11 結界の応用
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景郎は始まるや一直線に外縁の資材置き場へ向かって走り、到着と同時に式銃を構えながら反転した。
スサは青眼に構えたままである。
「遅い。お前ならもっと速く走れるだろう。俺がその気になっていれば今ので終わっていたぞ」
「全然油断してくれない上に、のっけからダメ出しかよ……。いきなり全力を出したらコケるかもって思ったんだよ」
拗ねたように景郎が答えた。
「見逃してくれたのは助かったけど、いいの? これ、投げるよ」
右手の棍を石畳に置いて、代わりに資材置き場から拾い上げた拳大の石をポンポンともてあそびながら言うが、スサは眉ひとつ動かさない。
「確かに凄まじい威力だったが、当たらなければどうということはない」
「くわーっ。なにナチュラルに赤が似合いそうなこと言ってくれちゃってんだ。ホントに投げるぞ」
「いいから投げてみろ」
スサはどこまでも冷静である。
景郎が知らないからなと言い捨て、軽く踏み込んで石を投げた。
唸りを上げて飛来する石を、スサは木剣の切っ先を僅かに振っただけでその軌道をずらした。
「投げろとは言ったが、馬鹿正直に真正面から投げて当たるはずがないだろう。少しは工夫しろ」
逸らされた石に当たって吹き飛ぶ小樽の音を背に、スサは平然と文句をつけた。
「なんなのこの人……。じゃあ、そうするよ」
景郎が親指の先ほどの小石をいくつかまとめて拾い上げる。この時点で景郎が次に何をしようとしているか解りそうなものだが、スサはそれでも動かない。
スサに動く気がないことを見てとった景郎が、掴んだ小石をポケットにねじ込み、さらにもう一掴みした。スサはまだ動かない。
「で、ここで式銃だけど、この距離で撃っても避けそうだよな、あんた」
「式銃は攻撃には向かんと言ったはずだが」
「じゃあ避けないでね」
鈍化の式銃は着弾点を中心に物理的な抵抗をかける結界を展開する。そのため、結界内に効果的な物理攻撃を加えるには、抵抗を受ける面を極力小さくして、さらに入射角も調整しなければならない。
例えば刀剣や槍での突きならばそれが可能だが、景郎は棍を石畳に置いたままであり、代わりに握られているのはいくつかの小石である。いくら景郎の膂力が増大しているとはいえ、結界を突き抜けるには重量が足りなかった。
……が、こうした前提は昨夜のようにスサの全身を結界で覆えば、の話である。
景郎が慎重に照準を合わせた式銃を発射した。
元よりスサに回避するつもりはない。忠告を受けた上で景郎が何をするのか、見てやろうと思ったのだ。しかし放たれた術式が正確に景郎の狙い通りであろう場所へ着弾したとき、スサは目を軽くみはった。
結界がスサの予想したような全身を覆うものではなく、スサの持つ木剣の中央に、刀身の四分の一程度の効果範囲で展開したからである。
次の瞬間、スサは猛然と突進を開始した。景郎の意図を察知したのだ。
鈍化の結界は内部に侵入した全てのものに物理的な抵抗をかける。それは空気とて例外ではなく、スサの木剣は今、刀身の一部にのみ異様な抵抗を受けている。
木剣を放棄するという選択肢もあるにはあった。だが、いま景郎が手にしているのは、複数の小石なのだ。得物のない状態であれを一度に投げつけられれば、いかにスサとて被弾は免れない。
そこでスサが選んだのは、景郎の投石を封じる接近戦だった。
景郎が振りかぶった。スサは木剣の結界が展開された辺りを握り、少しでも扱いやすくする。接近するまでに攻撃を受けるのは、もとより覚悟の上である。
「わーっ、判断早すぎだろ!」
景郎が投石した。狙いは――スサの数歩先の石畳!
ただでさえ捌くことが困難な散弾状の石群を、さらに跳弾させようというのだ。これで事実上、軌道予測は不可能となった。
腕と鈍化の結界で頭と胴体を守りながら、スサが前方に跳躍する。その手前で石畳に到達した石群が、爆発したように砕け散りながら跳弾し、スサを襲った。
跳弾、爆散、小型化によって著しく威力が低下した石は木剣の結界を突破できず、腕や脚に受けた傷もそれほど深くはない。
着地と同時にさらに加速する。
接近されるまでにもう一投するつもりだったらしい景郎が、新たに石を拾いかけていた右手を床に置いていた棍に伸ばした。
だがもう遅い。スサは大きく踏み込み、立ち上がりながら水平に持ち上げられた景郎の棍の下を横凪ぎに払った。
「がっ!」
脇腹を強打された景郎が吹き飛ぶ。
いや違う。自ら跳んでいる。景郎に大きな体勢の崩れはないと判断したスサは追撃を中止した。
「痛ってえええ! 怪我はさせないんじゃなかったのかよ!」
果たして景郎は元気に喚いた。
「手加減はした。だがその必要はなかったようだな」
スサは足下を見た。
「前言を撤回する。お前は式銃を上手く使っている。攻撃にも、防御にもな。まさかこの様な使い方をするとは」
スサの左足が、鈍化の結界を踏んでいた。景郎が木剣を打ち込まれる瞬間に放ったものだ。木剣の結界で振りを鈍らされ、さらに踏み込む地面に結界を設置されたことで、今の攻撃はかなりの部分が無効化されたと言ってよいだろう。
加えて景郎自身の耐久力も大したものだ。なにしろ打たれた直後に喚いているのだ。普通なら少しくらいは息がつまるものである。
「お前は面白いな。実に面白い戦い方をする。木剣への結界といい跳弾といい、俺の発想にはなかったものだ。正直、侮っていたよ。だから結界は解かずにおいてやろう」
「あれ、昨日は解けないって言ってなかった?」
「俺なら瞬時に解ける。昨日はユラ導師への敬意故に自ら解かなかったまでだ」
景郎は誤解していたようだが、昨夜かけられた結界も、効果時間が切れたから解けたのではなく、スサが自ら解いていたのだ。景郎があからさまに落胆した。
「じゃあ、その木剣の結界も敢えて解かなかったのか……。手加減されまくりじゃないか」
「そう卑下するものではない。こんなに手傷を負わされたのは久しぶりだ」
スサの服は所々引き裂かれており、その下からはいくらか出血もしていた。
「まさか石が砕け散るとは思わなかったんだけどね」
「おかげで軽傷ですんだし、こうして接近できた」
「えー、まだやるの? けっこうな血が出てるように見えるけど」
「何を言う。兄上の思惑に乗るのは癪に障るが、ようやく面白くなってきたところではないか」
言うなりスサは間合いを詰めた。
景郎が跳びすさりながら式銃を撃つが、スサは横に体を沈めて躱す。射線と景郎の指の動きを見切っているのだ。
「この距離で避けるかよ!」
景郎が棍を握ったままの右手で式銃の結界範囲を変えるつまみを操作し、すかさずスサの足元に向けて発射した。
この結界はスサを覆いつくすほどに大きく、展開と同時に全身を内部に捕らわれたスサはそのまま突破を試みるが、そこへ景郎が棍による鋭い突きを続けざまに放つ。
スサはこれを木剣を棍のように扱っていなした。スサには杖術の心得もあるのだ。
景郎のいくつかの突きを捌き、半歩前進して突きを返す。景郎が式銃を左手に持ったままだということもあるが、鈍化の影響を受けてなお、技量と戦闘勘で景郎より優位に立っている。
景郎が半歩退き、スサがさらに進んで突きを繰り出す。
この突きはスサの拳が結界外へ出るほどに伸び、木剣の先端が浅く景郎の肩を捉えた。しかし引き戻す際に木剣により大きな抵抗を受け、景郎が退きながら放った突きを捌くのが間に合わず、仕方なく左腕で受けた。
景郎の突きは体重が乗っていなかったためにそれほどの被害をもたらさなかったが、景郎は続いて式銃を放ち、スサの胸を中心に新たな結界が展開された。
既に景郎は間合いをかなり離している。
スサはゆっくりと石畳の結界から出ながら、質問してみた。
「さっきのは、狙い通りなのか?」
「引き手が鈍ったこと? そうだよ」
景郎の息が荒い。疲労というより緊張感によるものだろう。体捌きや突きの打ち方から、景郎がこういった戦闘行為に慣れていない事が窺えた。常軌を逸した身体能力と式銃を扱う発想力が景郎を支えているのだ。
「いっぱい手加減してくれてるみたいだからこっちもネタばらしするけど、結界に結界を重ねたらどうなるか実験したのが第一段階。見た感じだと効果の重複はないようだった」
景郎が息をととのえながら言った。スサにとって、本来なら絶好の攻撃機会だったが、今しがた起こったことへの興味と、景郎を回復させてこの戦いをもっと楽しみたいという欲求が勝った。
「で、次にこう考えた。それなら、既に展開された結界どうしを接触させたらどうなるか。空気が物理的な粘性をもっているなら、接触したときにそれなりの反発はあるんじゃないかと。タマヒや術式についてはまだ不勉強だから、ほとんど賭けみたいな推測だったんだけどね」
スサが快活に笑った。
「面白い。本当に面白いなお前は。どうやらお前の真価は身体ではなく、その頭の方にあるようだな」
景郎が厭そうに返す。
「嬉しそうに笑っちゃってまあ。作ったみたいなバトルオタクだなあ。で、やっぱりまだやるのね?」
「当然だ。俺にはお前の実力を見定める命令が下っているからな」
「こっちはずっと必死だってのに、こんな隙のないヤツ相手にどうしろってんだよ……。ん、隙?」
ぶつぶつとこぼしていた景郎だが、何かを思い付いたらしく、スサにだけ聞こえるように囁いた。
「モユルさんって、いいよな」
「なんだと?」
簡単にスサの表情が動いた。
「美人で、素直で、健気。いいよなあ。あんたはどう思う?」
「……何が言いたい」
景郎が下卑た笑みを浮かべる。
「いや、昨日から見てるとさ、モユルさんと女王がからんだときだけ、取り乱すんだよね、あんた。……なんで?」
スサの顔にさっと赤みがさし、しかしそれはすぐに鬼気迫る薄笑いへと変わった。
「手加減はいらんとみえるな、貴様」
「しまった……。動揺させるつもりが怒らせてしまった」
景郎が意外そうに「思ったよりずっと純情だったのか」と余計な一言を加え、ますますスサの怒気を膨らませた。
「その減らず口、すぐに黙らせてやる」
怒りに身を任せつつ、それでも律儀に結界を解かずにスサがゆらりと歩を進めた。
「わ。き、来た」
景郎は大いに狼狽し、苦し紛れのようにもう一つの話題を口にした。
「ところで女王って」
「まだ囀るか」
今一度の景郎の囁き。
「――オカマ、だよね?」
スサの動きがぴたりと止まった。




