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龍戦士チューニング  作者: 布瑠部
第三章 人ならざるもの
19/69

19 二つ目の約束

   4


 墜ちる――。


 その圧倒的な恐怖は、ほんの刹那にモユルの全てを握り潰した。


 思考が止まる。息が詰まる。身体が(すく)む。


 心が凍りつき、声すら上げられず、ただ大きく見開かれた両眼に――自分を追って崖から飛び降りてくる景郎(かげろう)の姿が写った。


「おあああああああっ!」


 景郎の、全く意味をなさない叫び。しかしそれは恐怖と絶望ではなく、強い意思と気迫に満ちていた。


 景郎が式銃をモユルに向けて撃った。ただちにモユルの全身を覆う大きさで術式法陣が展開し、鈍化の結界が形成される。粘性を得た結界内の空気が激しい空気抵抗を受けて、落下速度が目に見えて落ちた。


 速度の差異により結界内へ飛び込んだ景郎は、モユルの伸ばされた腕を掴んで一気に抱き寄せながら、高角度な崖の斜面に沿って式銃を連続発射した。


 直後、結界同士の接触によってさらに速度を減じながら、岩と土の入り交じった壁に激突する。


 モユルを庇って両腕で背中から抱き締め体を丸めながらも、決して閉じられることのなかった景郎の目が、落ちて行く先に生えた小振りな木を捉えた。


 すれ違いざま、式銃を持っていない方の手でその枝を掴む。


「――――ッ!」


 小さく呻く。


 枝が大きくしなり――完全に停止する直前で、湿った音を立てて裂けた。


 その瞬間、景郎の内側から伸びた二本の腕が、目の前にあった横向きの幹を掴み、抱え込むようにしがみついた。


 モユルである。


「んんんー!」


 モユルは歯を食い縛り、渾身の力を込めて幹を握りしめた。すかさず景郎が同じ幹を掴んでモユルを支える。


 掴んだ幹は大きくたわみはしたものの、二人の体重を何とか受け止めてくれたようだった。


「止まった……?」


 半ば呆然と呟いたモユルの頭上で、景郎が大量の息を吐き出した。


「し、死ぬかと思った……」


     * * *


 景郎たちの命を救った小木は、根本の辺りでは大人の腕くらいの太さを持っており、岩の僅かな隙間に食い込んだ根は見かけより遥かに強靭だった。


 その木のなるべく根本に近い所にモユルを座らせた景郎は、自らも這い上がるや、恐怖の余韻が残るかすれ声で頭を下げた。


「モユルさん、すみません!」


「すみません……?」


 責められこそすれ、まさか謝られるとはいなかったモユルが怪訝な目を向けると、マミカの追撃を警戒しているのか、はたまた別の理由があるのか、景郎はすぐに目を逸らすように崖の上の方を見た。


「だからあの、危ない目にあわせてしまって……」


「え?」


 この男は何を言っているのだ、と、怒りにも似た感情がモユルの語気を強くした。


「何を言ってるんですか、謝るのは私の方でしょう!」


 自分でもよく分からない苛立ちを感じて、八つ当たりのように、解、と結界を解く。ユラに「あんたのは、もつれた糸を(ほぐ)してるんじゃなくて、莫大なタマヒに任せて引きちぎる力技だね」と評された解術である。


「へ、モユルさんが謝る? なんで?」


 景郎がきょとんとした顔で訊き返し、モユルは毒気を抜かれた。


「なんでって……私が不用意に飛び出したから……」


 景郎に命を助けられて真っ先に思ったのは「またやってしまった」だったし、今も幹に登りながら考えていたのは「どうやって謝ろう」だったのである。


 しかし景郎は、いかにも些末なことを聞いたかのように首を振った。


「ああ、そんなこと。むしろマミカ導師を建物の外に誘き出してくれたのに、絶好の機会を逃したのはおれです。まさかあそこまで躊躇なく突き落とすとは思わなかったから……」


 モユルは言葉に詰まった。


 それはそうかも知れないが、自分が指示を守れなかったのは確かであり、そのせいで景郎の思惑を妨げてしまったのも事実なのだ。それはモユルが飛び出してしまったときの、景郎の驚愕がありありと物語っている。


「でも……きっかけは私で……助けに来てくれたし……なんで……」


 胸の裡をうまく言葉にできず、モヤモヤする。


「なんでって、だっておれ、スサと約束したじゃないですか。……全然、守れてませんけど」


 景郎は申し訳なさそうに俯いた。


「カゲローさん……」


 ――この男は。


 モユルは思った。


 確かにあのとき、スサ様は「命に代えてもモユル殿だけはお守りしろ」と言った。ではその約束を果たすために、迷いもなく崖から飛び降りたのか。


 あのまま見捨てられていたとしても、自分に文句を言う資格などない。それは自業自得だからだ。だがこの男は。


 「スサと約束をしたから」。それだけのために。文字通り命懸けで。このひとは。


 モユルはこのとき、己の胸の内にあるモヤモヤの正体を覚った。


 自分は、叱って欲しかったのだ。勝手なことをするなと、(なじ)られたかったのだ。


 しかしそれは、責められることで自分の過ちに辻褄をあわせようとしていた甘えだったのだと、たったいま思い知らされた。


 そして景郎は、そんなモユルの身勝手も全部含めて、ただ約束を果たそうとしている。


 ユラ導師やカグチがすぐに景郎を信用したのは、彼のそんな資質を見抜いたからなのだろうか。


 モユルは静かに景郎を見つめた。


「でもやっぱり、悪いのは私です。ごめんなさいカゲローさん」


「……じ、じゃあ、この償いはおっぱ――」


「真面目に聞いてよ!」


「はいっ、ごめんなさい!」


 景郎が怯えた。どうも強く出られると弱い性格らしい。


 モユルは溜め息をついた。


「無事に都に戻れたら、胸でもなんでも触らせてあげるから。カゲローさん、ちょっとそこに座りなさい」


「え……」


「座りなさい」


 モユルがギロリと睨むと、景郎はおずおずと幹の上で正座しようとして、大きく体勢を崩した。


「わーっ、カゲローさん!」


「おお、落ちるっ」


「あああ、アホーっ! 正座はしなくていいから!」


 落ちかけた景郎を必死に捕まえて、モユルは半泣きで怒鳴った。


 景郎がひいひい言いながら幹の上によじ登り、居心地悪そうにモユルの隣に座った。


 横並びなのでいまいち締まらないが、仕方がない。モユルは改めて話を切り出した。


「いいですかカゲローさん。私は……馬鹿なんです。カゲローさんをこの世界に喚んでしまったのも、崖から落とされたのも、私が自分の感情を抑えきれなくて、ユラ導師やカゲローさんの指示を守れなかったからです。だから、謝らせて下さい。ごめんなさい」


「そ、だ……いえ。はい」


 景郎は口の中でなにやら言いかけたが、結局モユルの謝罪を受け入れた。


「でも、カゲローさんも馬鹿です。いくらスサ様と約束したからと言って、全部一人で背負わなくてもいいんです。私が馬鹿なことをしたら、叱ってもいいんですよ。いえ、怒らなくちゃいけないんです。分かりますか」


「それは――」


「分かりますか!」


 モユルは景郎の反論を許さない。景郎は口が達者だ。何か言い返されたら、きっとそのまま丸め込まれてしまう。


「は、はい……」


 景郎が迫力に圧されたように返答してモユルの良心が少し痛んだが、こうでもして言質をとらなければ、やっぱり景郎は全てを一人で背負おうとするだろうという不思議な確信があった。


「それで――あの、お互いもっと言いたいことを言い合えるように、まず言葉遣いを変えてみませんか? その、スサ様やシロガネと話すときみたいに」


 さんざん威圧しておいて言うことではないな、とモユルは思った。


 景郎が上目遣いでモユルを見る。


「今までも特に気を遣ってませんでしたけど……」


「でも普段から気安く喋ってた方が、いろいろ言いやすくなるかなって……。あの、余計に気を遣ってしまうのなら、いいんですけど……」


 言ったそばから自信をなくしてゆくモユルを見て、景郎が笑った。


「いや、じゃあそうするよ。そのかわり、モユルさんもそうしてよ。カグチと話すときみたいにさ」


「は、はい。じゃなくて、分かり、分かった」


 いい提案だと思ったのだが、急に話し方を変えられるほどモユルは器用ではなかった。


「まあ、ちょっとずつ慣れていきましょうよ。それで、マミカ導師のことはどうする? よく分かんないけどモユルさんを突き落とした時点で興味をなくしたみたいな素振りだったし、実際追撃もしてこないから、今なら無事に帰ることも出来るけど」


 その点については、モユルに迷いはなかった。


「私、やっぱりシロガネを助けたい。だから力を貸して欲しいの。その、今度はちゃんと言うことを聞くから」


 景郎に従うと言った手前、もしここで断られてしまえば、モユルに為す術はない。しかし景郎はモユルの期待を裏切らなかった。


「うん、おれもそう思ってた。一緒にシロガネを助けよう」


 力強く頷く。


「ありがとう、カゲローさん! ――あ、でも」


 喜びに輝いたモユルの瞳が、ほんの僅か不安げに揺れた。


「もう一つだけ、お願い聞いてくれる?」


「お願い? なんですか」


「あの……スサ様との約束を、私にも協力させて下さい。それで、カゲローさんも、無事に……。ごめんなさい、さんざん足を引っ張っておいて、こんなこと。でも――」


「わかったよ、モユルさん」


 景郎がモユルの言葉を遮った。


「じゃあ、モユルさんとも約束。モユルさんと、シロガネと、おれ。みんなで都に帰ろう。もちろん、始めからそのつもりだったけどね」


 そう言った景郎は、スサと立ち合ったときと同じ顔をしていた。

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