15 神とカムト
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龍の都の南に位置する森には、その最奥にかつて龍が棲んでいたといわれる淵がある。その周辺を神域と定めて神殿を建てたのは今からおよそ三十年前――賢王マハラ・ナギが初代王として即位して間もない頃であった。
どこからともなくふらりと現れた男が、神がかり的な先見性と求心力で瞬く間に都一つを築き上げたことは半ば伝説となっており、その最初の仕事が龍を鎮め奉る龍の神殿の建立だったのだ。
龍の都とは、この神殿にちなんだ名前なのである。
「……その初代の王様って、ユラさんの夫っていうか……カグチのお父さんと同じ人ですよね?」
景郎が城からそのまま持ち出した棍を杖のように地面につきながら言った。鈍化の式銃もユラからそのまま借り受けており、景郎が召喚された時に着ていた着物――ジャージという名前らしい――の上に羽織った外套の内ポケットに納められている。
空には雲ひとつなく、日一日と弱くなってゆく日射しでも仄かな暖かさを感じることができたが、時折思い出したように吹く風はやはり冷たく、本格的な冬が近づいていることを感じさせた。
「そうですね。私はお会いしたことはないんですけど」
こちらは龍の巫女の正装である薄い水色の衣に緋袴、風避けに洋物のマント姿のモユルは、マヨネーズが入ったビンに何本か差し込んである棒状に切られた人参をつまみ、改めてたっぷりとつけてから口に放り込んだ。朝食に続いての、歩きながらの食事である。
陽は中天を過ぎたばかりで、日暮れ前までに森の神域の手前に設けられた小屋へ到達する余裕は十分にあったが、少しでも陽が高いうちに到着したいと考えたのだ。
「ん。美味しいっ」
昨夜の儀式に始まり、早朝からの登城、休憩なしの強行軍と、過酷な道行きだが、モユルは上機嫌で人参をかじっていた。
その理由がマヨネーズである。都を出る前にカグチへの挨拶がてら立ち寄ったユラの家で、約束通り景郎が作ってくれたものだが、コクの中にもさっぱりとした風味を持つそれは、採れたての人参にとても良く合い、モユルはすぐに気に入ったのだった。
「あ、これって、ご飯につけてもきっと美味しいですよね」
モユルはうきうきしながら、笹に包まれたソノおばさんのお握りを背中の巾着袋から取り出した。
「それは……あっちの世界でも、上級者のやる食べ方ですね」
景郎が苦笑する。
「気に入ってくれたのは嬉しいんだけど、話を続けていいですか?」
「は、はい! ごめんなさい」
モユルは軽く取り乱しながら答えた。さてこのお握りにマヨネーズをつけるにはどうするべきか――人参のように直接ビンに入れるにはビン口が狭いし、かといって上からかけるのも必要以上にかかってしまいそうだし――そうだ、人参につけたマヨネーズをお握りに擦り付ければいいではないか、そうだそれはいい是非そうしよう――などと真剣に考えていた所だったのである。
思わず赤面するモユルだったが、景郎は気付かないふりをしてくれたようだった。
「で……龍の都って、三十年前は何もない場所だったんですか? あ、おれにも一本人参を下さい」
「いえ。他の国から逃げてきた人や行き場のない人々が小規模な集落を作っていたそうです。土壌は痩せているし、交通の要所でもない、見放された土地だったとか」
モユルは人参が刺さったマヨネーズのビンを景郎に差し出しながら答えた。
「それがどうやってあんな大きな都に?」
「それは――」
モユルは都の歴史について、なるべく正確に思い出そうとした。龍の都の龍脈を司る巫女として、それらを覚えておくことは職務の内だとユラに叩き込まれているのだ。
なんでもナギ王がかの地に辿り着いたとき、既にその人柄に惹かれて付き従っていた側近の如き人々がいたが、彼らの反対を押しきって町作りを始めた途端に龍脈が移動してきたらしい。
龍脈――タマヒは全ての命の根源である。龍脈が通る土地の土は肥え、優秀な人材も自然に集まってくるのだ。かくて奇蹟とも謳われる龍の都の建設が成ったわけであるが、ナギ王にはその確信があったのではないかと言われている。
モユルがそう説明すると、景郎は不思議そうに首をかしげた。
「ずいぶん都合のいい話ですね。龍脈の動きを読むなんて出来るもんなんですか?」
「出来ない、と言われていますね」
「でもナギ王はそれをやった、と」
「ナギ様にはそういった逸話が多いんです。あんまり凄すぎて、神人だったんじゃないかって話もあります」
「カムト? なんですかそれ?」
「人になった神です」
景郎は両手を上げた。
「すみません、全然分かりません。そういえば城では聞きそびれたんですけど、そもそも神とか魔ってどういう存在なんですか?」
「どういう存在?」
質問の意図が分からず、モユルは景郎をまじまじと見た。
「その反応の仕方は、やっぱり、いるんですね。じゃあ……」
景郎はしばらく考えて、なぜか引きつった顔で質問を変えた。
「人と神の違いって、なんですか?」
「ああ、わかりました。神の肉体を構成するのものは何か、ってことですね?」
「肉体を構成って……。まあ、そうです」
モユルは、やはりこういう言い回しは自分らしくないのだなと思った。それもそのはず、まるまるユラの受け売りだったからであるが、かといって他の言い方も出来ない。
「そんな疑問を持つなんて、カゲローさんは導師向きですね。私に分かる範囲でよければお話ししますけど、他人には言わないで下さいね。龍の都の独自研究の成果だし、……不敬なので」
そう前置きしてから、モユルは話し始めた。
「いきなり核心から始めちゃいますけど、神や魔、魔物というのは、本質的には同じものです。格や性質、姿の差はありますが、ユラ導師が言うには、人間にとって都合がいいか悪いかで呼び方が変わっているだけだ、と」
「なるほど、不敬ですね」
景郎が笑った。その様子に忌避感はない。
「それで、その特徴は?」
「はい。彼らの肉体は、高密度のタマヒが擬似的に生体組織を再現して実体化することによって形作られています。その証拠は、彼らが死んだとき、肉体がタマヒに分解されて消滅するからです。つまり彼らは厳密には生物ではなく、擬似生命体あるいは精神生命体と言える存在なのです」
淀みなく答える。理解が遅いモユルに、ユラがそれならばと丸暗記させた一文である。故に、実は生体組織とか精神生命体とは何かと問われても全く答えられないのだが、幸い景郎は別の疑問を持ったようであった。
「死んだときって、死ぬんですか、神が?」
「少なくとも肉体的には、らしいですが。彼らは不老ですが、不死ではありません。肉体を破壊されれば滅びます」
「ふぅん……。まあ、特に珍しい設定ではないよな……」
「設定?」
話の流れに似つかわしくない言葉にモユルが聞き直すと、景郎はなぜか慌てて手を振った。
「ああいやいや、こっちの話です。駄目だなあ、あんな怖い思いまでしたのに、まだ現実感が薄いんだよな」
怖い思いとは、スサとの立ち合いのことだろうか。モユルには、あのときの景郎が怯えているようには見えなかったのだが。本当に恐怖を感じた者は、あの様に元気に喚いたりしないのではないだろうか。
「それで、神や魔の体については分かりましたけど、それが人になるってのはどういうことですか?」
景郎が最初の質問に戻った。
「ああ、カムトですね。これは私たち人間がタマヒを扱えるようになった理由とも繋がる話なんですが、一の術師という言い伝えがあるんです」
「ほう、それは?」
「はい。これは子供でも知っているお伽噺ですが――」
一の術師
むかしむかしのその昔、ハジメまたはハクという名の女神がいました。
ある時、彼女はとある人間の男に恋をしてしまい、神であることを隠して男に近づきました。
やがて想い叶ってめでたく結ばれましたが、二人が情を交わしたとき、悲劇が起こりました。
神の強すぎるタマヒに耐えることができずに男は死んでしまい、また彼女自身も神の力を失い、人間になってしまったのです。
ハジメは絶望して自らも滅ぶことを望みましたが、新たな生命がそのお腹に宿っていることに気が付き、彼女は愛する夫と我が子のために、生きる決意をしました。
人間の体は弱く、また思いのままに振るっていた神の力も、いまや失われています。
しかしタマヒを視ることだけはできたので、ハジメは人の身でもタマヒを操る術を探して、その全てを我が子に授けました。
こうして人間は、タマヒを視て触れる力を得たのです。
「お話によっては女神がハクで子供がハジメだったり、始祖が子供だったりしますが、大体こんなような話です」
モユルが補足した。
「なるほど、その女神がカムトで、ナギ王もそうだったんじゃないかと」
「そうです。人になった神から生まれた子もカムトと呼んだりしますけどね」
「まあ、分かりますよ」
相変わらず景郎の理解は早い。
「でもそれってお伽噺なんですよね。……ああ、そんな伝説に喩えられるくらいナギ王が偉大だったということですか」
「違います。いえ、そうなんですけど違うんです」
モユルはそう言ってから、これでは意味が分からないと自分でも思った。
「ええと、ナギ王様が偉大だったのは事実なんですが、カムトの話もただのお伽噺というわけでもないんです」
「というと?」
「魔に堕ちた神の中には、まれに魔王と称される個体がいます。一番最近の例では、と言っても私が生まれるずいぶんまえのことらしいですが、北の地に出現したキロという狼の神が魔王と呼ばれました」
「魔王……」
景郎に微妙な感情の波がよぎった。モユルはその理由に心当たりがあったが、あえて無視することにした。あの一件は、モユルにとっても忘れたい出来事なのだ。いくら動揺していたとは言え、あんな大きな声でおっぱい魔王などと叫んでしまうとは。思い出すだけでも恥ずかしい。
「そ、そのキロの厄介だった点は、カムト化したことです。狼の姿をしていたので魔獣と言われたそうですが、起きたことは同じで、通常は一柱で行動するはずの神が出産する能力を得て、魔獣の軍団を形成してしまったらしいんです。キロは女神だったんですね」
これには景郎も驚いたようだった。
「狼の神って言っても、神なんでしょ? それが普通の獣と交尾、いや、交合したんですか? 神として生まれただけで、性質は狼そのものだったとか?」
「いえ、高度な知能と白銀の毛並みを持った、それは立派な神だったそうです」
「それがなんで」
「一説には無分別に山を侵す人間に対抗するために、敢えて初めの一匹を犠牲にしたと言われています」
「自然を守るため、か。ベタな展開だけど、そういうのって本当にあるんだな……。それでどうなったんですか」
「圧倒的な優位をもって人間と戦っていたキロですが、最後は必要以上に山を侵さないことと眷族の命の保証を条件に、自ら人間の勇者に討たれたそうです。だから今でも北の地では、キロの血を引く優秀な狼がたくさんいるらしいですよ」
「人間の勇者?」
「彼については何も伝わっていません。名乗りもせずに逃げるようにその場を去ったとか。とにかくこの事件で、それまでお伽噺だと思われていた一の術師とカムトが、話としてはともかく本当に起こり得るんだということが分かったんです」
景郎がため息をついた。
「神域の話を聞いただけなのに、ずいぶん話が拡がったなあ。お陰様でいろいろ分かりましたよ。ありがとう、モユルさん」
「いえ、ほとんどが子供でも知ってることばかりなので。でも、お役に立ててよかったです」
ありがとう。ありがとうとは、なんて素敵な言葉だろうとモユルは思った。笑みがこぼれる。
――でも。
一つだけ、意図的に話さなかったことがあるのだ。それは都の大通りで思いついた、景郎の身体についての仮説。
神について説明しているとき、いい機会なので話しておくべきかとも考えはしたのだ。
でも、言えなかった。もしそれが当たっていたらと思うと、怖くてどうしても言えなかったのだ。
「モユルさん?」
景郎が訝しげに言った。
いけない、また顔に出ていたのだろうか。
「ごめんなさい、ちゃんと間違いなく説明できたか、ちょっと不安になったんです」
「モユルさんは真面目だなあ。大丈夫ですよ、気になったらユラさんからも話を聞きますし。うん、興味深い話でしたよ。神か魔のような気配とか言われてたから、すごく気になってたんです」
景郎の言葉がちくりとモユルの胸を刺す。
そんなモユルの心情を知ってか知らずか、景郎が意味ありげに笑った。
「そうそう、魔王の話もね。モユルさんにもおっぱい魔王とか言われちゃったし」
モユルは景郎を睨んだ。
「その話をここでぶり返しますか。カゲローさんだって自分で言ったじゃないですか」
「おっぱいとは名乗ってねえ!」
昨夜スサに向かって怒鳴った台詞を景郎が笑いながら繰り返し、ふと真顔になった。
「いや、待てよ。おっぱい魔王はイヤだけど、乳神なら……アリだな」
「ナシですっ!」
モユルはすぱんと景郎の頭を叩いた。動揺のあまり、思わず地の性格が出てしまったらしい。
「あ、ごめんなさい。つい」
「いい突っ込みだなあ。しかし許しません。この償いは……」
景郎が棍を肩に立て掛け、両手を差し上げてわきわきと動かした。
「おっぱいで」
「またそれっ!?」
モユルは逃げ出した。本当に逃げ出したい気分だったので、自然に体が動いた。
「お父さんは許しませんよー」
妙なことを言いつつ景郎が追ってくる。
「やめて下さい。もう、ホントに怒りますよ!」
必死になって逃げながら、モユルはついに言えなかった事柄を思い浮かべた。
早朝に気付いた通り、景郎は今もゆっくりと周囲のタマヒを吸収している。
それは、神や魔の持つ特徴の一つでもあるのだ、ということを。




