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彩也子(3)

 ――どうなってるのよ。


 私はパニックを引き起こしそうだった。和室で聞こえた物音。しかし来てみればそこには誰もいない。そうかと思えば、今度はリビングの方からだ。



 がたん! ばたん!


 

 しかも今度は、断続的に音が響いている。

 不確定なものに怯えていたものは、今はっきりとした恐怖に変わっている。

 

 何かがいる。確実に。


 こんな事今までこの家で起きた事はなかった。

夫と決めた一軒家。この場所にそういった曰くのある場所が近くにあったりという事もない。そんなものがあれば、私はここに家に住む事を反対していたはずだ。


 誰もいないのに、誰かがいる。

 じゃあ今のこの状況はなんだ。


“……ン……レ”


 まただ。私が怯えている事をおもしろがるようにまた声が聞こえた。

 低い男のような声だ。


「……いや、いや……」



 がた、ばしゃ、ごん。



 その間も奥で音は鳴り続けている。

 途中、水音が弾けるような音が聞こえた。


 ――風呂場?


 恐怖が急激に増幅される。

 先程まで私は風呂場に隣接しているリビングにいた。という事は、私が寝ている隙に誰かが既に風呂場へ入り込んでいた。

 

 今この家で何が起きているんだ。

 この家にいる存在は、一体何なんだ。


 激しい物音が聞こえる風呂場へと私は近付いていく。

 今にも恐怖で膝から崩れ落ちそうだった。それでも私はそちらに近付いていく。その先にあるものは、おそらく近付いてはいけないもののはずだ。それなのに、人間は恐怖に相反するどころか、そこにわざわざ向き合おうとしている。全く理にかなっていない行動だ。だが、そうせずにはいられない。その先の恐怖が気のせいであり、安心に包まれたいが故か。


“……ン……ク”

 

 その間にもずっと聞こえ続けるあの声が聞こえていた。

 恐怖が頭の中で連鎖的に別物の恐怖を創り上げ、自分がいかに危険な状況にあるかを呼びかけているのだろうか。だとすればやはり私は足を止めるべきだろうか。

 なのに、私は既に風呂場とリビングの境目まで来てしまっている。

 ばしゃばしゃと激しい水音が奥から聞こえる。だが明らかにおかしい。家の風呂でそんなに暴れる事ももちろん、誰もいないはずの風呂場でそんな物音がしている事自体も。




『♪♪オフロガ、ワキマシタ♪♪』



 空気も読まずにまたアナウンスが部屋に流れる。

 だがこの時、ようやく私は違和感の正体に気付いた。

 日頃気にする事もなかった、というよりも、そんな事などなかったから気にも留めなかった。だが明らかにおかしい。

 

風呂場に設置されている湯沸しスイッチ。「自動」のスイッチを一つ押すだけで自動的に適切な温度と量の湯を用意してくれる。そして全ての用意が終わった瞬間、


『♪♪オフロガ、ワキマシタ♪♪』


 この音が鳴るのだ。

 つまりこの音は、普通なら一度しか鳴らないものなのだ。一晩で何度もこのスイッチを押す事はない。何度も何度もこのアナウンスが鳴っている事自体が、異常な事なのだ。

 気付いた瞬間全身を這いずり回るかのように嫌悪が肌を滑っていった。

 様々な異常。その答えはこの先にあるのだろうか。


 私は、意を決して風呂場に足を踏み入れた。


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