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龍戦士チューニング  作者: 布瑠部
第三章 人ならざるもの
22/69

22 龍の巫女の実力

 これで反応がなければ突入するしかない。


 神殿内の入口付近はそれなりの広さを持つ土間になっており、その奥の板敷きの()に、格子戸と御簾(みす)が見える。


 生活設備は、格子戸の脇から回り込むように設けられた廊下の先にあるらしい。


「スサ様っ?」


 その廊下から、慌ただしくマミカ導師が現れた。品性に欠ける厚化粧はそのままだが、乱れていた髪と着衣は正され、二十代半ばの肉体は匂いたつほどの妖しい色香を(まと)っていた。


 華やいだ笑顔のマミカは、しかし景郎の姿を認めるや嫌悪感にも似た怪訝な表情を見せた。


「スサ殿ではありません。私は代理人の──」


「何よ、あんた。スサ様はどうしたのよ」


「ですから私は代理で」


「まさか、あんたたち!」


 マミカは景郎(かげろう)の言葉をことごとく遮った。初手から全く会話が成立しない。


「どうもおかしいと思ったら、スサ様を私に会わせないようにしてるのね!」


 素足のままで土間に下りてきたマミカは、景郎の後ろに立つモユルを見つけ、(まなじり)を吊り上げた。


「あんたは、モユル!」


 言うが早いか右手をモユルに向ける。


「おっと」


 景郎はすかさずその腕を掴み、上方へひねった。


「落ち着いて下さい。我々は話をしに来たんです」


「なによ、邪魔しないでよ!」


 憎々しげに景郎を睨むマミカの態度に、モユルは違和感を覚えた。


 もともとモユルとマミカの間には、直接の面識はない。召喚されて間もない景郎にいたってはなおさらである。


 しかし、マミカはついさっき自分を崖から突き落としたばかりであり、その際に景郎の姿も見ているはずなのだ。


 それなのにマミカは、先程の一件などなかったかのように全く同じ反応をしている。


「よくもあたしに顔を見せられたわね、この売女(ばいた)!」


 マミカは血走った目で、やはりさっきと同じことを言った。


「ご主人様、どうしてモユルいじめる!」


「うるさい!」


 たまらず駆け寄ったシロガネを、マミカは容赦なく蹴った。


「ご主人様!」


 シロガネはマミカの蹴りを避けようともせず、ただ身をすくめて耐えた。


 すぐさま景郎が背後に回って両手を封じつつ羽交い締めにしたが、マミカはそれでもシロガネを蹴ろうとするのをやめない。


「あなたは!」


 モユルはシロガネを庇うように前に立ち、真正面からマミカを睨みすえた。


「どうしてこんな酷いことをするんですか! シロガネはあなたの犬なんでしょう!」


 一面識もないマミカが、どうして自分をこんなにも目の敵にするのか、モユルには分からなかった。なにか致命的な勘違いをしているとしか思えないのだ。


 しかしモユルが一番腹を立てていたのは、殺されそうになったことよりも、マミカがシロガネを邪険に扱うことだった。


 スサを慕う気持ちがあるのなら、誰かを大切に思う心があるのなら、どうして信じていた人に裏切られる辛さが分からないのか。


「シロガネはこれくらいじゃ壊れないわよ! シロガネ、モユルを殺しなさい!」


 マミカが叫んだ。


 景郎が焦ったようにシロガネを見たが、モユルは振り返らない。


 ここで振り向けば、きっとシロガネを傷つけてしまう。なによりモユルは、自分を守ると言ってくれたシロガネを信じると決めたのだ。


「シロガネ、何してるのよ! 私の命令が聞けないの!」


 マミカはなおも狂ったように喚いたが、ついにシロガネが襲ってくることはなかった。


 シロガネは、約束を守ってくれたのだ。


「ご主人様、ごめんなさい! シロガネ、できない!」


「シロガネ! モユルを殺せ! 殺しなさい!」


「ご主人様、もうやめて!」


 シロガネが自分の横をすり抜けようとしているのを察知したモユルは、素早くしゃがんでその哀れな僕を抱き止めた。


「駄目よシロガネ。また蹴られちゃう」なりふり構わずマミカに近付こうとするシロガネを、全力で押し止める。


「ご主人様、ご主人様! どうして!」


 シロガネが泣いている。辛く当たられることではなく、大事なものを失ってしまったマミカの心をこそ想って泣いている。


 そんなシロガネとモユルを、マミカが興味をなくしたかのように醒めた目で見つめた。


「龍の魂をくっつけてやったんだから少しは使えるようになるかと思ったけど、体だけ頑丈になっただけで駄目な子は駄目なままね」


 いとも簡単に吐き捨てられた言葉に、モユルは衝撃を受けた。


「なんてことを。あなたは、それがどういうことか……」


 怒りのあまり、言葉が続かない。


 (ハジメ)の術師の言い伝えにある通り、普通の生物は神の強すぎるタマヒに堪えられない。それはすなわち死を意味する。


「あたしを誰だと思ってるのよ」


 マミカが尊大に鼻を鳴らした。


「龍の魂はそこの淵の地下龍脈にこびりついてた残り(かす)みたいなちっぽけなものだったし、シロガネは北の魔狼の血を引く狼犬よ。成功する見込みがあったからやっただけじゃない」


 シロガネの自我が犬か龍で揺れていた理由は、これだったのだ。


 モユルは、頭の芯が冷えてゆくような感覚を覚えた。


「見込みがあったというのは、確実ではなかったってことでしょう。そんな、死ぬかも知れない危険な術式をシロガネに施したんですか」


「あなたのような無知には理解できないでしょうけど、あたしの研究は完璧よ。死んだとしても、それは運がなかっただけのこと」


 それは違う、とモユルは思った。


 確かに自分は無知だ。しかしユラという偉大な導師を間近で見てきたから分かる。


 ユラならば、失敗の可能性と原因を、絶対に運のせいにしない。


 それに自我が揺れるということは、心の在りようが安定していないということだ。それは術式が不完全である証明ではないのか。


 そしてなにより、モユルが許せないと思ったのは。


「それが、飼い主の言うことですか……」


 知らず、声が低くなっていた。


「あなたにとってシロガネは家族ではなかったんですか? それともただの実験台だったんですか」


 そんなはずはないとモユルは確信している。シロガネはよく躾けられている。ただの実験動物にそのような手間をかける理由がない。


 シロガネの人懐っこさと忠誠心は、相応の愛情を注がれたからに違いないのだ。


「だからどうだって言うのよ」


 マミカは憎々しげに吐き捨てたが、その顔にほんの一瞬だけ戸惑いのようなものが走ったことを、モユルは見逃さなかった。


「それは嘘です。どうしてそんなになってしまったんですか」


「うるさいわね、全部あんたのせいじゃない! あんたがスサ様を誑かすからよ、この毒婦!」


 あんたのせいでと繰り返し喚くマミカを見るうちに、モユルの中である決心が固まった。


 静かに告げる。


「カゲローさん、マミカ導師を放してあげて。ひっぱたいてやる」


 景郎が目を剥いた。


「ひっぱた……え?」


「あはははは!」


 マミカが哄笑した。


「あんたみたいな出来損ないの山猿が、あたしをどうにかできると思ってるの? 知ってるわよ、あんた、列波(れっぱ)すら使えない駄目術師なんだってね」


「列波なんか使わなくても、あなたには勝てます」


 モユルはいささかも動じることなく言い放った。


「あなたは美人で才能もあるけど、心がねじ曲がってます。どうして私がスサ様を誑かしたと思い込んでいるのか分かりませんが、自分を省みることもしないで何でも人のせいにして犠牲まで強いる人に、どのみちあの方が惹かれるとは思えませんね」


「よくもしゃあしゃあと……モユル!」


 暴れるほどきつく締められるにもかかわらず、マミカは目茶苦茶に暴れた。その目に宿るのは疑いようもなく殺意である。


 モユルはその視線を正面から受けとめ、困惑顔の景郎に改めて言った。


「カゲローさん、放してあげて」


「で、でも。大丈夫なの」


「大丈夫よ。お願い、信じて」


 しばし無言で見つめ合う。


 モユルは、スサ様なら絶対に聞いてくれないお願いだろうな、と思った。しかし、景郎なら。


「分かった」


 短く答えた景郎が、ひと呼吸置いてからマミカを開放した。


 途端にマミカは結印した右手をモユルに向けた。よほど慣れた術式なのか、ほんの一呼吸で無詠唱の術式法陣が展開される。


 しかしモユルも既に動いている。


 モユルは半歩だけ前に出て、マミカの術式が発動するよりも早くその手に触れた。


 たったそれだけで、マミカの術式法陣がかき消えた。


「なっ――!」


 マミカの顔が驚愕に歪み、すぐさま左手をモユルに向けるが、その手も掴まれる。


 今度は術式法陣の展開すらしなかった。


「そんな……」


 マミカは化け物を見る目でモユルを見た。何をされたのか、理解したのだ。


 モユルが行ったのは解術(かいじゅつ)である。


 普通、解術とは展開された術式法陣を解読し、逆の作用を持たせた式を打ち込むことで成立する。「もつれた糸を(ほぐ)すように」と表現され、また最も難しいと言われる所以である。


 しかしモユルのそれは術理が違う。


 モユルの行う解術とは、常識外れの莫大なタマヒによって式そのものを塗り潰す力業なのである。


 この特性から、通常は結界や付与など継続性のある術式にしか使用する機会すらない解術が、対象術者のタマヒにさえ干渉できれば術式の内容に関係なく無効化することが可能なのだ。


「確かに私は出来損ないの駄目術師です。でも、それでもユラ導師に選ばれ鍛えられた、龍の巫女なんですよ」


 龍脈召還計画の存在すら知らないマミカは知らなかったのだろう。


 モユルが術師として唯一誇れるものは、この圧倒的なタマヒ許容量だけである。しかしそれこそがモユルをただ一人の計画実行者、龍の巫女たらしめていたのだということを。


「マミカ導師、あなたは私に触れられた時点で、もうどんな術式も使えません。そしてもうひとつ、私があなたに勝っているものがあります。それは」


 モユルはマミカの両手首を握ったまま、身を低くして体当たりを仕掛けた。


 いとも容易く押し倒し、馬乗りに押さえつける。


「それは、体力です。私を山猿と言うのなら、これでもうあなたに勝ち目がないのは分かりますね?」

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