美也子
「何よもう」
私はぶつくさ文句を言いながら、自転車で家路へと向かっていた。
お母さんには友達の家に泊まるなんて言ったが、半分は嘘だ。本当は最近付き合っている彼氏の鳴海君の家に泊まる予定だったのだ。
『今日親いないんだ。俺ん家で映画でも借りてお泊り会でもしようぜ』
下心見え見え。でも悪い気はしてなかった。付き合って三か月。そろそろそのステージに進んでもいいかなとは思っていたし、私自身彼がそれを望んでくれている事を嬉しくも思っていた。だからこそ下着もここ一番の可愛くてでもちょっとセクシーなものを身に着けた。
なのに――。
「うわっ! 嘘だろ!」
外で晩御飯を食べて、鳴海君の部屋でくつろごうとした矢先、鳴海君は携帯を見て悲鳴を上げた。
「どしたの?」
「最悪。親帰ってくるって」
「え、マジ?」
鳴海君は心底がっかりという顔だった。そんなにやりたかったのかと少し軽蔑しそうになるが、残念なのは私も同じ気持ちではあった。
ごめんな、と謝る鳴海君に素っ気なく返事をして私は自転車を走らせた。
鳴海君が別に悪いわけじゃないのは分かってるけど、それでも不機嫌な私の感情をぶつける先は鳴海君しかいなかった。
そんなこんなで予定が帳消しになって私は家に戻るしかなくなってしまった。
「うわっ!」
いくつもの溜息をつきながら家に戻る途中、物凄い勢いで走る自転車とすれ違った。あまりの速度に思わず驚きの声が漏れた。男のような気がしたが、よくは分からなかった。
程なくして、家に着き玄関に手をかけた。
「ただいまー」
がららと扉を開けた瞬間に、ただならぬ違和感を感じた。
何故かは分からない。一つ言えるなら、それは空気だった。
家には今お母さんが一人のはずだった。お父さんは出張に出る事も多いから家にいない事もたまにあったが、それも日常の範疇だ。でも、今日は何かが違う。
「お母さん?」
声は返ってこなかった。
頭の中でサイレンのような警告音が鳴り始めていた。何に対しての警告なのか分からない。何に気を付けるべきかも分からない。でも音は鳴り続けていた。
リビングには、机の上にコップとスマホだけが置かれ、母の痕跡はあったが肝心の母はそこにいなかった。
ふと、隣の風呂場に電気がついている事に気が付いた。時刻は十時を回っている。お風呂に入っていてもおかしくはない。なるほどそういう事か。そう思うと少し不安は和らいだ。だが少しだけだった。それを安心に変えたくて、私は風呂場の奥へと進む。
部屋は入って正面に洗面台があり、右手側に扉一枚挟んで風呂場となっている。
風呂場には電気が灯っていた。
「お母さん」
試しにもう一度呼びかけてみる。
しかし、返事はなかった。和らぎかけた不安が一気に膨らんだ。
「お母さん」
呼びかけながら、私は風呂場の扉に手をかけた。




