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忠(2)

「どうせ終わったような人生だ。なんでもしてやるよ」

「殺すついでに、何か欲しいものがあれば盗っていけばいい。それぐらいの事を頼んでいる訳だ」

「俺にとってはリスクの高い話だからな。そうさせてもらうよ」


 この男が動いた理由は金だけではなさそうだった。汚れた身なりと、擦れきった心。口にしはなかったが、この男は非常識な何かを抱えている。直感的にそれが分かった。そしてその非常識は、今回の事について必要になるものだった。


 暗がりの中、俺と名無しの男は不気味に笑った。




「すまんが、また出張だ」

「あら、そうなの。行ってらっしゃい。美也子もお泊りみたいだから、一人っきりね」


 どことなく彩也子の声は弾んでいるように聞こえた。弘明と会えるチャンスだわと言わんばかりに。

 しかし、その日は私にとってもチャンスだ。

 妻が死ぬには、この日しかないと。


 男に前金と共にこの日妻を殺すようにと言伝した。

 分かったと一言、何のプレッシャーも感じていないように名無しは首を縦に振った。むしろ新しいアトラクションを前にした無邪気な子供のような笑顔さえ見せた。



 私自身のアリバイは完璧だった。

 だが、当の殺人計画自体は確実性の低いものだった。

 結局は全てこの男に委ねられている。後はもう、あの男の好奇な目を信じるしかなかった。



 出張先のホテルで携帯が鳴った。

 画面に出ていたのが娘の名前である事を確認した瞬間、私は思わず拳を握りしめた。

 美也子は今日外泊のはずだ。そんな娘が急にこんな時間に連絡してきた。つまりはそういう事だ。


「どうした美也子」


 高まる鼓動を押さえながら、平静を装って私はなるだけ普通に電話に出た。

 電話の向こうの美也子は完全にパニック状態だった。

 私は良き父親である事を意識しながら、美也子の声に耳を傾けた。


「お母さんが! お母さんが!」

「落ち着け美也子! お母さんに何かあったのか!?」

「お母さんが、誰かに襲われて、今その、きゅ、救急車で、運ばれてて」

「お、襲われた?」

「なんとか、生きてるんだけど、意識が戻らなくて!」

「……え?」


 この時、私は完全に素に戻っていた。反応としては問題なかった。娘はきっと、妻の容態に絶句していると思っている事だろう。

 その通りだ。だが、その意味合いはまるで違う。


 ――生きているだと?


「とにかく、早く戻ってきて!」

「わ、分かった! なるだけすぐに戻る!」


 電話を切った瞬間、私は思わず拳を机に叩きつけた。

 あの男、しくじったのか。

 

 ともかく私は戻らねばならなかった。


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