13 スサの失態
青くなったスサを見て、ヤトギがいかにも嘆かわしいといった態でため息をついた。
「ところでスサ、また町で騒ぎを起こしたそうですね」
「お姉様は悲しいわぁ。泣いちゃう」
すかさずマテルが両手で顔を覆って泣き真似をし、スサはまた始まった、とげんなりした。
「わざとらしい泣き真似はやめて下さい! あれは」
「男慣れしていない純情な娘をさんざん弄んだあげく、ボロぞーきんのように捨てたんですって? この人でなしっ」
「濡れ衣です!」
からかわれていると分かっているのに、つい声が大きくなってしまう。
そう、あれは十日ほど前だったか。私用で町に出ていたスサの前に突然見知らぬ女が躍り出て、裏切られたの何のと大騒ぎしたのである。
スサが人違いではないかと言うと、女は今さら他人のふりをするのねなんて酷い人なの貴方にとって私は道端の花だったのねひっそりと咲いていただけなのに戯れに手折ってすぐに飽きて無造作に打ち捨てるんだわ酷い人酷い人いいわ何もなかったことにすればいいわでも私は忘れない忘れるもんですか恨みます恨みますこんな世界なんて無くなってしまえばいいのよ云々とまくし立て、号泣しながら去って行ったのだった。
今までにも似たような経験はあった。
ただ普通に接していただけなのにいつのまにか恋仲だと誤解されていたり、交わした覚えのない約束を破ったと罵られたり、素敵な思い出をありがとうございますあの夜のことは一生忘れませんという文が届いたりである。
もちろんスサに身に覚えはなく、彼女たちのなかで何が起きてそういうことになったのか、皆目見当がつかない。
お陰でスサは女人というものがすっかり苦手になっており、常に細心の注意を払って行動していたはずなのだが、またしても訳のわからない騒ぎが起きてしまったのだった。
「俺は潔白です!」
「あらそーお? でも町では随分噂になってたわよ。龍の英雄がまた戦果をあげたって。おばちゃんたちなんか、なかったことにされてもいいからアタシもお相手願いたいわーなんて言ってたわよ」
「や、やめて下さい……」
スサが言い知れぬ恐怖にかられて身をすくませたのを横目に、景郎が所在なさげに質問した。
「失礼ですが、スサ……様の女癖の悪さと私への依頼に、何の関係が?」
「だから俺は潔白だと言うとろうが!」
王の前だからであろうが、敬称はいらんと言ったのに様をつけて呼ぶような気の遣い方をするくらいなら、もっと言葉を選べと言いたい。
思わず激昂しかけたスサの目に、困ったように自分を見るモユルの姿が映った。
過去のいくつかの例で自分にそういった印象がついてしまっていることは承知している。また、それを払拭できないのも己のいたらなさ故と自戒もしよう。
だが、モユル殿、モユル殿にだけは。
「モユル殿、信じて下さい。俺は何もしていません」
「は、はい、もちろん。スサ様に限って、そんな」
取り繕うように慌ててモユルが言った。
スサは愕然とする。この反応は、駄目だ。どうして信じて貰えないのか。
やはり行く先々であっという間に女人たちに囲まれてしまうからなのか。だがそれが男どもなら力尽くで蹴散らしてしまえばよいが、女衆相手ではそうもいかないではないか。
スサはがっくりと膝をつこうとして、いまだ結界に捉われていることを思い出して反射的に解いてしまい、結界内を漂っていた小麦粉を一度に浴びてしまった。踏んだり蹴ったりである。
「あ、あの、私は本当に信じていますから!」
腫れ物を扱うようなモユルの気遣いが、なおさらスサを打ちのめす。
言葉もなくうなだれるスサに同情したのか、ユラが無意味に首筋を撫でながら立ち上がり、兄弟王に話の先を促した。
「二人とも、スサで遊ぶのはそれくらいにして、そろそろ本題に入ってくれないかい。その話と景郎がどうつながる?」
ヤトギは、では……と改めてスサを詰問した。
「スサ、昨日お前宛に文が届いて、直後に明日は南の森に向かうと言っていたそうですが、用件はなんですか」
スサは言葉に詰まる。やはりその話になるのか。
「な、なぜそれを……」
「なに、たまたま耳に挟んだだけです」
絶対に嘘だ、とスサは思った。
「しかしいつもなら都を出ると決めた時点で報告に来るあなたが、この件に限ってだんまりを決め込んでいることが気になりましてね。なぜですか」
スサはうう、と呻いた。この様子では、あらかた見抜かれている。
「隠すなど、そんな。出立前に報告するつもりでした」
「言い訳はいいから、用件を言いなさい」
ヤトギが冷たく言い放つ。既にスサは滝の汗である。
「その、件の女人と覚しき者から、南の森の神殿にて待つ……と」
「やはりそうですか。それでお前はどうするつもりだったのですか。醜聞の口封じでも?」
「ま、まさか!」
「まあ、スサちゃんにそんなこと出来るわけないわよね。おおかた、誠心誠意話をするとか、馬鹿なこと考えてたんじゃない?」
マテルがへらへらと笑った。やはり全て見抜かれている。
「何がまさかですか。英雄の異名をとる王弟ともあろう者が、たかだか一人の平民の女性に呼び出されたからといって、簡単に都の外まで誘き出されてどうするのです。それなら口封じとでも言った方がいくらかマシですよ」
分かっている。分かっているからこそ、黙っていたのだ。
「その女性の騒動からして、他国の謀略かも知れぬとは考えなかったのですか」
「もし罠であったなら、蹴散らせばよいかと……」
「馬鹿者。お前個人はそれでよいかも知れませんが、その間の都の守護はどうするのです。仮に罠でなかったとしても、例の計画で間諜どもが入り込んでいるこの時期に、女一人でお前が都を留守にすると喧伝するつもりですか」
スサは一言もない。
「しかも最近、その南の森周辺で魔物の目撃報告が来てるのよねぇ。スサちゃん、知ってた?」
「はい。ついでと言ってはなんですが、その魔物の討伐も考えておりました」
マテルの問いに、スサはなるべく平静を装って答えた。実のところは、魔物の討伐にかこつけて南の森に行くつもりだったのだが、余計なことは言わない方が身のためだと考えたのである。
「そう。じゃ、その女の方の名前と素性は?」
「確か、マミカと。素性は存じ上げません。……やはり罠だと?」
「だからお前は考えが足りないというのです」
強いヤトギの声に、恐る恐る兄弟王の顔を窺ったスサは、その隣でユラが驚愕の表情を浮かべていることに気付いた。
しかしそんなユラに構わず、ヤトギの叱責が続く。
「マミカという名前を聞けたのなら、どうしてお前の行動範囲の中でそれに該当する人物を探さなかったのですか。もし出てきたなら、その為人で罠である可能性を推測しやすくなるでしょうに」
「というと……」
「こちらで調べたところ、簡単に出ました。そのマミカという女性は、城つきの導師ですよ。身内です」
スサは衝撃を受けた。まさかそんな身近な人物だったとは。確かにこれは失態である。しかし、身内ならば罠である確率はかなり低いのではないかと思うのだが、それにしてはヤトギやユラの顔は思いのほか厳しい。
「マミカ導師は十日ほど前に謎の……といっても今となっては理由は明らかですが、失踪を遂げています。そして、マミカ導師の研究は……ユラ導師?」
ユラは首筋を撫でていた手で今度は頭を掻きながら、ぶっきらぼうに言った。
「人にあらざるもの。神や……魔物だね。特に魔物については、かなりの成果をあげていたと聞くね」
「そう。そしてマミカ導師の失踪と南の森での魔物の目撃報告の時期は、ほぼ一致しています。これの意味するところが分かりますか」
スサはマミカが言っていた言葉を思い出した。
――こんな世界なんて、無くなってしまえばいいのよ!
では。まさか。そういうことなのか。
スサは事態が己の醜聞で収まらないことになっていると、始めて気が付いた。




