撫でると、清涼な若葉の香りがした。
「ありがとう、桜は優しい子だね。だけど私の事はいいんだよ」
鼠のように闇の中を逃げ隠れ、社会の片隅で震えながら眠っていた生活は最早過去。今の私は守るべき場所が、メアリー達の待つ『ホーム』がある。そして願わくば、この繊細過ぎる少女にとっても大切な我が家となれば良いのだが。
「取り敢えずは採血させてくれないかい?持ち帰って、本当に君がキャリアかどうか調べてくる」
「あ、はい」
素直にシャツの袖を捲り、蝋人形のような細腕を露にする。
「小父様はお医者さんなんですか?」
「いや、医師は私の主人のメアリーだ。彼女と、彼女の一人娘は酷く難しい病でね。その治療のために、こうして稀少ウイルスを捜している最中なんだ」
「病気を、治すため?あの、でも普通はお薬とか……そうですか、効果が……分かりました。私ので良ければ持って行って下さい」
「感謝するよ」
採血道具と一緒に、パンフレット代わりに持参した『ホーム』のアルバムを取り出す。ページを開き差し出すと、綺麗、すぐにメイド自慢の花壇を気に入ってくれた。
(仮令陰性でも、出来る事ならこの子は引き取りたいな……)
すれた孤児達の中にあっても、桜は他者を思いやる優しさを持ち続けている。このまま追い出された挙句、精神病院行きは余りに残酷だ。
「チクッとするよ。少しだけ我慢しておくれ」
「はい。あの、この女の子が病気なんですか?」
集合写真の中央。母親と同じプラチナヘアを左手で掻き上げた少女を指差す。
「ああ、母子感染でね。そのせいでキューは未だに『ホーム』を出た事が無いんだ」
柔肌へ注意深く注射針を刺しながら説明する。
「そんな……だってこの子、私と似た年ですよね。なのに……」
俯き、うっすら涙ぐむ桜。
「それは、外の世界だって心無い人は多いし、辛い事の方がずっと多いけれど……出たいとは言わないんですか、彼女」
「母親の苦労を間近で見ているからね、今はまだ。でも好奇心旺盛なキューの事だ、時間の問題だろう」
「ですよね……私が代わってあげられたらいいのに……」
二重の袋へ注射器を仕舞い終わり、その手で以って愛おしさから彼女の腕を撫でる。
「ねえ、桜。まだ確約は出来ないが、もし君に『ホーム』へ来てもらえる事になったら―――彼女の友達になってはくれないかな?」「えっ!?」
異能のせいばかりではない。到底初対面とは思えず、一層の親愛を籠めて言葉を続ける。
「尤も、男の子顔負けに元気溌溂な子だから、最初は吃驚するかもしれないがね。先程話した事情故、恐らく外の事も色々と質問されるだろうが」
「い、いえ……口下手な私で良ければ、喜んで……」
脱脂綿越しに注射跡を押さえつつ、健気に頷く。
「君に会えて、今日は本当にラッキーだったよ。では吉報を待っていてくれ。少なくとも、この孤児院よりはずっと居心地の良い所だ」
「はい……あ、あの」
「ん?」
後ろ手をもじもじ。臆病な彼女は暫し悩んでいたが、勇気を出して口を開く。
「さっきからずっと、訊かなきゃとは思っていたんですけど……優しくて素敵な小父様、お名前は何と言うのですか?」「えっ……あ、ああ!はははっ!済まない、これはうっかりしていた!!」
私の大笑いに、一瞬キョトンとする桜。しかし、程無く釣られて愛らしく噴き出した。




