09 比類なき王
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『女王』マハラ・マテルについて、巷間ではこう云われている。
今を遡ること二十八年前、賢王マハラ・ナギはその妃マハラ・ナミとの間に双子をもうけた。
ナギ王は大変喜んで、二人の御子を抱いて予言した。
曰く、先に産まれた御子は世に比類なき王となり、後に産まれた御子の血脈は後々も揺るぎなきものとなろう。
そして十四年後、その予言は誰にも予想しえない形で実現した――と。
件の比類なき王、マハラ・マテルは、いかにも能天気そうな間延びした口調で迎えにきたよーと言い、ユラが緊張感をみなぎらせた。
「女王……何を企んでいるんだい」
「企むなんて酷いわねぇ。あ、あなたが『お客様』ね。昨日お話を聞いてから早く会いたくて、来ちゃった」
景郎を見て、えへへと笑う。まるで惚れた男の住家に突然訪れた若い娘のような言い種だが、マテルは間違っても娘などではなく、歴とした龍の都の支配者、王である。
「あ、面倒くさい挨拶とかはお城に着いてからね」
何か言いかけた景郎を制して一方的に告げたマテルは、そこで両手に握りしめた焼き芋の存在を思い出したらしく、一口で残りを頬張り、……目を白黒させて胸を叩きだした。
水気のないものを無理に呑み込もうとしたため、のどに詰まらせたのだ。当然と言えば当然である。
「ああっ、お水、お水!」
さきほどの小太りの女性が慌てて水を飲ませ、優しく背中をさする。
それでやっと一息ついたらしいマテルが、涙目で礼を言った。
「ううっ、死ぬかと思った。おばちゃんありがとー」
「勘弁しとくれ。ウチの商品で女王様を死なせたりしたら、一家まとめて首をくくんなきゃいけなくなるよ」
どうやら女性はお付きの者でもなんでもなく、ただの焼き芋売りだったらしい。
「やぁだおばちゃん。大袈裟ねえ」
マテルはけらけらと笑った。黙ってじっとしていれば、絶世の、と言っても良い程に美しく気品がある容姿をしているのに、これならまだそこいらの商家の女の方が遥かに上品である。
ついでに一言加えると、常識的に考えるなら焼き芋売りの危惧は決して大袈裟ではない。
「それじゃ、もう行くわね。お芋、美味しかったよー」
「ああ、いつでもいらして下さいな。マテル様に美味しいって言ってもらって、ウチの自慢になるよぅ」
「うん、またねー。さあ、お家に帰ろう!」
初対面の景郎に、その王としての比類のなさっぷりをたっぷりと見せつけたマテルが愛想よく手を振って歩き出し、一行は仕方なくぞろぞろと後に続くのであった。
ユラが肩をすくめてマテルに並び、スサがモユルを挟んで景郎の反対側につく。
「お早うございます、モユル殿。昨晩はお休みになれましたか。少しお疲れのようですが」
スサが先程とはうって変わって、町の娘たちが大喜びしそうな極上の微笑でモユルに話しかけた。
モユルはそれだけで舞い上がってしまう。
「お、お早うございます。あの、スサ様の方は」
「モユル殿の顔を見て、一度に元気になりましたよ」
薄く頬を染めたモユルの横から、うわあ、と声がした。もちろん景郎である。スサがじろりと睨めつけた。
「あ、いや、ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど」
景郎が謝り、しばらくしてから躊躇いがちに言葉を続けた。
「ところで、あの、スサ様?」
スサが景郎を見もせずにこたえる。
「様も敬語もいらん。普通に話せ」
「だって王族なんでしょ」
「恐らくお前は客分扱いになる。礼を尽くされるとこちらも相応の対応をせねばならんようになるからな。それに、王族の肩書きは俺の性に合わん」
「合わんって……。まあ、分かったよ。で――聞きたいんだけど」、景郎が声をひそめた。「こっちの世界の王様ってのは、気軽に町に出て焼き芋食ったりするもんなの?」
景郎に悪意はないのだろうが、たちまちスサが渋面になった。
「アレは……陛下は、特殊なのだ。ここではずいぶん親しまれているがな、アレが他所で何と呼ばれているか教えてやろう。うつけの女王、だ」
さすがの景郎も絶句したが、スサは気にしたふうもなく続けた。
「だが一つ忠告してやろう。アレを侮ると痛い目にあうぞ」
「……なんかよく分からんが、ありがたく聞いておくよ」
「なに、気にするな」
ここでスサは皮肉げではあるが、初めて景郎にも笑顔を見せた。
「それでもどうせ碌なことにならんだろうから、それが見たいだけだ。龍戦士殿よ、俺はお前が嫌いだ」
「……。一瞬でも実はいいヤツかもって思って損した」
今度は景郎が渋面になる番だった。
やがて城内に到着した一行は、マテルによって野外教練場へ導かれた。かなりの範囲が方形の石で舗装されたそこは、周囲に大小の樽、丸太、板、砂利や砂、土などが山と積まれていた。これらの資材とあらかじめ刻まれたいくつかの術式によって、様々な環境での戦闘訓練を行うことができるようになっているのだ。
しかし今は全ての資材が取り除かれており、代わりに中央にただ一人の男が立っていた。
女王マハラ・マテルと瓜二つのその顔は――龍の都副王、マハラ・ヤトギである。
静かに立つヤトギの姿を認めたユラが、マテルを見た。
「女王、あんた……。いつもの悪ふざけか嫌がらせかと思ったら、本気だったのかい」
「え、なにが? だってヤトギ君がここに連れてこいって言うし、あたしも面白そうだと思ったんだもん。ヤトギ君、ただいまー。連れてきたよ」
マテルに何ら悪びれた様子もなく、小走りにヤトギの元へ駆け寄った。
ヤトギはマテルにお疲れ様ですと一礼してから、ユラに向き直った。
「思ったより遅かったですね、ユラ導師」
ヤトギは男性としてはいささか細く、女性的な容貌もあって優男の印象を受けるが、全てを見透すかのような眼光には為政者としての底知れぬ気迫があった。
「ああ、ちょいと龍脈を調べるために寄り道してたからね。あんたたちがこんな早くから待ち受けてると知ってたら、徹夜でもしてたんだがね」
「その報告は後で聞きましょう。まずは『お客様』の紹介をしていただきたい」
ヤトギはユラの嫌味をものともせず景郎へ視線を移し、その景郎が一歩前に出ようとしたところで、
「確か……おっぱい魔王殿でしたか」
真顔で言い放った。
景郎の足元がわずかに滑り、スサが隣のモユルだけに聞こえるように、わざと言いましたねと囁いた。
景郎は「不意討ちだな……」と口のなかで呟いたものの、すぐに気をとりなおして右手を背中に、左手を胸に当てて軽く腰を折った。
「こちらの世界の作法は知りませんもので、非礼はお許し下さい。大庭……いえ、カゲローと申します」
何かを警戒したらしく、慎重に名乗る。
「おや、龍戦士とは仰らないのですか」
ヤトギが面白がるように問うた。
「自分で名乗ったわけではありませんので。もちろん、おっぱい魔王とも」
景郎の後ろでモユルが赤くなった。理由は、推して知るべしである。
「なるほど、ではカゲロー殿とお呼びしましょう。私は双子の弟で副王のマハラ・ヤトギです。こちらは女王のマハラ・マテル。いやはや、スサの報告を受けたときは半信半疑でしたが、確かに人とは思えぬ気配ですね。まるで……神か魔のような」
「こちらの世界の神や魔がどういった存在なのか分かりませんが……私は、人間ですよ」
景郎はまっすぐにヤトギを見つめて答えた。
「ではスサと互角に渡り合ったと聞きましたが、それはチューニングとやらで?」
「今回の件は私にとっても不測の事態だったので、恥ずかしながら未だ己の得た能力を把握できておりませんが、恐らくは。スサ様にはかなり手加減をしていただいたようですが」
ヤトギが肩をすくめた。
「これはずいぶんと手慣れたお答えだ。もしや以前にもこのような経験がおありですかな」
「いえ。ただ、あちらでは異世界へ渡った後に帰還した者の話は数多くありますので」
景郎の言葉は淀みなく、嘘をついているようには見えない。しかし当然ながらそれは真実を語っていることの証しにはならず、とても素直に納得できる内容ではなかった。
「ほう、異なる世界を渡る術を持つとは――」
「ねえ、ヤトギ君。お話はまだ続くの?」
さらなる追及を阻止したのは、意外にもマテルだった。
「難しい話は後でもいいんじゃない?」
ユラは内心、助かったと思った。
やはりヤトギは景郎に不信感を抱いている。最悪の場合、殺そうとするだろう。そうなれば景郎出現の場にいたモユルもただではすむまい。それを回避するには、まず景郎が本当に異世界からの来訪者であり、なおかつ都に仇なす者ではないことを証明しなければならない。
「そうだよ。景郎についても後で報告するから、あんたたちにはおとなしく待っていてほしいんだがね」
「うーん、そうじゃなくってぇ。カゲローちゃんにお願いがあるんだ」
マテルは邪気のない顔で嬉しそうに言った。
「カゲローちゃん、戦ってみてよ。スサちゃんと」