03 チューニング能力
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俺はと言ったきり、ふいに真顔になったまま、景郎が沈黙した。
一時は固唾を飲んで続く言葉を待ったモユルであったが、溜めというにはあまりに長い沈黙に、だんだん不安になってきた。
この表情はもしかすると、必死に何かを考えているのではないだろうか。
何か、とはつまりユラが要求した英雄的な人格の演技であるが、思考停止しているようにも見えなくもなく──いやそれ以前に、景郎のこの表情には見覚えがある。
それは景郎がこの八角堂に出現した時だ。
嫌な予感がする。元はといえば、あの時ろくでもないことを景郎が口走ったせいでこの騒ぎになっているのだ。
もっと元をたどれば自分が儀式に失敗したことが発端であるし、必要以上に騒いでしまったせいで事態をさらにややこしくしてしまったのだが、うら若き乙女が突然現れた男に胸を凝視されながらおっぱいなどと宣われて、それでも冷静でいることは難しいのではないかと思う。
「どうした、お前はなんなのだ」
スサが苛立たしげに先を促した。
「おれは──俺は」
景郎の瞳に光が戻った。やけくそになったようにも見えるが気のせいだ、とモユルは思い込むことにした。
「俺は、中二病だ!」
「……………」
「……………」
再び沈黙に包まれる八角堂。
中二病という言葉の響きにただならぬ気配を感じたのか、スサが何故か遠慮がちに、景郎ではなくユラに問いかけた。
「……義母上殿。チューニビョーとは、なんですか?」
「あたしに聞かないでおくれ」
ユラはスサやモユルの予想をも軽く凌駕するほどの知識を持っているが、さすがにこの言葉は知らないらしい。
「ならば教えてやろう」
景郎がニヤリと笑った。
「俺の世界では、十四才前後の歳になるとある種の能力に目覚めてしまう者が少なからず存在する。具体的には、圧倒的な力を秘めた意志が左腕に宿ったり、学校を占拠したテロリストに一人で立ち向かえたり、出会った異性全てに好かれたり、自分の前世がシリウスの光の戦士だったことを思い出したり、宇宙人と交信したり、超能力や霊能力に目覚めたり異世界に旅立ったりと多岐にわたるが、これは根本的にはそういった存在や能力の持つ波動に同調する能力を持っているからだ」
一気にまくし立てる。意味の分からない単語が散見しているが、それを質問する余地を与える気はないようだ。
「この同調能力をチューニングという。そしてこのチューニング能力は殆どの場合、数年で失われるが、能力を失った者や元から持てなかった者が能力者を揶揄したものが一般化した言葉が、チューニ病だ!」
言葉の意味はよく分からないが、とにかくすごい自信である。
「要するに術者なのか。しかしその力は数年で失われると言っていたが、お前はまだ能力を維持しているのか? 見たところそこまで若くはなさそうだが」
スサが喰いついた。喰いついてしまった。
モユルは複雑な心境でスサの横顔を眺めた。憧れのスサが、こんな変態男の語る出任せを真に受ける様を見るのは何とも心苦しい。大体スサは根が真面目すぎるのだ。
かといって嘘だと言うわけにもいかない。これはユラの指示でもあるからである。
スサの反応に気をよくしてか、景郎は「当然だろうが」と小馬鹿にしたように鼻で笑った。調子に乗っている。
腹が立つ。やっぱりバラしてやろうか。
「さっき俺は殆どの場合と言った。つまり中には非常に長期間、人によっては一生チューニ病である例もあるということだ。お前は知らないだろうが、こちらの世界での有名どころで言えばミステル・ヤオなどがそれに当たるが、彼などは恐らく自覚的にチューニ病を維持している。そして!」
ここでモユルは気がついた。今の間の取り方、そしてこの饒舌。景郎は、考えながら喋っている。
「かくいうこの俺も意識的、自覚的なチューニ病だ。今夜の場合は、俺は別のものにチューニングしていたのだが、そちらの……モユルさんだったか。モユルさんの願いに呼応する形でこの世界の龍戦士とやらにチューニングしてしまったようだな」
必死である。しかし景郎は過ちを犯した。龍戦士などというモノはユラの思いつきであり、この都にそんなモノの伝承などない。そして当然、次になされる質問は一つである。
「それで、お前はそのチューニングとやらで何ができるというのだ、龍戦士殿」
「少なくともタマヒや術式法陣は視えているようだがねえ」
景郎が返答に窮する前に、ユラが助け船を出した。早い段階でこの展開を読んでいたらしい。あるいは龍戦士などという与太を切り出した時点で、既に用意していた台詞かも知れない。
「それと、泉の中でのモユルとの追いかけっこといいあんたの斬撃をかわしたことといい、ちょいと常人離れした身体能力があるようだね」
「それは」
「あんたが手加減してたことは分かってる。モユルに血を見せないように配慮したんだろ」
モユルはスサを見た。仏頂面で下を見ているところを見ると、どうやら図星だったらしい。言下に戦士としての甘さを指摘されたような気がして、面白くないのだろう。
「で、その配慮は」
「分かりました」続くユラの言葉を、スサが遮った。「その言い回しは狡いですよ、ユラ殿」
軽く睨む。
「納得したかい、スサ様」
「しかしなぜ、この者を庇うのですか?」
「そりゃあんた、あたしゃこの計画の責任者だからねえ。それに龍戦士出現の原因についても、ちょっとした仮説があるのさ」
「そうですか。では俺はここで」
スサは、ならばもう用はないとばかりにユラとモユルだけに一礼し、踵を返した。いつの間にか結界が解けている。
「そうだ、スサや」
「嫌です」
スサは振り返らない。何故か逃げ腰である。
「まだ何も言ってないじゃないか。せっかく事情を聞いて納得したんだから、女王と副王に報告しておいておくれよ」
「ですから、嫌です。それに報告ならもうされているでしょう」
「だからさ。色々誤解がありそうじゃないか。明日の朝一番にあたしも行くからさ」
「無理です! こんなふざけた話をどう納得させろと言うんですか、あの陰険兄弟に!」
とうとうスサが振り返った。本気で厭がっている。
「血を分けた肉親だろうに」
「だから余計に嫌なんです! ご自分でなさって下さいよ」
「あたしゃ今から詳細を報告するための検証しなきゃなんないし、それにただでさえ今晩はこんなに遅くなってるのに、カグチが心配するじゃないか」
「う」
スサが怯んだ。ユラが追い討ちとばかりに上目遣いで見つめる。
「駄目かい?」
「貴女という人は……。貸しひとつですよ、義母上殿」
すがるような態度から一転、してやったりといった体で嬉しそうにユラが笑った。
「ははうえはおよしったら」
「今のは嫌味ですよ。公の場では言いません」
疲れた体を引きずるように立ち去ろうとするスサの背中に、モユルはためらいがちに声をかけた。
「あ、あの、スサ様!」
「……なんでしょう?」
スサが振り返る。モユルは立ち上がって深々と頭を下げた。
「わ、私の失敗のせいでこんなことになってしまって、申し訳ございません!」
「頭を上げて下さい。まだあなたのせいだと決まった訳ではないでしょう」
「それに、助けに来て下さって、とても嬉しかったです。それと、あの……頑張って下さい!」
モユルは一度頭を上げて、もう一度下げ直した。
「大丈夫、俺は負けませんよ。モユル殿もお疲れでしょう、今夜はゆっくりとお休み下さい」
スサはそう言い、実に爽やかに微笑んでみせた。
モユルの背後で心底嫌そうな顔をしている景郎を鮮やかに無視し、先程とは大違いの颯爽とした足取りで去ってゆく。
恋する乙女そのものの表情で見送るモユルに、ユラが笑いかけた。
「分かりやすいねえ」
「いいじゃないですか、憧れの方なんですから」
その言葉が自分だけに向けられたものではないことをモユルは知らなかったが、それをわざわざ教えるほどユラは不粋ではなかった。
「やれやれ、相変わらずの天然女殺しだね、あいつは」
スサが天然女殺しである事をモユルが承知しているからこそ、なおさらモユル自身がそのことに気付けないのも分かっているが、やはりわざわざそこまでは言わない。
「さて、それじゃ検証しようかね。と言ってもここで調べることなんかほとんど残っちゃいないけど」
腕捲りしたユラに、景郎が小さく手を挙げた。
「あの、一応確認しますけど、おれを帰してくれるってことは……」
「だからそれを調べるんじゃないか。だがまあ、すぐには無理だと思ってくれてた方がいいだろうね。そのための龍戦士のハッタリさ」
ここでまた笑う。
「でもあんた、中々の役者じゃないか。いくつか怪しい所はあったけど、あンだけ言えりゃ上出来だよ」
「半分くらいは本当ですよ」景郎も苦笑で返した。「でもおれ、これからどうなるんだろう。なんか色々言っちゃいましたけど」
「とりあえず今夜のところはあたしン家に来な。モユル、あんたも」
言いながら堂内と霊泉を見回す。
「ああ、その前に外の者たちを下がらせて、あんた達も着替えなきゃなんないか。景郎、悪いけどそこに浮かんでる杖を回収しといておくれ」
足早に外に出て、控えていた者たちといくつかの言葉を交わして戻ってくるユラを、モユルは不思議そうに眺めた。
「どうしたんだい、モユル?」
「あの、もう行くんですか?」
「ああ、もう見る所は見た。やっぱり設備に重大な欠損はない」
「龍神像の瞳が落ちましたけど」
「あれは術式に関係ない装置だからね」
「でも波紋が」
「その可能性が全くないとは言い切れないけれど、術式法陣相は完全に固着していたし、あの段階まで進んだ術式に影響は出ないはずだけどねえ」
そうなのか。では霊水が発光したように感じたのは何だったのだろう。しかし今は、それよりも先に訊いておきたいことがあった。
「それです」
「それって?」
モユルは、先程から抱えていた疑問をぶつけてみることにした。
「さっきからずっと、まるでここにいたような口振りですけど……」
「そりゃまあ、見てたからねえ」
「どうやって?」
「そこから」
ユラが指差したのは、瞳がこぼれ落ちた龍神像だった。
「目の所に細工がしてあってね、ちょいと離れた場所からこの中が見えるようにしてあるのさ。術式なしの完全な機械仕掛けだから、わかんなかっただろ」
機械仕掛けだと言われても、それがどんな機構を持っているのか、想像もつかない。貧民窟でユラに拾われてもう八年になるが、モユルには未だユラの底が見えないでいた。
……それにしても、である。
「そうですか……」
見られている気がしていたのではなく、本当に見られていたのだ。
自然と声が低くなる。
「見てたんですね……」
「ごめんよ!」
突然ユラが両手を合わせた。
「何と言うか、その、あんたを信用してなかった訳じゃないんだ。この仕掛けのことは誰にも言ってないし、いざとなったら儀式をぶっ壊してやろうと思ってたもんでさ。許しておくれ、この通り!」
合わせた両手はそのままに、頭を下げる。
「もう、いいですよ。心配してくれてたんですね」
モユルは怒る気をなくした。いざとなったら、が何を指しているか、察してしまったからである。
確かにあの時、モユルは死を覚悟した。ユラがそうした選択を好まないことを知っていたにもかかわらず、である。
それが人命優先とか身内の情とか、そういった甘い根拠だけではないことも知っていたが、それでも嬉しかった。
ユラは、思い詰めて暴走しがちなモユルの性格を考慮した上で、なおかつモユルの自尊心をそこなうことなく、しかも場合によっては都の存亡をかけた計画を自分の責任で台無しにする覚悟を持っていたのだ。だから誰にも告げていなかった。
「心配かけてごめんなさい。でも、やっぱり、教えて欲しかったです……ユラさん」
分かってはいるがどうしても拗ねた声になってしまうので、モユルは久しぶりに、ユラ導師ではなくユラさん、と呼んだ。
「ごめんね」
思った通り、ユラは優しい顔でもう一度謝ってくれた。嬉しくなってもう一度呼ぶ。
「ユラさん」
感極まって抱きつこうとしたとき、手を離した毛布が肩からスルリと滑り落ち──。
「あ」
背後で景郎の声が聞こえた。