21 対決へ
「なんかよく分かんないけど、出来るようになって良かったじゃない」
景郎は無邪気に喜んで、じゃあおれも、と違う小枝に狙いをつけた。
「列波」
小枝は小揺るぎもしなかった。術式失敗である。
「うーん、そりゃそうだよな。大体、タマヒを取り込むとか放出するって感覚が分かんないし」
景郎は助言を求めてモユルを見たが、モユルは自分の手を見つめたまま固まっていた。
「……あの、モユルさん?」
「ええーっ、なんでなんでなんで? 今まで一度も成功したことなかったのに!」
突然取り乱したモユルは、震える指を押さえつけるように列波の印を結び直した。
「れ、列波!」
期待を込めて放った術式は、しかし不発に終わった。
「列波!」
不発。
「列波!」
不発。
「な、なんで……?」
やはり出来ないではないか。ではなぜ、さっきは発動したのか。モユルはがっくりとうなだれた。
「あの、モユルさん。ちょっとおれに考えがあるんだけど、もう一度やってみてくれないかな」
それまで黙ってモユルを見ていた景郎が、やおら提案した。
「いいけど……。何か気付いたの? 教えて、さっきと何が違う?」
列波の打ち方を教えている相手の景郎に訊くことではない。
「まあ、はっきりと違うと言えるところはあるけど。まるっきり見当外れかも知れないし、とりあえずものは試しでやってみてよ」
「う、うん」
これではどちらが教えを乞うているのか分からない。
しかし今は列波を習得できるか否かの瀬戸際なのだ。モユルは緊張感をみなぎらせて小枝に印を向けた。
深呼吸を一つ。
「列――」
「おっぱい」
「――!」
モユルは反射的に胸を庇った。いきなり何を言い出すのかと睨むと、景郎は腹を抱えて笑っていた。
冗談だったのだ。
「カゲローさん!」
「あはははは! ひい、く、苦しいっ……腹が痛いっ」
「……ちょっと」
モユルの中で、メラメラと怒りの炎が燃え上がる。
本気でここから突き落としてやろうかと思ったとき、あまりに笑いすぎて平衡を失った景郎が三度幹から落ちかけた。
「うわあ! あ、危ねえ」
慌てて体勢を整えた景郎だが、この後に及んでまだ笑っている。
「あんたって人は……」
すうと目を細めたモユルを見て、景郎が違う違うと手を振った。
「違うって、何が!」
「枝! 狙った枝を見てよ」
景郎が指差した先には、一本目と同じように先端が吹き飛ばされた形跡のある小枝があった。
「え――あれ?」
間違いなく、ついさっき狙った小枝である。やはりただの列波ではあり得ない威力を発揮している。
「そんな、なんで?」
混乱するモユルに、ようやく笑いの発作がおさまってきたらしい景郎が説明した。
「一回目に成功したときとそれ以降失敗したときの違いは、モユルさんの顔だったんだよ。失敗したときのモユルさんは、こーんな顔してたよ」
景郎は眉間に皺をよせ頬を強ばらせて、まるで服毒自殺でもしようかという顔をした。
「え、そんな顔、してた……?」
「うん。おれに教えてるときは自然な感じだったけど、失敗したときは力みまくってたから、もしかして列波を打つ瞬間に気を散らせば成功するんじゃないかと思ったんだけど……」
景郎はそう言って、またくつくつと笑い出した。
モユルは愕然とした。
景郎に教えているときは彼の表情が妙に力んでいることが気になっていたのに、まさか自分も同じ失敗をしていたとは。
もしかして、これまでもずっとそうだったのだろうか。
よく分からない。
だが、確かに一度目の成功例では景郎に教えることのみに集中していたし、二度目は景郎の暴言に気を取られて、足枷となっていた術式への恐れを忘れていたのだ。
「術式って、普通は集中しないと発動しないものなのに、気が散ったときに発動するとか……私ってなんなの?」
しかも通常の列波ではあり得ない馬鹿げた威力で、である。
おかげで列波を打つ感覚を覚えることは出来たが、もはや喜んでいいのか悲しむべきなのか、分からない。
「まあまあ、とにかく結果が出てよかったと考えようよ。それより、さっきの感覚を忘れないうちにもう一回試しとく?」
「あ、うん。たぶんもう大丈夫だと思うけど……」
景郎に促されて放った列波は、相変わらずの威力で発動した。
「できた……」
ついに列波をものにした感動にうち震えるモユルに、景郎が「よし、じゃあ新しい戦力が入ったとこで、いっちょ再戦といきますか」と言って崖を見上げた。
「え、でもカゲローさんの列波は?」
「うん、さっきも言ったけど、タマヒを取り込んだり放出する感覚が全然分からんから、とりあえず諦めた。こんな所であまりじっとしてると冷える一方だし」
景郎は晒をジャージの腰に結びつけた。
「おれが先に登って、この木みたいな足場になる場所毎にモユルさんを引き上げるよ。晒の反対側はそこの幹に結んでくれる?」
モユルが木の根元にしっかりと結びつけると、景郎は少し緊張気味の面持ちで崖を登り始めた。
指先の感覚を確認するようにゆっくりと、しかし確実に登り、しばらく進んだ所でモユルを振り返ってニヤリと笑う。
「よし、なんとかなりそうだ」
5
崖の上まで到達した景郎は、頭だけを地面の上に覗かせて、辺りを確認してから素早く這い上がり、モユルに合図を送った。
モユルは崖にとりつき、なるべく急いで登り始めた。
いま襲われるとひとたまりもない。景郎が上で晒を引いて補助をしてくれるので、モユルは確実性を度外視してひたすら早く手足を動かすことだけを考えた。
「モユル、生きてた! だいじょうぶ? だいじょうぶ?」
崖の上で景郎とともにモユルを迎えたのは、シロガネだった。
「シロガネ! 心配してくれたの? 体は痛くない?」
モユルはもどかしげに晒をほどき、シロガネを抱きしめた。
「シロガネ平気。モユル、生きててよかった!」
景郎に指示されたのか、シロガネは小声である。しかしモユルの目の前でちぎれんばかりに振られた尻尾が、シロガネの喜びを表現していた。
モユルはシロガネの頭を撫でながら囁いた。
「ありがとう。カゲローさんが助けてくれたのよ」
「うん、シロガネ見てた。カゲロ、すごいね!」
シロガネが景郎を見上げた。
景郎はそれにはこたえず、しゃがんでシロガネと視線を合わせた。
「シロガネ、〈黒いあいつ〉は? 中にいるのか?」
「いないよ。さっきシロガネが来たときからいない」
「そうか……」
景郎は痛みに耐えるようにゆっくりと言った。
「シロガネ、ごめんな。おれは今からマミカ導師を捕まえる。邪魔してもいいけど、そうしたらおれはシロガネとも戦わなくちゃいけない」
「カゲロ?」シロガネが困惑した声を出した。「カゲロ、ご主人様殺す? モユル殺そうとしたから?」
「殺さないよ。捕まえるだけ。でも、痛い思いはさせてしまうかも知れない」
「つかまえてどうする?」
「都に連れていく。その後はどうなるか分からない」
「うー。ご主人様、いたいのかわいそう。でもシロガネ、カゲロも好き。どうしていいか分からない……」
シロガネはくん、と小さく鳴いた。
「ごめんな。悩ませてあげられる時間もないんだ。だから、邪魔してもいいから。ごめんな」
景郎は立ち上がり、モユルに行こうかと言った。
どこかに隠れていろと言われるとばかり思っていたモユルは、驚いて景郎を見た。
「私も行っていいの?」
「マミカ導師に言ってやりたいことがあるんでしょ? それとも、ふんじばってからにする?」
「ううん、一緒に行かせて」
マミカ導師を縛りあげ、圧倒的に有利になってから責め立てるのはモユルにとっても本意ではない。
「カゲロ! シロガネもいっしょにいていい? シロガネ、どうしていいか分からないけど、ご主人様がいたいのはイヤだけど、ご主人様がモユルにいたいことするのもイヤだから、だから」
シロガネがモユルを守るからと、たどたどしく訴える健気な友人を、景郎は優しく宥めた。
「シロガネ。シロガネは自分の思った通りにしていいんだよ。だけど、一つだけお願いしていいかな。モユルさんを守ってくれ」
「うん! シロガネ、モユル守る!」
シロガネは嬉しそうだが、モユルはなんというお願いをするのかと思った。
マミカ導師はシロガネにも容赦ない。さきほどは、シロガネが巻き込まれることにも頓着せずに列波を放ったではないか。
「カゲローさん、それは」
「ここはこらえてくれ」
モユルの抗議を、景郎は強い目差しで遮った。
「おれには力が足りないから、打てる策は打っておきたいんだ。これで、シロガネがモユルさんを攻撃する確率をかなり下げられる」
「シロガネそんなことしないよ!」
シロガネが不満を述べた。
「うん、分かってる。おれはシロガネを信用してるよ。だからモユルさん。モユルさんはシロガネを守ってくれ」
モユルは景郎の意図を理解した。景郎は、マミカ導師がシロガネにモユルへの攻撃を命じたときのことを言っているのだ。
「カゲローさん、あなた……」
「ずるいかも知れないけど、これがおれの精一杯なんだ」
景郎はほろ苦い笑みを浮かべた。
「さ、時間がない。〈黒いあいつ〉が来る前に行動しよう」
「は、うん」
モユルは景郎に並んで神殿入口に向かって歩き出した。その後ろをシロガネがついてくる。
景郎は入口付近で投げ出されたままの棍を拾い上げ、内部からは死角になる入口横の壁に立て掛けた。
一瞬だけモユルと視線を合わせてかすかに頷き、内部に向かって大声をあげる。
「マミカ導師、出てきて下さい! こちらは龍の都の使者です」




